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2010-01-01(Fri)

2010年元日

1月1日(金)

2010年になった。

昨夜は「紅白」終了後、「二階」の寝室へ上がった。ベランダを開けて、ちょっとだけ除夜の鐘を聞いた。前年は夫婦二人でコートを着て、このベランダに出て耳を澄ませたのを思い出す。遠く、高い「カーン」「コーン」という鐘の音があちらこちらから聞こえる。三津子の「聞こえた! あっちからも」という笑顔がついこの間のように思い浮かぶ。大きな寺ではないのだろうが、澄んだ空気に似合う心地の良い音が今年も聞こえる。
いつの間にかユキが足元に来て鳴くのでちょっと抱いてやるが、やはり外の空気は冷たい。ベランダに出るのはやめて、そのままガラス戸を閉めた。
その間に、2010年になっていた。
2009年は自分の人生で最悪の年だった。
自分が癌宣告を受けた年も、あれこれ苦労が絶えなかった数年間も、人に裏切られ足蹴にされた時も、全て三津子が居てくれたから何とか乗り越えて来た。
だが2009年5月5日、その彼女が居なくなった。これほどまでに辛く哀しい出来事は、金輪際俺の人生では起こらない、あり得ない。
…ということは、この先これ以上悪い年は来ないということか。

陰膳の雑煮今朝は8時過ぎに起きて、朝は雑煮を作る。
毎年、年末になると三津子が鶏ガラなどで圧力鍋にたくさんスープをとり、正月はそれを元に雑煮を作ってくれた。餅は角餅をこんがり焼き、それを一度スープに入れて、とろりとしたあたりで食べるのがこの上なくうまかった。具は餅の他に鶏肉、白ネギ、ほうれん草、みつばとシンプルで、ゆずの皮は欠かさなかった。
今年は簡単に市販の鶏スープをそれっぽく味付けし、明青さんからいただいた丸餅で作った。具は二人で居た時と同じで、片手鍋に3〜4杯分。これで充分。小分けしたのを三津子にも添える。

その後はビールを飲み、録画していたお笑い番組をだらだらと見て、夕方は「おせち」ではないが彼女の好きだったものを並べる。
新年が明けても、めでたいとか祝う気持ちには到底なれない。おそらくこれからずっとそうなんだろうな、と思う。

ただ、白血病と宣告されてから、とうとう5回目の正月を迎えることができた。そのことは素直に喜びたいと思う。改めて、今自分が生かされていることの「奇跡」にただ、感謝。
「おせち」
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コメント

vengo様

コメントありがとうございます。
「食事」などと言えるようなものではありませんが、毎晩の自分の愉しみのようなものです。
箸は夫婦で散歩したときにお揃いで買った竹の箸です。コースターも二人で出かけた美術館で買ったものです。

ありがとう

二枚目の写真...
とても、とても、あたたかく、切ない気持ちを頂きました
お気持ちのこもった食事だと、思いました。
お花の色も花瓶も写真立てもコースターもお箸もです。

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プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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