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2010-07-01(Thu)

PETで集積反応が出てしまった。

夕べは11時ころには早々に寝て、今朝は5時半に起きる。完全にジジイ。
今日はPET検査のため朝飯抜きゆえ、下の自販機で水を買って戻る。朝の薬はそれで飲んで、バイタルの後ひたすら時間潰し…と思ってるうちに寝てしまった。8時過ぎに日勤の看護婦さんが検温に来たが、俺が半身起こすと背中がびっしょり汗で濡れているのを見てびっくり。タオル持ってきてくれ、パジャマも上だけ取り替える。基礎疾患と体質の相乗効果で、もうしょうがないんだけどね、これは。

8時半ころ、検査に行くバスの時間になり助手さんが迎えに来た。車椅子に座って「水槽」(ドレーンバッグ)をまた点滴スタンドから外し、足で挟むスタイルで移動。
今日は薄曇りで、暑くなりそうな気配。バスは朝イチだったので患者は車椅子が2台だけ、すぐに外来棟へ到着。

検査は初めて入るRI棟というところでやるらしい。受付をして問診票を渡され、靴を黄色いスリッパに原子力マークがついているのに履き替えさせられた。助手のおばちゃんに「何かこれ凄いですね」と言うと「でしょう、これだけはっきりマークついとるのにね、履いたまま帰る患者さんもおるのよ」と言って笑っていた。
エレベータで2階へ上がり、検査室のドアの脇に車椅子を停めてもらい、助手さんはいったん戻っていった。問診票と同意書を早々に書き終え、壁のガリウムシンチの説明などを「そういえば5年前に日大でやったなあ」と思いつつ眺めたりしていると、9時ころに係の女性が呼びに来た。

車椅子を押してもらい狭い処置室前まで行ってもらうが、中になかなか入れない。そこでハッと気づいて「あの、俺歩けますんで」と言って水槽をぶら下げ、立って歩いて中へ入った。きっと「早う言えや」と思われただろう。
若い男性研修医(2年目、と札に書いてあった)が俺の左手に針を刺し、いったん注射器で少しだけ血を抜き、生食の注射器につけかえたところで先ほどの女性が小さなアンプルみたいなものを持って来た。おそらく検査薬(FDG)の入ったもので、くすんだ金色のようなものものしい色をしていた。それを生食の注射器とは別のルートに接続し、「じゃあ入れていきますね」と言って注入。特段何かが入ってくる、という感じではなかった。
その後ルートを変え生食をゆっくり流し込んで、注射は終了。先に抜いた血で血糖値を測ったようで、女性に「血糖値は正常でしたよ」と言われた。はい、言いつけ通り糖分は採ってません。
「ではこの後、全身に行き渡るまで50分くらいお待ちいただきます」と言って女性がまた検査室の横に車椅子を安置してくれた。少しくらい立ったり歩いたりはいいが、あまり筋肉を使うと薬というか検査物質FDGがそこへ集積してしまうのでNG、とのこと。
まあどうせ何もすることもないのでひたすら座ってるしかないのだが。このあと検査薬が全身に行き渡り、もし悪性腫瘍=癌細胞があればそれを集めてむさぼり食らうので、その時に出る放射線をガンマ線をあてて撮影するというのがPETの仕組み。
ちなみにここはPET-CTといって、断層写真を組み合わせたより精度の高い検査が出来るようだ。しかしこの待ち時間は長かった。目の前を通り過ぎる人もまばらとはいえ、うとうとしかかってもスリッパのパタパタという音の接近・離脱の音で目が覚める。

40分ほど経ったところで検査室から出て来た男性技士が俺の名前を確認した後、お小水は溜まってませんか、と聞くので「はい」と答える。膀胱には尿がない方が検査上望ましいそうで「じゃあ念のため」とトイレに立ったら少し出た。
それから検査室へ入り、普通のMRIやCTと同じような検査台に、また「水槽」を足で挟む形で仰向けに寝る。両手は万歳をして頭の上で軽く組むように言われ「では撮影に入りますが、頭から足の先まで全身を検査しますので、時間は40分〜1時間ほどかかります。この間、MRIなどと違ってこれは息継ぎなども一切ありませんから、ただ動かないでじっとしていて下さい」と言われる。

撮影に入ると検査台がゆっくり輪っかの中へ入っていくが、時間がかかるそうなので俺は目を閉じてひたすら動かないようにじっとしていた。この時間も長かった。MRIと違って変な電子音が鳴り響くこともなく、かといってCTのように台がウイーンと動いてハイ終了、でもない。何度かズーッと検査台がスライドしたのは感じたが、振動も音もほとんどない。なので目を閉じていると軽く寝てしまいそうになるがもちろん寝られるわけもなく、逆に反覚醒状態というか変な感じで汗が出てくる。
終了と言われて身体を起こすと案の定、下側の検査台接地部分が汗でぐっしょり。タオルを貸してくれたので簡単に汗を拭き、検査室の外へ出て車椅子ではなく椅子に座って一息。10時半ころだったか、40分ほど経っていた。
検査前の場所で10分ほど待っていると、ここまで連れてきてくれた助手さんが来てくれて、サンダルを靴に履き替えて1階へ戻る。助手さんは「今凄いバスが混んでてね、乗れないかも知れへんし」とのこと。「じゃあ次のバスを待つとか…」というと、結局その次も混むので同じことになるから、最悪車椅子で外を押して病棟へ戻るかも、と申し訳なさそうに言われる。こちらは座ってるだけで一人で転がしていくわけではなし、そろそろ暑くなってそうな気温のことを考えると何だが、それは押して貰う助手さんがむしろ大変なのであって。
とにかく「正面じゃなく南病棟の玄関へ行きましょう」と動き出す。すると別な助手さんが走ってきてすれ違いざま、「バス、一台乗れるで!」とのこと。こちらの助手さんも「ほんま?」と返して、「いやー良かったわあ、もういっぺんに集中するからみんなパニックやわあ」と疲れた様子。聞くと、今すれ違った助手さんにバスの状況をPHSで聞いたら一杯だと言われたばかりだったそうだ。何か解らんが予定が変化したのだろう。今のうち、乗れるならそれに越したことはない。

南病棟の玄関で数分待っているとバスが到着、見ると車椅子2台分の空きがある。助手さんが「早い者勝ちやね」と言って俺を押してってくれ、無事乗り込めた。すぐ、さっき走っていた助手さんがもう一人車椅子のおばちゃんを押してきて、2台とも無事乗れてきっちり満員。助手さんは補助椅子を開いて座るという状態。
このバスを待っている間、世間話で助手のおばさんと少し話したところによると、やはりこうして病棟が離れていることは、当然勤務している人全てが不便だと感じているという。立派な外来診療棟を立て替えた時、計画的に順序だてて周辺の施設を作っていけば良かったのに、特に離れている南西病棟との連絡は最悪だし、結局患者さんにしわ寄せが来ている、という。俺なんかは見ていて一番苦労してるのはこういう看護助手さんたちだなあ、と思うが。

さてなんだかんだで病室に戻ったら11時近かった。何だか疲れた。「水槽」を自分で元のスタンドにくくりつけ直してホッと一息。やれやれと思っていたら、H研修医がガーゼ交換に来てくれる。俺の検査中に一回来たがいなかったので戻ったらしい。看護婦さんも来て、ガーゼをはがして生食洗浄、消毒、ガーゼ交換。挿管部分を見てH君も「やっぱり毎日交換した方がいいですねえ」と言っていた。

昼食は完食。何せ朝抜きだったので。
その後1時ころ再びH君が来て、もう一回胸水を調べたいので、採取のためクランプするといって鉗子でチューブを挟んで行った。何だかもうこの上何を調べるのかもうよく解らん。
午後は週刊誌を読んだり、安静にしていた。すると看護婦さんが来て、俺が廊下ですれ違ったときにH君がチューブにあまり胸水が溜まっていないのを見て、「これじゃ採取できないのでいったんクランプやめましょう」と指示したそうで、鉗子が外された。

そんな感じで淡々と過ごしていると夕方4時ころ、突然くしゃみが一発。
まずいと思ったが抑えきれず出てしまい、右胸がズキーンと痛んだ。それから、というわけではないのかも知れないが、また一ヶ月前のような細かい咳がケホケホと続くようになり、6時の食事前にはちょっときつくなってきたので、頓服の咳止めを貰ってロキソニンと一緒に飲む。相変わらず血はほとんどないものの痰も出て、しんどい。
食事はむせて誤嚥をしないように気をつけつつ9割がた食べて、お茶を飲んだあたりでようやく咳が治まってきた。熱を測るとやはり37.6℃。まあこれくらいならロキソニンでそのうち下がるだろう。

NHKではサッカーW杯日本代表が帰国した模様と、生放送で記者会見の中継。
監督らの後、川口が挨拶をしたが、「良いチームだった」「このチームでもっとやりたかった」と話し、「でも、もうそれは」のところで目が赤くなってきた。こちらも少しジーンときた。今回は控えでも年長者として皆をまとめ、鼓舞しサポートに徹したで、悔しくないわけはなかろうに、さわやかで理知的な総括だった。

その後7時過ぎにI先生とN先生が来て、ここまでの経過説明を受ける。

結論としては外科へ移り、手術した方がいいということ。

まずもう胸腔ドレナージが2週間以上になるというのに完全に治っていないこと。これを放置するわけにはいかないので、外科的に穴を塞ぐなりの処置が必要というのが理由その1。
それと今日のPETで、肺の中の穴というか袋というか、それらに検査薬の集積が見られたという。
ただだからといってそれがイコール悪性腫瘍=癌と限ったわけではなく、それが癌にせよ良性のものにせよ、摘出して検査しないと解らないということ。万が一悪性だった場合は当然放置すれば死んでしまうわけで、それらを鑑みて、早めに外科へ移って手術した方がいいでしょう、という見解だった。

PET、反応出ちまったか。

はっきり言ってショックではあるが、逆に全く別なところに重大な反応が出たというより、今回事前に「ある」と解っていたものに反応があったことで、肺の手術は覚悟していたから、問題無しだ。
取って貰うしかない。
「開胸ですか」と言うとI先生は「いや、おそらく穴をいくつか開けて、そこからカメラを入れて…という方法で可能だと思いますよ」と言われる。その方が回復が早いし痛みも少ないので有り難いが、こちらはてっきり膿疱性肺疾患→気胸と思い込んでいたので、これは嬉しい誤算。
悪い誤算が一つ、嚢胞だと思っていたのが悪性腫瘍である可能性が出たこと。
良い誤算が一つ、だとすればそれを摘出する=嚢胞をすべてカバーするなどの処置のために開胸をせずに済むということ。
いずれにせよこのまま放置して良いことは一つもなく、「ではそういう方向でお願いします」とこちらもベッド上で頭を下げる。

癌の上に癌と言われるのはもちろん嫌に決まっている。
だが、もうジタバタしても仕方ない、お任せするしかない。
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コメント

ありがとうございます

正直PETで反応が出た、というのは絶望的です。しかし自分の気持ちがまだ絶望してないような雰囲気なので、体もそれについてこいといった感じでしょうか。
良性の腫瘍にしてはおかしな症状がありすぎる、悪性だとしてもじゃあなぜ俺は今生きているのか、まあ取ってもらうに越したことはありません。

気力で癌に打ち克つなんてことは非科学的ですが、物理的に取り除き科学的に治療をしたところで、紙一重のところでは気力もほんの少し役に立つでしょう。
そんな感じで頑張ってみます。

おひさしぶりです

僕も去年体調を崩して入院、失職・再就職など色々ありましたが、家族の支えもあって何とかかんとかやっています。
ご自分も病気でおられるのに、励ましていただいたこと、忘れません。

白取さんにもやまだ先生がついていてくれます。
頑張って下さいというのも、これほどまでに頑張って来られた人に言うのは憚られる気持ちですけれども、敢えて頑張って手術を乗り切ってください、と言わせていただきます。

指を交差して

PETの結果がこのように出てしまいましたか。でもブログに書いていらっしゃるように、もともと手術で一気にまとめて塞いでもらおうと考えていらっしゃったわけですものね。
早く手術の予定を組み順調に進むことを、(指を交差して)祈っています。英語圏では、人差し指と中指を交差させて十字架のようにする仕草を「成功を祈る」意味でやります。
大げさに祈ってくれる人は、両手の指だけでなく両足の指、両腕、両足も交差させてるよ! と言ってくれますので、四肢交差できるものは全部交差して、白取さんのためにお祈りいたします。
アメリカの片田舎、トウモロコシ畑や大豆畑に囲まれた小さな町で、体をよじらせた変な「日本人おばさん」がいるのを想像して(吹き出してしまったら肺によくありませんが)、軽く笑うくらいなら気分転換にもなるでしょう。
応援してます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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