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2010-01-24(Sun)

90年はふた昔前

1月24日(日)

朝、目を醒ましたらまだ暗かった。ぼんやりと天井を見ながら「あとどれくらい、こうして朝を迎えられるか」と考える。体調がいい悪いとかいうより、「その日」が一体いつになるのか切実に知りたい。
自分の体調は10年前と比べたら色んな意味で「すさまじく悪化」しているのだが、一ヶ月前と比べるとそれほど変化していない。毎日、全身に数え切れないくらいあるリンパ節のどっかが腫れてるんだか何だか、とにかく体調は健康な人に比べれば恐ろしく悪い。採血結果の数値を見れば何も知らない医者なら間違いかと思うだろうものだし。
ふとデジタル時計を見ると「5:55」だった。
まだ早いと思い目を瞑るが寝られず、結局そのまま8時前まで布団に入っていた。今日は抜けるような青空。
もの凄く低いところでのわずかな上下を繰り返しつつ、ゆっくりじわじわと死へと向かっていく日々だと自覚している。途中から、一緒に手を取り合って歩いてくれていた人もいなくなってしまった。体調がこのまま、もの凄く低いところまでじわじわと下がっていき、他人に迷惑をかけながらゆっくりと死ぬなんて嫌だな、どうせならスパッと…と切実に願う。今のところ最大の願いはそれだけだ。
そしてその時まではちゃんと生きる、ということ。

朝のことを済ませ、仕事にとりかかる。ここしばらくずっと忙しい。
おとといあたりでようやくメドがついたと思っていたのに、自分のミスで大量のデータの転送漏れを発見し、萎える。その作業をしつつ、合間にネットを探索したりするのだけど、結局テレビを日中一度も見ない日が続いている。そして何らそれで困らないことにも気付いてしまった。

ツイッターであれこれつぶやいている時、伊藤重夫さんの話題があって書き込んでいるうち、湊谷夢吉さんと混同して恥ずかしいことになる。
青林堂現代漫画家自選シリーズそれから二階の本棚を調べたら、あると思っていた当時の本がごっそり欠落していることを再確認。「ガロ」だけではなく「夜行」や「ばく」なども、いつの間にか失われている。もちろん捨てた憶えはないしそんなことをするはずもないのだけど、数度の引越でどうにかなってしまったのだろう。
その代わりというか、なくなったと思っていた青林堂の「漫画家自選シリーズ」が十数冊出て来た。あと自分が勤務してから出た単行本の初版(見本などを含む)が20〜30部ほど。懐かしいが、内容は全て鮮明に覚えている。本の内容は憶えているのに、その本が保存されていたことを忘れているというのはおかしな話だ。

それがきっかけで、HDDに保存されている日記データをあけてみたりした。
その時、「1990年」がもう「20年もの昔」であることに今さらながら驚愕。ついこの間、という感覚だったからだ。日記データを読み返したら、とんでもない昔であったことを再確認する。

90年当時というと、自分はとにかくこれからは必ず「電子化」時代が来ると思い、貧乏だったのにローンを組んで東芝の「Rupo」というワープロ専用機を買った。QWERTYボードなんか触るのも初めてだったが、当時担当していた作家さんで、いち早くワープロを習得していたマディ上原さんが、「キーボードに慣れるにはさあ、日記つけるといいんですよ」と教えてくれたので、毎日、とにかくワープロを使って日記をつけていた。
当時はまだパソコンは一般にはほとんど普及しておらず、ワープロ専用機全盛時代だった。データはもちろん3.5インチフロッピー(当時最先端のメディアだった)に独自のデータ形式で記録・保存をする。後にそれをPCで読み込むために、MS-DOSテキスト形式に落とし、それをさらにHDDにバックアップ保存しておいたものだ。
1990年、俺はもちろんまだ青林堂「ガロ」編集部に勤務しており、高島平の高層団地にやまだ紫…三津子と子どもたちと猫たちと暮らしていた。青林堂はあの神保町の「材木屋の二階」にあった。
俺はもう中堅編集者になっていて、先輩のYさんと後輩2人とで、忙しく走り回っていた。当時長井さんは高齢と健康上の理由で、「どこかに会社経営を代わって貰えないか」と言っていくつかの大手版元と交渉したが条件が合わず、その後、のちに経営を引き受けることになるツァイトと話がまとまって、俺たちは日中は編集と本出しや返品処理に営業に、夜は会議にと超多忙で奔走していた頃だ。

日記のデータには、克明にその日々が記録されている。

まあとてもじゃないが、世の中には出せないようなエピソードも満載で、やっぱり「20年」という歳月は大変な時間の経過であることを痛感させられる。ただもちろん、ここで言う「世の中に出せない」というのは自分の恥部という日記ならではの意味もあるが、それ以上に、内部事情、ある人の人物像・素顔みたいなこととか、「ガロ」に関わってはいたが作家さんには「絶対に知り得ない事実」とか、まあそういった話だ。
しかしまあこの当時の経営移譲の顛末や、その後の「ガロ」クーデター事件(97年・このあたりの記事参照ください)にしても、よくもまあ知りもしないくせに傍からウンチク言えるもんだと呆れる「事情通」も多い。
「見て来たような嘘を言い」というが、ここに克明な記録を持っている人間がいることをお忘れ無く。
(クーデター事件の直後に一方的にオルグされ、俺に一度も取材はおろか面会もせずにボロカスに批判しそれをメディアに発表したライターのNさんよ、俺が生きているうちに謝罪しないと、俺に許して貰えないよ? 武士の情けで名前は伏せてやるが、あんたずいぶん偉くなってんじゃねえか)
嘘も百回言えば本当になるとか、嘘でも声のデカい方が強いとか言うけれども、「真実」というものは一つしかないんだなあ。「事実」に対峙した時に人それぞれ「解釈」というものはあっていいんだけど、「事実」を歪める「嘘」はいかんだろう。

何せ俺は記録魔である、青林堂の株主総会の顛末などそうとうに面白い。宴会の時の席順、夜のカラオケの時の席順まで記録してあっておかしい。これらの日記を全て公にしたら大変面白いことになるのだが、まあ今のところはやめておく。世の中を騒がせるようなことは身辺が騒がしくなることで、それは病身には面倒くさいことだ。

インターネットなど一般の人が誰も知らなかった時代、「パソコン通信」とか「草の根BBS」とかそんな頃に、それを体験していた人たちはいずれ必ず世の中はネット時代になると思っていたはず。これほどまでになるかどうか予想していたかはともかく、95年くらいには冗談で「冷蔵庫にネット」とか「電子レンジにネット」と笑っていた。それらは今現実になっている。(さっくりジョンさん、そんな話をしましたね(笑)
余談ながら「携帯にひげ剃りついたりして」と冗談を言っていたのもその頃、もう15年前だけど、先日中国でそんなのが出たとかいう記事を見た記憶がある。
「想像力」がいかに大事かは我々メディアの端くれにいる人間なら、一番理解していないといけないこと。ただし「嘘」はもっといけないこと。
「嘘」は真実をねじ曲げることだけど、「記憶の欠落」「忘却」も事実を歪めたりしてしまう。(伊藤重夫さんと湊谷夢吉さんを混同するとは、最近物忘れが激しいので注意せねば)

それと、自分が「ガロ」崩壊以降、作家さんを含めて離れていった人たちと殊更に自分から接触を求めないのは、「嘘」を一度信じてしまった人への「配慮」もある。それと「忘れちゃった」という人との噛み合わないスキマを埋める面倒くささも。
みんな俺のような「記録魔」ではないのだから。

実際つい最近だが、当時もちろんネット環境になくネットすら知らなかったという作家さんから、「当時の状況を全然知りませんでした、後で冷静に振り返りネットなども見ると、白取さんに申し訳ない気持ちです」という言葉を戴いている。解って戴ければいいので、解って戴けない人へ声高に主張する気力も体力も時間も何もねえ。

ツイッター(日々のTLをまとめたログはTwilogに生成される)は簡単にそういう人たちとコミュニケーションが取れるのは知っているが、俺は別にフォロワーを増やしたいわけではない。十数年のスキマを埋めることは容易ではない。それに自分を心配してくれる人、気にかけてくれている人に生存を確認してもらうために始めたことなので、死ぬまで毎日頑張って生きることの方が大事なことなのだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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