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2010-06-27(Sun)

このまま開胸手術へ?

4時半に目が覚める。
ちょっと挿管部が痛かったので、ロキソニンを飲み、テレビをつけてW杯ガーナ対アメリカを見ていると、また眠くなってきた。その前に行われた韓国対ウルグアイ、韓国は善戦したが敗退したらしい。テレビは1−1で延長に入り、その前半、ガーナが1点を入れたあたりで眠気に耐えきれず二度寝。看護婦さんにバイタルで起こされた後三度寝。

8時朝食が来て完食、その後はさすがに起きていたが、今日は看護婦さんの出入りもあまりなく、目を瞑って音楽を聴いているうちに寝てしまう。2時間ほどして目が覚めると、背中はぐっしょりと寝汗。胸水よりも、この「盗汗」に水分を文字通り盗られている方が多いような気がする。

午後、看護婦さんが身体拭きのタオルを持って来てくれたので、背中だけは拭いてもらってかゆみ止めの軟膏を塗ってもらい、あとは自分で拭きながら世間話。去年連れ合いがここで亡くなったと話すと驚いていた。誤診から膵炎が慢性化して、1型の糖尿を発症していた、ここ数年はインスリン自己注射で、高血圧もあったから…というと気の毒に、と言われる。この病棟には糖尿の患者さんもおられるので、そこら辺のことはよく解るのだろう。

それからは病棟の外の工事か何かの騒音に悩まされた。窓を閉めていても全く遮断出来ない音で、そのうち「ゴゴゴオオオー」という何の工事だか機械だか知らぬが、もの凄い重低音がし出した。低周波というのか、腹や頭に響く不快な振動と音で、そのうち頭痛がしてきた。
いやはや日曜の病院で体験する音じゃないぞこれ、という感じ。ヘッドフォンで聴く音楽とは別種の低周波音(…そう、相部屋の時の兄ちゃんの大声のような)なので、とてもごまかせない。仕方なく目を閉じてじっとしていたが、頭痛で眠れるはずもなく、ひたすら我慢。

夕方5時前、ようやく工事は終わったようで嘘のようにシーンと静かになった。いやこれが本来の姿か。
先日のカンファレンスの時に立ち会ってくれた看護婦さんが来て、明日の気管支鏡検査を「苦しくないといいですねえ」と言ってくれる。胃カメラも飲んだことがないので不安はあるが、もっと大きい不安材料を肺の中にたくさん抱えているので、調べてもらうに越したことはない。
その後ベッドの頭の方を30度ほどに起こしたかたちで寄りかかっていると、どうにも咳が出る。そして正中のあたりに胸痛。ドレナージ中に他の嚢胞=ブラが破裂するということも別段珍しくないらしいというから、ちょっと心配だ。気胸経験者のサイトや記述を読むと、穴が開くと呼吸時に独特の違和感があるので、慣れるとそれが解るようになるという。
自分の場合、入院してしばらくはボキ、ボキという(音がするわけではないものの)鈍い違和感が右肺の上部にあって、それはレントゲンで言われた穴が開いたという場所と一致していた。その後ドレナージを継続していると穴も自然に塞がってきたのか、徐々に咳が減り、呼吸も楽になってきた。
ドレーンから伸びるチューブの先につながっている、胸液を溜めるドレーンバック…通称「水槽」…には呼吸によって上下するよう青い液体が入れてあり、思い切り息が吸えるようになると、吸って喫水線を上限まで上げたり、わざと咳をしてゴボゴボ泡立てたりして遊ぶ余裕も出てくる。
しかし今日の夕方からまた咳が頻繁に出るようになってから、気がついたらこの青い液が上下しなくなった。体勢を前屈みにするようにしてある特定の角度を取ると、ようやく弱々しく上下するという感じ。まあこんな観察していても事態が良くなるわけでもなく、ただの暇潰し。

6時、夕飯は味のない青梗菜のごま和え以外は完食。いつもご飯のおかずが足りなくなるので、「ごはんですよ」とふりかけは必須アイテム。不思議と飯を食っている間は咳が出ない。食後の薬を飲んでお茶を飲み、ベッドの上にあぐらをかいてテレビを眺めて…となるとまたケホンケホンと咳が出る。咳を強くすると肺に良くないので出来ればしたくないが、耐えられるものではない。なるべく肺に圧をかけないよう注意しつつ咳をする。
食後1時間近く経つと痛み止めが効いてきたのか胸痛はなくなり、咳も落ち着いてきた。

ニュースでは、例の賭博問題による、日本相撲協会の外部調査委員会の記者会見の模様をやっていた。大関琴光喜は引退届けを出しているが受理されてはおらず、このまま退職金や慰労金が出ない解雇や除名になる恐れもある。とりあえず名古屋場所をどうするかという問題と、力士や親方の処分を話し合った結果ということで話し合いが行われた。複数の力士が謹慎以上の処分、賭博に関わった力士を出した部屋の親方や理事も謹慎などの処分を行うことを条件に、名古屋場所を開催していいということらしい。

まあしかし昔から相撲を見てきた側からすれば、有名な大鵬の菱形代紋入り化粧まわしとか、昔から地方興行にからんだ暴力団とのつきあいやタニマチとしての直接的な関わりなどは「常識」であり、言わずもがな・見て見ぬフリで放置されてきたというのが実際。
あくまでも相撲は「神事」という「体(てい)」で行われる「興行」で、そこら辺も「怪力無双の異形の大男の力比べという見世物」が事実であっても、そこは見る方も了解して見ているわけで。何というか社会にはグレーな部分もないと面白くない的な、建前とは違う生臭いものが面白いという部分も確かにあった。
お相撲さんは昔っから花札や麻雀といった可愛いもの(金額がもの凄い場合もあるが)から、暴力団の仕切る野球賭博やノミ競馬などにはまったりというのもまた、有名な話。
けれどこうして現役の大関が暴力団員に賭博の勝ち金の集金を頼み、それをネタに逆に恐喝され金を取られゆすられる…なんてことが明るみになった以上、タダでは済まないだろうな。

それにしても、先日の協会の武蔵川理事長(元三重ノ海)以下、理事が行った記者会見の酷かったこと。用意された謝罪文をただ棒読みし、記者からの質問には睨んでの逆ギレで返すという「謝罪会見」とはほど遠い状態だった。何かの番組では危機管理の専門家が呆れ気味で「あの場は自分たちの言い訳を強弁する場ではなく、謝罪し説明を求められたことに誠実に答えていく場なのに」と言っていた通り、全く危機管理のなっていない体たらくだったという印象。
少し考えれば、協会の理事といっていい年の恰幅のいい人たちが揃っているとはいえ、彼らは元々お相撲さんである。お相撲の世界で理事まで行くというのは通常、横綱や大関クラスに上り詰めた人がほとんどで、つまりは、言い方は悪いが「相撲バカ」だ。要するにそういう色んな意味で相撲バカじゃなければ頂点まで行けないほど、過酷な競争社会でもある。
そういう人たちが記者会見という場で、手ぐすね引いて待ち構えている百戦錬磨のマスコミに対峙したわけだ。その場その場で最善の回答を引き出せるほど、彼らは高度な危機管理能力も持っていないだろうし、うまく切り抜けられる語彙も持ち合わせていないことが、ひしひしと伝わってくる。
そういう場合、往々にして人間性がモロに態度に現れてしまうわけで、武蔵川理事長は記者を睨み付け逆ギレしたし、別な場面での陸奥親方(元霧島)は困ったような笑みのまま黙っちゃったりするわけだ。もちろん霧島っていい人なんだろうな、と思った(ちなみに現役時代からよく見ていたが、姉さん女房を大事にする好男子である)。
それにしても大嶽親方(元貴闘力)、元々名門双子山部屋〜藤島部屋で初代貴ノ花の薫陶を受けた闘志溢れるいい力士だったのになあ。不祥事の後を受けて、まだ若かったのに引退してまで部屋の再興に取り組んでいた時津風親方(元時津海)も残念だ。
現段階で15人ほどの力士が「謹慎」になるらしいが、名古屋場所の取組は果たしてそれで成立するんだろうか。番付上位になると外人対外人がやたら増えそうな気もするし、別な意味で見逃せない場所になりそうではある。

そんな感じでベッドの上に座っていたら、ドレーン挿管をしてくれたH研修医が、カンファレンスの時の看護婦さんを伴って来てくれた。
昨日も今日もガーゼ交換してないけど、自分は易感染状態なのに大丈夫ですか、と言うと念のためガーゼを剥がしてみて目視のうえ「じゃあすぐに交換しましょう」ということになる。看護婦さんとH君が一旦道具を取りに出て行った後、右手を上に上げたままガーゼが剥がされた挿管部をチラと見るが、ちょっと嫌な匂いがする。これは雑菌感染してないかなと心配。
すぐに戻ってきたH君がイソジンで丹念に消毒してくれるが、やはりこれまでと違って消毒がやけにしみて痛い。通常は2〜3日にいっぺんで十分だとのことだけど、俺の場合好中球数が少ないし、感染のリスクは高いはず。次からは2日にいっぺんは生食(生理食塩水)で洗って、まめに消毒して交換しましょうということになる。

それが落ち着いてから、気胸の話。
俺ももうだいたいのことは解ってしまったので、遠慮無く聞く。
「今回のドレーンで穴が塞がっても、結局それじゃ再発しますよね」
「例のブラ=嚢胞がたくさんあって、それらを完全にカバーするにはやっぱり開胸でやってもらう方がいいんですね」と話すと、H君も
「そうですね、内科的な処置というとどうしても血液で癒着させる方法になるんですが、それも完全に再発を防げるものじゃないですし、実際に何度も繰り返される患者さんも多いです」
「なので個人的には検査のあと外科へ移られて、そのまま開胸手術でカバーリングをキチッとやった方がいいと思います。そうすれば再発のリスクは大幅に減りますし、縦隔のできものも取ってしまえますし」とのこと。

いやもう、正直を言うとここ数日で俺もそういうことはじゅうぶん理解してしまった。なので、後はこのまま外科で手術という事態を受け入れるかどうか、という自分の判断の問題なのだ。
H君は「患者さんが望まれない、同意のない手術は出来ませんから…」と言うのだけど、俺はこのまま検査〜結果判明まで1週間、外科で手術〜退院までで2週間ちょっと…ということを考えると、気が重いという状態。
つまり猫の世話をお願いしている「明青」の渡辺さんに長くご迷惑をおかけする心苦しさ、しかし「今回はドレナージが終わったら退院させてください」と言って出たところで、ブラがあれだけ両肺に多発している以上、100%気胸は再発することも知っている。

軽いか重いのかは再発してみないと解らない。別な場所にまた、あの激痛を伴う胸腔ドレナージをぶち込まれるのか、あるいは自然治癒を待つのか、はたまた手術になるのかは不明。運次第だ。
つまりこのまま「手術はイヤです!」と言って退院しても、数日後か数ヶ月後かはともかく、ブラがあれだけの数ある以上、必ずどこかが破れて気胸は再発する。これはもう確実なのだ。
多い人は5回、10回と再発させることも知っているから、結局その都度また渡辺さんご夫婦にご迷惑をおかけすることになる。
それにまたいつ破裂するか=気胸が再発するかに怯えてビクビクしながら暮らさねばならないのも、辛い生活になる。ならばここで外科的に開胸手術をして、視認できるブラは全てカバーリングしてもらい、ついでに若干とはいえ大きくなった縦隔腫瘍も取ってもらい、心配な小さな影たち…リンパ節かも知れないが…の細胞も取れるし、もっとも効率的かつ確実な選択なのだ。
もう、そのことも自分で理解してしまっている。

ただ明日の気管支鏡(ここで組織が取れれば取るし、肺胞内を洗って何らかの菌が入り込んでいないかなども調べられる)検査、頭部MRIやPETで「他に病変がないか」を調べた上で、肺に集中…という段取りを踏んでいる途中。
それらを終え、他に何も見つからず、かつ呼吸器内科の結論として、呼吸器外科での開胸手術をお勧めするとなれば、もはや断る理由はない。
ただ、術後の地獄のような痛みとの戦い、何てことはないくしゃみや咳が地獄のように痛むあのベッド上で身動きの出来ない状態がまた…と思うとブルーになるのは事実。「何でこんな目に…」と考えなくもないが、仮に基礎疾患であるところのリンパ性白血病の進行がこれまで通り緩慢であるということであれば、不幸にして「新たに」両肺に多数出来てしまった嚢胞=ブラという「気胸の元」はいっきに取り除いて貰った方がいい。
つまり今後どれだけあるか解らない、残りの人生のQOLを前向きに考えれば、選択は一つだし決断は早いほうがいいに決まっている。

ぐじぐじ悩んでも結論は一つしかない、やれることはやる。結局また「死ぬまでは前向きに生きる」ということの確認だ。
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コメント

EddyNanako様

コメントありがとうございます。
手術かどうかは確定ではありませんが、どう考えてもあれだけ多数のブラがあれば再発は確実で、そう考えればその都度病院に駆け込む~入院したりという状況より、最初に大きい手術ですっかり治して貰った方がいい…という了解です。
まだ診断がはっきりついていないので先生方は仮定での話になるとはいえ、同じようなことを言われてますし。
何とか前向きに考えて頑張ります。

前向き

一週間ほどの出張でPCから離れている生活をしていたら、いつのまにやら白取さんは気胸で入院、そして今は手術のことで判断中という、あっという間の展開。
でも、このブログを読んで安心しました。
入院してから、心の不安はあるものの、それを冷静に客観的に書き続け、そして今日の結論。「やれることはやる。死ぬまでは前向きに生きる。」
実際に手術になるかどうかはテストの結果にもよると思いますが、一時も早く気胸(ブラ)が治癒することをお祈りいたします。
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Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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