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2010-01-13(Wed)

やまだ紫の画稿発掘

1月13日(水)

夕べ寝たのは1時ころだったのに、今朝は薄暗いうちに目が醒めた。何だもう少し寝よう、と思って時計を見たら6時前。けっこう寝たのか…と思っていると明るくなってしまい、結局そのまま起きる。
今日も朝はやっぱり寒い。リビングへ降りると、猫たちはテーブルの下にいた。二匹はふだん仲が悪いのに、夜や俺がいなくて心細い時は至近距離にいたりする。床暖房の上に敷いたカーペットがほんのり暖かく、テーブルの下は落ち着くのだろう。

朝のことを済ませ、届いていた仕事のデータを加工。
今日は午前中に下のI内科で新型インフルエンザのワクチン摂取を受ける日。予約は11時半の予定だったので作業を急ぐが、終わりそうにない。
一夜干し!その間に宅配便が荷物を持って来たので受け取ると、何とげきがウるふ氏が送ってくれた、舞鶴漁港の一夜干しセット。年末の対談企画(「このマンガがひどい!2010」)の御礼とのことで、クール便の箱を開けて見ると、イカやかますやアジその他、ウニの瓶詰めまでどっさり、凄い! 新鮮な魚を漁港で一夜干ししたやつなので、見た目で鮮度がいいのが良く解る。魚の目が違う。イカも炙って食うともう止まらなくなるんだよなあ…と思いつつ、冷蔵庫へ。冷蔵庫を開けると缶ビールがごろんと顔を覗かせたが、ダメですまだ午前中だし!とヨダレを飲み込む。

時計を見るともう11時半を過ぎていたので、予約時間が…と慌てて下のIクリニックへ電話してみると、「患者さんが途切れた時にご連絡する予定でした」とのこと。そういえばそうでした。
ほっとして仕事を続けるが、回線が異常に遅い。ftpが一向に進まずイライラしていると、今度は別の宅配業者。ゆうちゃんが送ってくれた、やまだ紫の原画と原稿だった。

一昨日電話で聞いたところによると、その少し前にゆうちゃんが「バア」つまり祖母(=やまだの母=俺の義母)のところへ子どもたちと一緒に行った時に、それらが見つかったことを聞いたという。
やまだのお母さんは二人姉妹を送り出した後もずっと世田谷区内の団地に一人暮らしをしていたのだけど、去年の秋に建て替えで、近くのマンションへ一時引越をした。その時の荷物に「捨てるもの」「いるもの」という箱があって、何でも「捨てるもの」の方が気になって見直してみたら、何とやまだ紫の原稿が入っていたというのだ。
発見したお母さんは、手伝いに来ていた長女…つまりやまだの姉にそれを託し、ゆうちゃんが俺に送ってくれたということらしい。

「どじです」出て来たのは「COM」時代の「どじです」の原稿全24ページと、未発表の漫画作品一篇、未完成の漫画が一篇、イラストや詩などの画稿が少し(写真クリックでイラスト部分拡大)。
「どじです」は「COM」1970年3月号に掲載され、のちに彼女の初期作品集「鳳仙花」に収録された作品である。しかし『鳳仙花』刊行当時の1980年で、すでに「原稿紛失のため、それぞれ発表誌から転載しました」という三篇(「鳳仙花」「どじです」「はためく」)に入っていたはずだ。
この紛失三篇のうち、「はためく」は我が家に、そして「どじです」はお母さんのところ、つまり彼女にとっては「実家」にあったわけだ。「管理がいい加減」と後年彼女は怒っていたが、いやはや…。
手塚治虫先生の描いた「虫」の一文字が抜かれたロゴも神々しい、「虫プロ商事」(COMの発売元)の原稿用封筒。ところどころ破けて日に焼けているが、ちゃんと返却されていたんじゃないか…。
それとも、彼女は「あの頃の作品はどれも未熟で、漫画の描き方も知らない頃のだから恥ずかしい」と言っていたから、「わざと無いもの」にしているうちに、本当に忘却してしまったのだろうか…。

何度も何度も言ってきたが、この頃の「やまだ紫」は、「山田三津子」から孵化して間もない初々しさと、後の凛とした作風とを併せ持つ、とても魅力的な作家である。岡田史子に影響されて漫画を「作法」すら知らぬ状態で「青インクで」描きはじめてから数年。(岡田史子に影響されたというのは作風というより、漫画を描いて発表すること、その行為そのものである:「やまだ紫、「COM」との出会い」)
結婚や出産を経て戻ってきた『性悪猫』以降のやまだ紫もとても魅力的だが、「COM」時代の、何とも言えぬ哀切に満ちた「自己表現としての漫画」、作品群は今読んでも胸に迫るものばかりだし、彼女が後年詩壇から高く評価されることになる独自の「ことば」の輝きに満ちている。

19歳っておとな?この貴重な原稿のほかに、「COM」投稿前と思われる未発表の漫画も一本あった。
タイトルは「19歳っておとな?」、ペンネームは「山田実子」となっている。
内容は、残念ながらプロの作家のレベルではないが、一人の作家の成長過程を見るという意味においては非常に興味深い。
山田三津子は絵を描くのが幼い頃から好きな少女だった。高校の美術部に入るが、そこで教わったのは通り一遍のデッサンや基礎的な技法であり、「自己表現」「突出すること」は推奨されなかったという。大好きな絵を描くために入部したのに、残念ながらやりたくもない課題をいい加減にこなす鬱屈した日々を送ることとなった皮肉。
その時代のスケッチブックやレタリング帖、課題提出物なども残っている。以前これも書いたことがあるが(画稿の整理)、ひどい評価をつけられていて、彼女が楽しくなかった=課題もいい加減にこなす=低い評価=楽しくない、というループにあったであろうことがよく解る。
見つかった「山田実子」名義の作品は、そんな山田三津子という少女が、やがて傑出したやまだ紫という作家へと孵化する過程の幼生とでもいうべき形態なのであろう。これらを発表することは、彼女の本意ではないだろうし「やまだ紫」にとっては確かに「葬り去りたいもの」だったのかも知れない。

ただ、遺された者にとっては、愛しいひとの若い息吹の感じられる大切なもの。
ファンという立場から見ても、やまだ紫という「作家研究」にとってとても重要なもの、だ。


ワクチンの方は、その後すぐにI内科から「風邪の患者さんが来てしまったので、20分くらい後でもいいですか」と連絡があった。元より免疫力の落ちたこちらへのご配慮なので、もちろん了解。色々気を遣っていただいて申し訳ないです。
いったん着替えてPCの前に戻るが、一つ二つのファイル転送途中で止まってしまう。ホスティングサーバの会社にメールを入れて善処するよう頼み、時間になったので下へ降りる。

外に出ると日は射しているが、やはり今日の空気は冷たい。
クリニックに入り、問診票に記入。すぐに処置室へ通され、先生にご挨拶をしてから、ワクチン接種。季節性のワクチンを打ってもらった時と同じ看護婦さんに、右の上腕部に注射された。
「本当はちょっと休んでいただいたりするんですが、(白取さんは上なので)上で…(笑)」と言われたので、「安静にしてないといけないんですか」と聞く。看護婦さんは「そういうわけではないですよ」というので「買い物へ行っても…」と聞くと「買い物くらい大丈夫ですよ」と笑われた。「激しい運動」とかしなきゃいいんだよな、そりゃあそうです。
処置室を出て受付へ戻って、会計の時に「そういえば、もう一回あるんですよね、次は…」と聞くと、事務の女性二人は「いえ、もう成人男性は一回接種でいいことになったと思いますよ」とのこと。ワクチンのお願いをした時、電話でI先生に「白取さんの場合は二回接種した方がいいんじゃないか」と言われたというと、確認してえみます、と診察室へ行ってくれた。
すぐ先生ご本人が出て来て、ちょっと立ち話。
先生はやはり、俺の場合一度で抗体が正常に作られるかどうか疑問だし、年末の帯状疱疹=ヘルペスウィルスの件にしても、通常の人なら治るはずの方法で治らなかった、なので念のため二度やった方がいいかも知れないということ。
ただ副作用というか副効果の問題もあるので、一定期間、普通なら一週間以上あけて打つのだけど、俺の場合は二週間ほど明けて、それからにしましょうか…ということになる。
先生によると、今は季節性のインフルに関しては「患者さんどこ行かはったん?」というくらい激減しているそうだ。ただ新型に関してはじわじわきているそうだけど、世間一般では「感染力は弱い」とか「健康な成人には怖くない」というような、もう「終わったもの」的な気分が蔓延している。
俺も「一週間ほど前に京大病院行った時、暇だったんでマスク着用率数えたんですよ(笑)、そうしたら1割程度でした」と話す。先生は「そうなんですよねえ、だからマスクもそうですけどうがいや手洗いといった基本的な予防対策がおろそかになってきている感はありますね。だから(感染が今後)増えてくる可能性はあります」とのこと。
いずれにせよ、俺の場合は人混みにはなるべく出ないことと、外出したらマスクやうがい、手洗いを励行するという基本を守るということだ。
免疫力が落ちている癌患者とはいえ、他の患者さんがなるべくいないときに…というご配慮をいただいて、申し訳ない限り。御礼を言って出る。

そのまま、一乗寺方面へ歩いてスーパーで買い物。
買い物をぶら下げて戻ってくる時、何かを忘れた、何だっけ…とずっと考えていたが、三津子の花であることを思い出したのはマンションの手前だった。ああ、でも今来た道は戻りたくない。
そのまま部屋に戻って荷物を冷蔵庫へ収め、再び外へ。今度は逆方向にある大きいスーパーの花売り場へ向かう。こちらはお昼前後はけっこう客が多いので、わざわざ小さいスーパーまで行ったというのに、花を忘れて結局買いに来るとは情けない。三色の小菊、白いてっぽう百合を買い、コンビニでドリンクヨーグルトを買って戻ったら1時半近かった。

その後サーバは結局正常に動作しているという報告があり、こちらの回線バックボーンのせいだろうということ。結局データの転送完了までは接続と切断を繰り返して数時間かかった。昔、ダイヤルアップでネット接続していた時、夜11時になると「テレホタイム突入」で突然回線が重くなったのを思いだした。
外を見ると、青空なのにひらひらと雪が舞っていた。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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