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2009-12-31(Thu)

年越しの料理

12月31日(木) つづき

午後、明青のおかあさんから携帯に電話がある。
これから年末のお得意様まわりをするので、こちらへも寄って下さるということ。

「明青」さんに入ったのは偶然だった。
一昨年、夫婦二人で京都へ来て、あの素晴らしい割烹と出逢うことが出来た。ネットで調べては夫婦で近隣の店を探索するのが、何より楽しみだった頃。
北大路の少し東側にある居酒屋を目指して、うちから二人で散歩がてら歩いて行ったら、目当ての店は学生や若い人ばかりで、しかもまだ早い時間だというのにガーッと盛り上がっていて、うるさそうだった。
「これは俺たちのような年代が入る店じゃないな」と二人で顔を見合わせ、「どこかあるかも知れないから…」と不安なまま、高木町を西へ歩き出した。間もなく左手に居酒屋が見えて、その脇の階段を上がったところが「明青」さんだった。

もちろん当時そのことは知らず、ちょうちんとメニューが出ているのが見えたので、「あそこに何かお店があるよ」という感じで歩いて行った。一階の居酒屋を覗くと女将が暇そうに空の店内を睥睨していた。二人で無言で顔を見合わせ、目で会話した。「ダメだコリャ。」
「この上もお料理屋さんだね」と彼女が言うので見ると、二階へ上がる階段の脇に、スタンドにメニューがある。そこには手書きの墨文字でおすすめ料理が書かれていた。旬の料理が並んでいたが、何より、メニューが手書きであるということは、毎日仕入れや仕込みをして、季節ごとに旬のものを料理しているところだと思った。
理屈より、夫婦長年のアンテナで引き寄せられたと言っていい。

普通なら二階の、それも一見の割烹には絶対に入らないと思う。というか、これまでずっとそうだった。ガラッと入った途端、常連さんたちのざわめきが一瞬止まり、我々に好奇の目が注がれる…そういう気まずい雰囲気は苦手なのだ。しかもここは京都だ。
なのに、その時はなぜか二人とも「ここなら大丈夫」という確信に近い予感があって、階段を上がった。当時の日記を見返すと、2007年、9月26日・水曜日だった。

「・・・夜になると満月が明るく綺麗で、空気も涼しくほどよい。北大路をちょっとだけ歩くと、左手にビルの2階へ上がったところへ明青という割烹があり、お品書きを見るとお造りや料理もしっかりしてそうなので上がってみた。
 客は誰もおらず、和服のおかみさんと板さんだけだった。こちらは一見さん、ここは京都だし地元のお客さんだけなんだろうな、と思ったが、二人で長い黒塗りのカウンタへ座り、俺は生、三津子は純米酒を頼む。
 突き出しにはキュウリとアナゴを薄い玉子焼きで巻いた小さな巻物、鶏レバと思しき煮物が出るが、レバは柚子コショウで風味付けしてあって臭みが全くなく、噛むと旨みが染み出してくる。
 これはタダ者ではないなと思い、三津子の顔を見ると、俺の目を見て「いける」と無言で伝えてきた。
 俺も同意見なので、お造り盛り合わせ、アジのたたきを頼む。
 アジは実に新鮮。刻みしょうがと大葉の刻んだのをまぶしてあり、すこぶる美味。シマアジってこんなにシコシコしていたか。これほどに身にうま味があったか。東京の居酒屋でもリーズナブルな定番メニューだが、これほどの鮮度と味にはまずお目にかかったことはない。

 俺たちはすっかり嬉しくなった。幸い(?)俺たちが早かったせいか、お客さんがしばらく来なかったので、おかみさんが気さくに話しかけてくれて、話もはずんだ。おかみさんは山梨、板さんは日光だそうで、ずっと東京に住んでいたと聞いてビックリ。
 お二人とも京都には20年ほど前に来て、板さんは祇園で修行をした後、7年ほど前にこの店を開いたという。関東の人間が京都で食い物屋をやるというのは素人が考える以上に大変なことだろうに…と思いつつ、この腕なら「さもありなん」と味わう。
 銀杏を頼めば銀杏の枝が添えてあるのも嬉しかったし、よもぎ麩の田楽はアツアツで外はカリカリ中はもっちり、味噌の味とあいまって絶妙のうまさ。
 俺は生4杯、三津子は純米酒を3杯も飲み、最後はエビと豆腐の揚げ出しでしめた。ご夫婦は気取らずお住まいもご近所さんということもあり、すっかり俺たちは満足して、タクシーで帰宅・・・」

昨日のことのように思い出す。この日は満月だった。

タクシーを拾うために北大路を渡り、コンビニへ寄ったあと、三津子は上機嫌で空を見上げて「ほら、お月さんがまん丸だよ」と指さした。
幸福な夫婦の時間だった。

もう三津子はおらず、明青さんの素晴らしい料理を楽しむ機会は激減した。
一時は三津子の学校勤務の前日と、終了する日の夜、週に二回は必ずお邪魔していたのに、俺は一人で行くことがいまだに出来ずにいる。カウンタに座れば、隣にはいつもあの人がいた。一人でそこに居られる自信がまだ、ない。
関東から知り合いが訪ねて来たり、何かの折りにはお邪魔させていただくだけの、もう常連とは呼べぬお付き合いになってしまった。
それなのに、明青さんご夫妻は三津子が亡くなったあと、いつも俺の体を気遣い、ブログに更新がなければ何かあったのかと心配して下さり、先だっての帯状疱疹の入院では猫のご飯や水はおろか、トイレ掃除までして下さった。俺たちが二人とも病人であることを明かした後は、おかあさんはいつも比叡山に手を合わせる時、俺たちが健康であるように祈ってくれたという。

この感謝を、有り難い「ご縁」などと軽々に言うのさえおこがましい。それほど、ご夫妻には感謝してもしきれない。
明青さんにいただいたお料理
マンションの下に降りて郵便物と新聞を取って待っていると、数分でおかあさんが小走りで紙袋を下げてきた。
「元気してた?大丈夫?」と満面の笑顔。差し出されたのは、去年もいただいたお料理と丸餅、そして三津子への小さな花束だった。
明青さんにいただいたお花

「紫をイメージして」と言って下さった。有り難くて涙が出そうだったが、何とか堪えて、頭を下げてお礼を言った。
すぐに花を花瓶に移し、いただいたお料理を三津子の写真に見せた。風呂へ入ってから、今日は夕方からまた一杯やろう…。

今年は君が天国へ先に逝ってしまった、俺にとってみれば人生最悪の年だった。自分が癌になってから5回目の正月を、まさか俺が一人で迎えることになるとは、夢にも思わなかった。
それでも俺はまだ生かされている。たくさんの人に支えられて。
うちのおせち

年越しの陰膳
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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