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2010-06-14(Mon)

肺に穴が開いて入院

6月14日(月)

ここしばらく咳、痰が出るので何だろうと思っていたら、血痰が出るようになった。さらに数日前、就寝時凄い咳が出て、直後一瞬だが呼吸困難みたいな状況になった。さすがに病院行こうとは思ったけれど、何しろ週末のこと。なので月曜は朝イチで病院へ向かおうと、土日はおとなしくしていた。

月曜の朝7時半過ぎ、支度をしてタクシーで病院へ向かう。やたらと息が切れる。病院の受付は8時からだと思っていたら、実は8時半からだった。番号札を取って再来診療の申し込み書を書き込んで待つ。8時を過ぎてもまだカウンタは暗いまま。俺は9番で、俺の後も続々と患者が集まってくる。
病院外来受付の一階ロビーには大画面テレビが据えつけられていて、そちらを向いた席は患者でけっこう埋まっている。老人が多いが、この人らは予約患者だろうか。

8時半になりカウンタの明かりがつくと、座っていた患者らが数人立ち上がってカウンタを遠巻きに囲む。囲んだって番号順に呼ばれるのになあ。割合スムースに流れてすぐ呼ばれ、係に「これこれで血液内科にかかっているが、感染しやすいので何かあったらすぐ受診するよう言われている、今回は咳と血痰が出たので呼吸器を受診したい」旨を伝える。
受付はそれで終わり、あとはいつもの呼び出し器などを受け取る待ち。数分ですぐ呼ばれて2階の呼吸器科へ向かうが、何とエスカレータが点検中とのこと。エレベータは2機しかなく、それらはすでに大量の人を乗せて上がってったばかり。仕方なくゆっくり階段へ向かう。
どうも体がだるく息が切れるし、何より心臓がバクバクだ。俺はどういうわけか普段から心拍数が異常に多く、安静時でも90以上100前後。しかしそんなものじゃないぞこれ、と思いつつゆっくり階段を上がる。マスクが余計に息苦しい。

2階にある呼吸器科の外来で受付、外来担当の看護婦に言われて身長・体重、体温を測定。体温は平熱。それから問診票を渡されて、細かく記入。基礎疾患=白血病があり血液内科にかかっていることから、症状がいつからどのように起こったかなどなど。易感染状態にあるので、ひょっとしたら肺真菌症かも…という余計なことまで細かく記入して提出。

しばらく椅子に座ってぐったりしていると、さっきの看護婦さんが来て紙を数枚寄越し、採血と喀痰検査と胸部レントゲンを撮って、またこちらへ戻ってくるようにと言われる。まず同じ階の採血受付の列に並んで受付。喀痰採取用のプラ容器と受付番号を貰うと254番。表示を見るとまだ190番台。朝イチで来たというのに、何ということでしょう。
トイレの洗面所へ行き、カーッ、ペッと(失礼)痰を容器に出す。やはり血が少し混じっていた。フタをして容器と一緒に渡された受け皿みたいな器へ載せて受付の女性に渡し、あとは座って採血待ち。15分か20分ほどで採血室に入り、さらに5分ほど待って採血。
何と試験管8本。これまでで最高の本数だった。

実を言うと、ここ一ヶ月ほど変な咳が続いていた。喉がイガイガして朝はよく痰が出るようになった。とはいえ、自分は免疫力が低下した状態にあるので、普通の人なら何でもない程度の風邪が悪さをしているのだろう、くらいに考えていた。体温は毎日測っていたが、ずっと平熱だった。
しかしそのうち痰に血が混じるようになり、時折胸痛を伴うようになった。しかし相変わらず熱はなし…という状況から、勝手にこれは肺真菌症かも知れないと思った。これまた普通の人なら何でもないカビや雑菌が肺に入り、免疫力の低下した人に悪さをするというもので、自分の場合昨年末の帯状疱疹「劇症化」の経験から、もっとも疑わしいと勝手に自己診断したわけ。
その場合も当然何の菌かを特定してそれを殺す薬が必要になるので、そのために採血による検査は必須。通常の採血に加え、細菌検査の分もあり、いつもより本数が多いのだろう。

採血を終え、老人のようにゆっくりと歩いてエレベータで地下へ下りる。受付へ用紙を出すと、そこはMRIの受付で、女子事務員に「レントゲンは中央棟1階ですので…」と気の毒そうに言われた。そういえば前にも間違ったことがあるなと思いつつ、再びエレベータに引き返す。そうして長い廊下を歩いてレントゲンの受付へ向かったわけだが、このあたりの「歩き」がけっこうしんどかった。とにかく息苦しい。酸欠とまでは言わないが、しんどい、だるいという感じ。ようやくたどり着いた撮影室前の椅子に座ったらくたくた。心臓の鼓動が凄い。そしてやけに汗が出る。

割合すぐに呼ばれて撮影を終え、呼吸器の外来に戻るためにゆっくり歩いてエレベータに向かう。もうこの時点で階段で行くなどとても無理だった。体が重く、歩くのさえしんどい。受付にたどり着いて検査を終えた旨伝え、あとは診察室に呼ばれるのを待つだけで、椅子に座り込む。
そのままひたすら待っていると、1時間ほどして突然呼び出し器がブーと震えて診察室へというので、慌てて中待合の方へ向かう。

診察室には若い医師がいて、挨拶もそこそこにレントゲンを見せられ、「肺に穴が空いてますねー」と言われる。「え?」と仰天。いわゆる気胸というやつだ。レントゲンを見ながら説明を受けるが一目瞭然、普通あるべき右肺の壁がへちゃっと半分ほどに潰れている輪郭が、薄く見える。穴は肺の上部に空いたらしく、そこから漏れた空気が肺を包む膜の中に溜まり、本来一杯に膨らむべき肺を圧迫して縮めているわけだ。
「しんどかったでしょう」というのでもちろん「はい…」と肯定。片肺じゃ息苦しいわけだ。また酸素を全身へ行き渡らせようと、心臓も必死でバクバクと動いていたわけで、何というか、色々と大変な状態であった。

結論から言うと、即入院。

とにかくあまり動かず安静にしていないといけないのと、まず漏れている空気を抜き、肺をちゃんと膨らませてやり、開いた穴をふさいでやらないといけないという。
もし肺真菌症なら「投薬で様子見」とかないかな、入院になったら嫌だな…とは思いつつ、血痰まで出たんだから入院かもな、という思いと半々だったが、悪い方へ転んだ。
しかし気胸とは予想外。

「入院となると荷物を取りに行って戻ってこないとならないんですが」と言うと、すぐに処置をしないといけないらしいし、なるべく動かない方がいいのだが「お一人なら仕方ないですね」ということで、2時までに戻ってくるように言われる。くれぐれも気をつけて、何かあったらすぐ病院へ連絡を、と言われた。この時点で12時過ぎ。

ゆっくりと診察室を出て、下りだけは動いているエスカレータに重い足取りで向かう。回廊から下を見ると、会計には長蛇の列。あんなのに並んでる余裕も体力も気力もないな、と思い、そのままそろそろと出口へ向かい、タクシーで自宅まで戻った。
タクシーが病院の敷地を出ると、持っていた呼び出し端末が「ピッピッ」と短く鳴りだした。それを聞いた運転手が「会計をしないで病院から離れるとそうなる」と教えてくれたが、入院と言われたので支度してすぐ戻ることになったというと納得していた。

タクシーを降りると、マンション下のI内科の中で、奥さんが午前の診察を終える作業をしているのが見えた。一瞬どうしようと思ったが、ブラインドを下ろしてしまった感じなのでそのまま行こうと思いつつ振り返ると目が合ったので戻ると、やはり向こうも気づいていたようで、すぐに開けてくれた。
先生の奥さんにこれこれと説明すると驚かれ、先生には伝えておきますと言ってくれた。

ようやく自宅へ戻ると、ソファの上にユキが香箱を作って眉間に皺を寄せていた。たぶんこっ早くから起きて病院へ行ったので、ユキは自分が降りてきたら俺が居なくなっていたのでさんざん探して泣いたのだろう。申し訳ないがこれからしばらくまた会えなくなる。

猫の朝ご飯と水の取り替えは済ませていたので、とにかく入院支度。少し動くと息が切れる。もう京大への入院も3度目、たった一人で入院するのは2度目。最初は胆石発作が続いて、胆嚢摘出手術を受けた。その時は連れ合いの三津子も生きていたので、あれこれ準備をしたり、東京から来て会う約束をしていた教え子たちへの対応もしてくれた。
次は去年の10月、帯状疱疹が劇症化して一ヶ月の入院。三津子はもうこの世にはおらず、その上猛烈な痛みとの戦いで、ほんとうに辛い日々だった。

入院支度に慣れてしまうというのも困ったものだが、実際慣れている。タオルと下着はたくさんあっても困らないので多めに。箸は自分で用意なので箸箱、はさみやカッターは意外とないと困る。病院内を歩くサンダルかスリッポンのようなものもいる。個室が取れなかった場合、相部屋にDQNが入ったら地獄なので耳栓も必須。爪切りもいる。カミソリやティッシュも何も、病院で買うと高い。パジャマは洗濯の手間を考えたら一日70円で借りた方が遙かに楽なので不要。俺には欠かせない滅菌用アルコール消毒ジェルは病室前にあるはずだが、身の回りにスプレーがあると安心…。

それら小物はすぐに用意したが、肝心なのはPC。何より仕事に穴をあけられないので(肺に穴はあいても)、モバイル端末とノートPC、外付けHDDなどをカートに詰める。それにタオル下着その他小物を詰めたボストンバッグ、それとショルダーバッグ。けっこうな大荷物になった。

一息ついて、まずゆうちゃんに電話して入院することになったと伝え、お袋にはメールをし、明青の渡辺さんに電話する。猫の世話をまたお願いしないといけなくなった。渡辺さんは「いいよいいよ、次から次と可哀想にねえ。猫ちゃんの方は任せておいて」と言ってくださる。本当に何度も申し訳ない限りだが、夫婦ふたりで移り住んだ京都、親戚はおろか友人も知り合いもいない、もしこのご夫婦がいて下さらなかったら…と思うとぞっとする。

渡辺さんへ猫エサとトイレのことを紙に簡単に書いてテーブルに置き、用意した荷物を全て持って外へ出る。ついでに溜まっていたゴミ袋も。当然フウフウと息が切れて脂汗が出る。まずゴミを捨ててからボストンバッグを持ちカートを引いて、北大路に出る。タクシーはこの時間東方向へはほとんど来ないので向かいへ信号と踏切のタイミングがうまく合った瞬間を利用して、ゆっくり渡った。とても走れない。

あとは病院へ行くだけ…というところで一つやり忘れたことに気づく。猫トイレの交換シートと玉砂の予備を「出しておきますから」と言っておいたのに、忘れてきてしまった。まとめて発送してもらったものなので、箱から出しておかないといけない。
すぐに再び道路を渡ってマンションに戻り、部屋へ入る。く、苦しい。いったいこれは何の罰ゲームなんだよ、誰だか知らないがどんだけイジメれば済むのかと呪いたくなる気持ちを抑えつつ、積んである段ボール箱からシートと玉砂の袋を出して、居間のソファの上に並べて置き、寄ってきたユキをなでて「すぐ戻ってくるからな」と言い聞かせてドアに鍵をかけた。

再びバッグとカートを持って北大路を渡ろうと思ったが、もうとても足が動かない。
しばらくそこに佇んで息を整えていると、幸い東に向かうタクシーが通りかかってくれたので、乗り込んだ。運転手は70歳前後の人で、俺の荷物と向かう先で「入院ですか」というのでこれこれこうでと話すと、自分の知人も心臓にペースメーカーを入れて元気にしてますわ、前向きで頑張って下さいねえと言ってくれた。月並みやけど、病は気から言いますからなあ、と。

病院の正面玄関に着いたら2時10分前。荷物をカートに入れて押して行こうかと思ったが返しに戻るのもだるいと思ってそのままゆっくりエレベータで2階へ。途中カートなんか看護婦さんに返してもらえばいいんだよな、入院するんだから…と思い直したがもう遅し。
ヒイヒイ言いながら呼吸器内科の受付にたどり着いて「入院と言われて支度してきたんですが」と告げると、事務の人にとても怪訝そうな顔で「え…?ここに?」と言われる。「ここに来るように言われたんですが」と言うとどこかへ電話して、納得した様子ですぐに処置室へ案内してくれた。早足で先導してくれるのはいいが、こちらはふらふらでゆっくり歩くのが精一杯、しかも荷物は持ってくれなかった。

処置室にたどり着くと事務の人はさっさと戻ってしまい、看護婦にすぐベッドに座っているように言われ、やれやれと腰を落とす。すると最初に俺に検査をしてくるように告げた外来担当の看護婦さんが近くにいて何やらPC画面を見ていたが、振り返って俺の顔を見ると「やっぱり入院になっちゃいましたねえ」と気の毒そうな顔をしていた。
脈と酸素濃度を測るクリップを指に挟まれておとなしくしていると、すぐ車椅子が用意されて、酸素ボンベから鼻にチューブで酸素吸入。いきなり重病人になった気分。
酸素の濃度は91から93と低い。帯状疱疹など入院時はバイタルでよく測定されていたが、98から99が普通だったはず。さらに驚いたのは脈拍で、150を軽く超えていた。俺は元々心拍数は高めなのだが、それでも99〜105といったところ。やはり心臓に負担もかかっていたのだろう。

呼吸器科の入院病棟は「南西病棟」と言って、文字通り病院の広い敷地の南西に位置し、中央棟とは少し離れたところにある。ここからはシャトルバスで行きますからね、と説明された。電話で2時15分に玄関に一人向かいますから、と話していた。そういえば外来に来ていた時によく、中央玄関の脇にマイクロバスが停まり、後部からリフトで車椅子の患者を降ろすのを何度も目撃したものだが、まさかあれに自分が乗ることになるとは思わなかった。あれはどこかの外部施設から検査か何かで連れて来られた患者なのだろうと勝手に想像していたが、同じ病院だが離れた病棟の患者だったというわけだ。

2時過ぎ、すぐ看護助手のおばちゃんに押してもらい、正面玄関へ向かう。つい今しがた自分で全ての荷物を持って通ってきた道を、車椅子を押してもらい酸素付きで逆に戻るわけだ。とりあえず車椅子を押して連れてきてくれた助手さんは、後から来るはずの荷物を「遅いですね、ちょっと見てきます」と言って戻っていった。
車椅子に座ったまま俺は病院の入り口脇で空を見上げる。梅雨入りしたというのにさわやかな風で青空まで見える気持ちの良い陽気。でもこれから入院。
まもなく別の看護婦さんが荷物を持ってきてくれ、様子を見に戻った助手さんとは会わなかったという。すぐシャトルバスが到着、載せてきた車椅子の患者2人と付き添いの看護婦などを降ろした後、まず車椅子のおばあさんを一人乗せておばあさんは席に移り、車椅子を畳んで壁に固定し、次は俺が車椅子に座ったまま積み込まれ、がっちり固定され出発。途中南病棟の方へ寄り、そこで車椅子の患者をもう一人積み込み、看護婦さん二人を乗せて南西病棟へ。
病棟1階はこれまで入った病棟に比べると狭く、エレベータの脇の売店もかなりコンパクト。向こう(中央)の売店&コンビニに比べるともの凄く小さくて驚いた。

呼吸器の病棟は5階。看護婦詰め所の隣が処置室で、俺が来たと告げるとすぐに若い医師と研修医2人が出迎えてくれ、さっそく「処置」にかかるという。若い医師が説明してくれるが「処置」というのは、まず潰れている肺と、肺を包む膜の間に外からドレーンを入れて、溜まっている空気を抜いてやらなければならないということ。空気がうまく抜けて、さらにその結果肺がちゃんと膨らむようなら、第一段階はクリア。まずはそれをやらなければ始まらないらしい。
とりあえず服を脱いで、パンツ一丁になり、パジャマは病院のをお願いしたいと言うとすぐに用意してくれたので着替える。簡易ベッドがあってそこに腰掛けると、一応「手術」になるので、同意書を書くように言われてサイン。あれよあれよという間に、すっかりそこは手術台になってしまった。

説明によると今回はレントゲンの所見と触診した結果、右肋間の方が良さそうなので、肋骨の間をメスで切開し、そこにルートを確保し、胸腔内にドレーンを挿入。空気を抜くわけだが、穴が開いて時間が経っていた場合はうまく膨らまない場合もある、また希にだが大出血を起こす場合もある、また…と起こりうる「最悪の可能性」も含めて説明を受けた。まあフランクで面白い人だったので、こちらも「痛くしないで下さいね」などと冗談を言いつつ「すぐにかかりましょう」という段取りに。

俺は左を下にして横臥する形になり、「このまま20分くらい大丈夫ですか」というので大丈夫だと応える。
まず入念に消毒をされたあと、先ほど説明をしてくれた医師が研修医に、触診したあとどこを切ってどういう風に入れるのか…など細かく説明しているのをじっと聞いている。「あれ、研修医クンの方がやるの?」と不安になったが当然黙っていた。手術用の患部が開くようになっているシートを右半身にかけられ、研修医が注射で丁寧に麻酔を打ってくれた。
しばらくして「これ、痛いですか?」と聞かれたので、ピンセットみたいなのでつままれる感触があって痛かったのでそう言うと、麻酔をさらに追加。
それが効く頃合いで、いよいよ執刀。切るのは1cmくらいらしい。麻酔が効いているので切られる痛みはないが、まあ気持ちの良いものではない。5年前、日大病院で左肩のリンパ節を生検のために切除する時に局所麻酔で手術を受けたが、そのときのことを思い出した。
背中をつう、と自分の血が伝うのが解る。
「じゃあコッヘルで」「ひろげるようにして…」「もうちょっと押し込んで」「あたる?」「その感触覚えといてな」とか色々指導されているようだ。俺は実験台なのか。でも何事もこういう経験を経て皆熟練した医師になるわけで、立派な先生になってくれよ。

それにしても、最後に胸膜なのか、異物が突き破って入ってくる「あの感じ」は筆舌に尽くしがたい。これまでは骨髄穿刺=マルクの痛みが最悪だと思っていたが、今回の方が痛みも強く、ブツリ!〜グイグイグイと押し込まれる時間も長いので思わず「イデデデデ!」「痛い痛い痛い!」と声が出て、最後は「いっってええええ!」と処置室中に響く大声を出してしまう。

まあとにかく無事にドレーンが挿入され、ルートに器具が固定されて、胸腔内の空気を排出。「うまく抜けたようですよ」と言われて一安心。その後はルートにチューブが取り付けられ、血と体液が混じったような液体が排出されて溜まる、プラスチックか樹脂製の箱(チェスト)と一緒に歩くようになった。その箱を両足で挟むようにして車椅子に乗せられ、病室へ移動。その間、看護婦さんにトイレの場所やら風呂の場所を教えて貰うが、しょせんドレインが入ってる間は風呂は無理だ。

病棟の個室は埋まっており、病室も一杯とかで、通常は検査などに使う部屋をカーテンで仕切り、個室が2つあるかのようにしてある部屋に入れられた。南西病棟の南向きの部屋で、目の前にはどこかのお寺なのか、瓦葺きの大屋根が見える。
麻酔が効いているので、今のところは切開し管を入れたところの鈍痛はたいしたことはなく、鼻に常に酸素チューブがあるのと、肺から伸びた管&箱をゴロゴロしながら歩かねばならないのがわずらわしいというところ。

前回、半年ちょっと前の帯状疱疹悪化、いや悪化などというレベルではなく「劇症化」しての入院は、とにかく痛み、絶え間ない激痛との戦いだった。ウィルスが神経を直接食い荒らすように破壊していったわけで、痛みはこれ以上のものはないだろうと思う。
その前の胆石の発作による痛みも尋常ではなかったが痛みという度合いでいけば、帯状疱疹で右の背中から腹部にかけて、かなりの部分の神経がやられた時に比べればまだマシだった。
とにかく何をするにも考えようにも「激痛」が全てをブチ壊し全面に出てくるので、何も出来ないし考えられなくなる。指先一本動かすのさえ激痛と闘わねば出来なかったし、時にモルヒネでさえ何の役にも立たなかったほどの痛みの連続は、本当に「生きる」という本能も含めたあらゆるものを捨て鉢にさせるのに十分だった。

それに比べれば、今回の「苦痛度」はたいしたことはない。

他人さまに猫の世話などの迷惑をかけて入院することの申し訳なさという「精神的苦痛」を除くと、切開・挿管部の痛みはロキソニン1錠で安静にしていれば痛まないレベルであり、もはや俺にとってそんなものは苦痛ではない。酸素やらドレーン箱やらをガラガラくっつけて歩くのも、苦痛というよりは面倒というレベル。本物というか最悪の「苦痛」を経験しているので、しんどいし面倒だし嫌だなあと思いはするが病気なんだから仕方がないと思える余裕がある。それほど、あの帯状疱疹の劇症化は「生き地獄」だった。

この日はその後一度レントゲンを撮りに降りたので、売店に寄ってもらってテレビカードと水、お茶のペットボトルなどを買って戻る。あとで医師が説明に来てくれ、レントゲンによると、ドレーンの結果うまく溜まっていた空気は抜けたし、肺もその分広がってくれたようだとのこと。これでしばらく様子を見ましょうということになり、こちらは出された夕飯をもりもりと食べる。

…気胸の治療が(今のところ)成功したのはよしとしよう。しかし、ここ一ヶ月ほどケンケンと小さく乾いた咳が出ていて、やがてそれが痰を伴うようになり、血痰が出て、肺に穴が開いた。肺に穴が開いた、という結果への対処はこれでいいとして、では元々の咳と痰が出ていた症状は「じゃあ何で?」という疑問が残る。
採血の結果ではまだ肺真菌症の原因菌の検査結果は出ておらず、そこら辺もやもやしたものは残るが、心臓の異常な鼓動はおさまり、咳の回数、痰も劇的に減って楽になった。このまま何もないといいのだが。

この日は夜11時から、楽しみにしていたサッカーW杯、日本の初戦・カメルーン戦の日だ。よりにもよって何で…という感じ。病棟の消灯時間は一応10時だが、ここは相部屋ながら今はもう片方に誰もいない、つまり個室状態なので、消灯後にテレビを見ていても看護婦さんからうるさく言われないことは知っている。
なので消灯後にレンドルミンを飲んでから、カメルーン戦を見る。
日本は予想以上によく動いていて、フィジカルで勝る相手の攻撃も組織的にうまく封じている印象だった。これで決定力さえありゃあな、と思っていたら、松井のクロスに大久保がおとりになった形で相手DFが引きつけられ、結果開いたスペースに回り込んでいた本田の足下へドンピシャ&ズドン。日本ははじめて、W杯で日本以外の国で得点を挙げた。
前半は1−0で終了し、いやあすごいと思っていたらハーフタイムのうちに寝てしまった。やはり日中片肺でへとへとになった疲れもあったのだろう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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