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2009-12-29(Tue)

「コミックギア」が2号で終了

漫画家だけで作る編集者不在のマンガ誌が出版中止に - Ameba News アメーバニュース

いつも漫画関連の情報を教えてくれるT君から、このニュースと関連して2ちゃんねるに立ったスレを教えてもらって、それぞれしばらく目を通した。
「漫画家だけで作る編集者不在のマンガ誌」というのはもちろん芳文社の「コミックギア」のことだけど、来年早々に発刊予定だった3号が出版中止となったそうだ。つまり2号で終わった、ということ。
このことを「カストリ雑誌かよ」と年配者のようなツッコミを入れる御仁もいたようだが、単純に考えて「売れなかったから、中止しました」という一点に尽きるのだろうと推察する。
まあ、出版不況と言われて久しいし、そのことについてはずいぶんとここでも色々雑感を述べては来た。(→考察【出版不況】
このところ聞こえてくるのは同業者、知人友人仲間たちからの「本が売れない」という悲鳴に近い嘆きばかりである。その理由を単に「不況だから」と言うのでは思考停止。

さて、「コミックギア」がスタートした時点では話題になったこともあり(業界内では)、リーダーのヒロユキ氏のアジテーションも読ませていただいた(公式サイト内で読める)。
彼はその中で

普通のマンガ誌は、編集者と漫画家が一対一で打ち合わせを重ねて作ります。
掲載されるマンガ家同士は、基本特にお互いの作品にタッチすることはありません。

それに対し「コミックギア」は
連載作家全員が、毎日一つの仕事場に集まり作業をし、
マンガ家同士が、協力し合って作っています。

と述べている。
この時点で、彼の言う「普通のマンガ誌」が恐らく、一ツ橋や音羽系を頂点とするいわゆる「メジャー系」であることが大前提であることは自明だ。それに対して「ギア」のやり方は、その対極にあると言ってもいい「同人誌的手法」であろう。
プロの編集者が介在しない本は普通、同人誌になります。
これは俺がまだ小中学生だった頃、つまり漫画家志望のひよっ子だったころから変わっていない。その当時は漫画家志望の学生たちは皆自分の学校で、あるいは仲間と「漫画研究会」「漫画同好会」というものを作り、創作に励むことが普通だった。ちなみに「パロディ」と「創作」の割合は1対9よりも創作が多かったはずだ。
漫画専門誌(「漫画誌」ではなく、評論や漫画家情報も載っていた=「だっくす」〜「ぱふ」「ふゅーじょんぷろだくと」〜「COMIC BOX」などの他にも「コミックアゲイン」などたくさんあった)の巻末にはだいたい、そうした全国のアマチュアさんが送って来た作品や同人誌(つまり漫研やサークルの)が紹介されていたものだ。
そういう「プロ漫画家を目指そう」という文字通り志を同じくする「同人」が集まって作られたのが漫画同人誌なわけだ。けれどその現場に「俺はプロの編集者を目指す」という人はほとんどいなかったと思う。というより、「編集者」という存在というか仕事の内容があまり外へ知れ渡っていなかったこともあっただろう。
編集さんのことがクローズアップされるのは、大作家や雑誌の休廃刊による「回顧」の文脈の中であったり、あるいは作品の中にチラチラとキャラクタ化されて登場させられたりすることで、「たまーに」読者が意識させられる程度のものだったはずだ。
今でこそ漫画読みや研究者には有名な、貸本時代の我が師匠・長井勝一ら三洋社の面々だって、「編集」というより面白い「出版関係者」として業界内で認知されていたと思う。(ちなみに自分の年代だと「Dr.スランプ」の「マシリト」が有名)業界に入るまでは、編集者という仕事がいったいどういう業務を行っているのかを、はっきり認識していたわけではなかった。
近年は「サルまん」「編集王」から「バクマン」まで、編集者の中でも特殊な「漫画編集者」を題材にした作品まで出て来て、ずいぶんとその業務内容は広く伝わることになったと思う。
でも、それらは結局編集者の中でも極めて特殊な漫画編集者の中でもまたさらに特化した、「大手漫画産業システムに組み込まれたサラリーマン」としての編集者である。
彼らは時には原作者のように、いや作者そのものであるかのように、担当の作品に「意見」を述べる。
今ではこうした作家と編集のやりとりも、時おりブログなどで赤裸々に明かされることも多くなったので、色々とこちらも興味深く読ませてもらうようになった。(以前なら絶対外には出なかっただろう)
自分の場合、どういう立場で作家と関わってきたかということは、これまで何度も何度も述べている(→【漫画家になりたい人へ】 )ので繰り返さないけれど、つまり、「意見は述べるが干渉はしない」とでも言ったらいいだろうか。作家さんに助言を求められれば、それは出来るだけ的確かつ効果的な回答を提示しようとする。当然だ。ラブコメにおける「不必要なローアングル」からの「パンチラ」や「入浴シーン」などとは違った意味での、「読者へのサービス」だって考える。
だが「言う通りにすれば売ってやる」「読者アンケートで上位に来るためにはこうしろ」という思考回路はない。正直に言うと「ガロ」の頃は皆無だった。「この作家さんの場合、どうすれば作家性をもっと際だたせて、個性でよそへ行って勝負できるようになるだろうか」ということはしょっちゅう考えていた。

自分が入った頃は「ガロ」の世界はもうすでに個性煌めく大変な才能に囲まれ、お陰様で漫画家への夢を完全に絶ち切ることが出来たほどだった。すでに白土三平や水木しげる、つげ義春…と言った御大だけではなく、70年代デビューの人たちは中堅となっていて、80年代からも続々と「異才」が生まれていた。
ちなみに自分が入ったのとほぼ同期にデビューされ、担当もさせていただいたのはイタガキノブオさんと津野裕子さんで、イタガキさんは当初北海道、津野さんはずっと今に至るまで富山県。つまり携帯もない頃、やりとりは手紙が主で、よほどのことがない限り電話もしなかったと思う。
イタガキさんはその後上京してきたので仲良くさせていただいたし、それ以降たくさんの作家さんと触れ合うことが出来た。

だが「ガロ」時代はほとんど、作家さんにこちらから「こうしたら」的なアドバイスをしたことは無かったと思う。なぜなら、相手を「作家」だと思っていたからだ。
作家は当たり前だがその作家性を発露として作品を創り出す。他人から「こういうものを創れ」と言われるのは面白くなかろう。そう思ってこちらから余計なことを言うのは遠慮していた。
もちろん、根本敬さんのように、作品の構想頭の中で生まれると、担当を呼び出してそれを延々と語り聞かせて、その中でまたさらに膨らませていく…というタイプの作家さんもいる。また名前は伏せるがある人はとにかく悩む人で、よく電話で話したり、呼び出されたりしたものだ、そういう人とは「こうしたら」「じゃあこういうのは」と徹底的にアイディアを出し合った。
編集の師匠である長井さんからは「褒めて伸びる人と叱咤されて伸びる人と居るからな」と言われたことがある。俺ごときが叱咤できるキャリアでも年齢でもなかったということもあるが、基本的に今に至るまで作家さんという「尊敬する立場」にある人を叱咤した経験はほとんどない。(学生はまた別、大いに叱咤した)

編集者、というのはこのように大手メジャー系と、俺のような職人系とでは、作家という相手へのスタンスがまず全く違う。もちろん俺でも(もう無理だけど)大手の仕事を任される立場になったら、それはなるべく企業の論理を反映しつつ、作家に気持ち良く作品を描いてもらいたいと考える…いかん、それじゃダメなんだな(笑)。大手の仕事の現場では、編集者は絶対的に企業側の、つまりは市場原理主義者として「商品」を生み出す漫画家に対峙する存在だから。俺には無理か。
しかしそういうスタンス、関係に乗って、うまいことスイングできる人…つまり編集が「こうすりゃ売れる」「言うとおりにすりゃアンケート上位に来る」に乗っかって「ヨッシャア!」とやっていける強いハートを持った人は、メジャーで描いていくことが出来る。
自分を「作家なのだ」とさえ思わなければ、収入と引き替えに引きこもる生活を容認すれば、今ガンガン入ってくる原稿料と印税の使い道を考えなければ、それなりに快適な生活が出来るだろう。
なぜって、今どきなら誰でも物心ついた時には側にマンガがありアニメに親しんで普通にゲームで遊んだだろう。マネして描いてみることから始まって、たくさんの友達は才能がないことに気付いてザセツしていく中、「描くことが楽しい」からこそ続けてこられたこと。それでメシが食えるんだから、こんないいことはない…。頑張って描き続けてれば、そのうちきっと自分の好きなようにやらせてもらえる日が来るんだから…。
まあその日が来るかどうかは不明だけど、そうやって歯をくいしばっている人も多いだろう。

話は「ギア」に戻るが、今、大手商業マンガの世界でそれなりに結果を出そうと思ったら、何かエポックメイキング的なことをしなければ、と思ったことは正しかったと思う。

しかし「編集者を排除した」というより「漫画家同士が切磋琢磨して作品を描き、本を作る」梁山泊的な方法は、前述した数十年前の創作同人系のサークルがやっていたことと同じだ。
ただでさえ売れない、部数がダダ下がりのマンガ業界で、「プロの編集者」の「ああしろこうしろ」無しで立とうと思った心意気や良し。
だけど、ということは、つまり、
「100%作家の実力だけで作品を生み出し、世に問う」
ということに他ならない。
それも、すでに「ガロ」がやっていたことだったのだが。そして「ガロ」は全国書店流通でありながら、原稿料さえ出せない「商業誌」であった。

今回の「出版中止」の件は、原因として色々挙げられようが、芳文社さんが望む「結果」を出せなかったこと=部数に届かなかったことが最大であろう。「ガロ」は最悪の時期、実売3000部程度まで落ち込んだこともある。
「ギア」の掲げた「編集者の介入を排すること」が『「作家性の尊重」「個性の重視」を掲げながら商業的成功をおさめるということ』だとしたら、残念ながら、経験した人間としてはとても難しいと言わざるを得ない。

★追記
つのがさんによれば、「ギア」のサイト内をちゃんと読むと、いわゆる大手の常道ほどではないにせよ、ちゃんと編集者と打ち合わせ…というか摺り合わせも行っていた、という記述があるそうだ。ならば取り立てて「画期的な試み」ではなかったわけで、つまりは、「作家の実力不足」による「売上げ不振」に原因は集約され、その責任はもちろん版元と編集者にもあるという当たり前の一事件であった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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