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2010-07-05(Mon)

手術の説明

夕べは微熱でぐったりしつつも、今日の午前中にやる仕事があったので、ゆっくり片付けてしまう。月曜は呼吸器外科へ転科だが何時移動という連絡がなく、いずれにしても午前中は落ち着かないだろうという判断。しかしこういう時に限ってなぜかモバイル端末がぶつ切れになって、PC自体を再起動を繰り返したりFTPソフトを再起動させたりで「だましだまし」12時ころには何とか終えた。

夜は割合よく眠れ、朝型5時ころからチューブに溜まった胸水が気になって目が覚める。水を水槽に開けるが、しばらくして見ると同じくらいまた溜まっていて、それを4度ほど繰り返した。夕べ消灯前から120ccほど出たのか。気にしすぎだと自分でも思う。
5時半には起きて洗顔など済ませた後、簡単に荷物を片付けておく。何しろいつ移動だと言われるかわからないからだ。6時過ぎにバイタルの看護婦さんが来て、ついでに寝汗用だと身体拭きのタオルも持って来てくれた。そのとき初めて、詰め所に「10時に病棟移動」と書いてあったから、たぶん9時35分とかのバスになるんじゃないか、という予定を聞いた。

その後看護婦のNさんが来て、「凄いもう片付いてる!」とびっくり。助手のおばさんもカートや車椅子を持って来てくれたり、移動の準備。
9時半ころ車椅子をNさんに押してもらい、カートは助手さんが押してくれ、エレベータ前へ移動。詰め所にNさんが「白取さん行かれますー」と声をかけると、5、6人いた看護婦さんたちが全員出て来てくれて「手術頑張って下さいねー」とか「行ってらっしゃーい」とか色々言いつつ、見送ってくれた。皆さんお世話になりました。
Nさんもエレベータで下りながら「元気になったら顔出してくださいよー」と言ってくれる。たぶん俺って協力的・優等生的な患者だったせいなのか、あるいはこの病棟がこういう雰囲気なのだろうか、暖かい見送りで嬉しかった。

シャトルバスに車椅子ごと乗せてもらい、助手さんがカートの荷物を脇に積んでいくとNさんが肝心のカルテを忘れて取りに行った。その間にもう一人の車椅子が俺の後ろに搬入されて、別なおっさんの患者も一人乗り込み、Nさんが戻って助手席に座るとバスはもう満員。
外来棟の正面玄関に着いて、カートに荷物を移し替え、助手さんがそれを押して先に行き、こちらは「積貞棟」へ車椅子を押してもらって入る。

初めて入る積貞棟はまるで、別の病院かと思うほど新しく広く明るく、なぜかカートを押したままどこかへ行ってしまった助手さんをエレベータ前で待つ間、溜息しきり。Nさんに「早く病棟引越たいでしょう」と言うと「そうですねー、凄いですねー」とうらやましそう。とか言いつつも俺の荷物のカートを押してった助手さんがあまりに遅いのでどうしたんだろうとNさんが電話をかけようかという頃、ようやく合流。別な患者さんの案内をしていたそうで、息を切らしていた。本当に大変な仕事だ。

呼吸器外科の外来は4階、今日の担当だという若い看護婦さんに案内された部屋は、何と4人部屋。
個室を強く希望していたのに、全く通ってなかった模様でがっかり。俺って相部屋でいい人に当たった試しがないからなあ、きっとトンデモなオヤジとかDQNなガキがいたりするんだろうな、とブルーな気持ちになる。こういう悪い方の勘には自信がある。
看護婦さんが病棟や手術関連の説明をざっとベッド脇でしてくれるが、事務的というか、何だかあの南西病棟の呼吸器内科が懐かしくなった。
3週間も居たので、看護婦さんたちとも顔見知りになったし、概ねみんな明るくて優しい人たちだったなあ。こっちはこれから人間関係を作っていくわけだが、4人部屋だと南西棟の個室の時のようにあれこれ突っ込んだ話も出来ずに終わるかも知れない。

さて色々と環境が変わった。
ゴミはこれまで患者が意識せずとも回収する業者が分別してくれたのが、こちらは患者が分別しないといけないという。しかもそれは歩いて食堂にあるゴミ箱までわざわざ捨てに行かないといけないとか。手術の患者が多いからなるべく歩かせるようにしているのか? と勘ぐりたくなる。
俺のベッドは4人部屋の入り口から見て左の奥、窓側が俺のベッドだが、向かいのおっさんは挨拶をすると良さげな人だったものの、奥さんが来ていて、もう今日これから退院とのこと。俺の右隣、つまり入り口側の左手前のおっちゃんはこちらが入ってきた時は大人しかったのだが、看護婦が入ってきてやりとりの際、声がバカでかいことが判明。そしてコテコテで用件以外に会話終了までいくつか必ず蛇足的なことを付け加える属性も判明。
この手のタイプは誰かが来なければ基本静かにしててくれるから無害と思いがちだが、どっこい声のデカい人間は例外なく所作も乱雑で、日常立てる音も大きいと経験上知っている。もう一つは空いていたが、しばらくするとすぐに埋まったが、静かな人のようす。
やはり俺の勘は正しかった、俺の隣は最悪の「騒音・大声型」に加え「余計な話好き」タイプであった(笑)。もう笑うしかなかった。

まあ手術後はどうせ個室へ一日入れられて、翌日にはこの相部屋へ戻されるというから、荷ほどきもほどほどにしておく。何だかがっくりきて南西病棟に戻りたいなあ…と思った。

良い方に変わったのは病棟が広く明るく新しくなったことと、当然ながらベッド周りも綺麗で新しいことくらい。後はほぼ全部悪化。

騒音おじさんは仕方がないとして、病棟として不快に変わった点は、例えばベッド脇のテレビと小物入れ・簡易冷蔵庫の台。新しいが基本今朝までの南西病棟のものと同じなのに、足の回転部分が固定されていて全く動かないようになっている。つまり枕の真横にテレビがあり、テレビは90度画面をこちらに向け、患者も90度首を傾けないとテレビは見られない。首がつる。
もしくは横臥位になって画面を見上げるかたちだが、ここは外科で、手術後に唯一慰めになるであろうテレビをそんな状態で眺めることの出来る患者は多くはあるまい。ちなみに南西病棟のテレビ台はルーズに動かせるようになっていて、腹の横あたりへ移動させたりできた。

また、ベッドのマットレスがとても固い。これまでの南西病棟で使っていた低反発系のマットに比べ、厚みが半分近く薄くなった。そして明らかに固い。外科だったら体を切ったりしている人が多いわけで、圧がかかれば、固ければそれだけ痛みも強いはず。
これも好意的に考えると、寝ている状態をわざと不快にして「ベッド離れ」を促そうという作戦だろうか。
誰でもそりゃあ早く良くなって退院したい。そのために体を動かすのはいいことだ。ただそれとちょっとしたことに不便や苦痛を感じ続けるストレスはまた別なもので、ストレスが回復の役に立つとは思えないんだけど…。

4人部屋になったことでテレビはヘッドホン必須になり、隣のオッサンは大声でいちいち騒音を立てるという状況も、耳栓やヘッドフォンで我慢我慢。
エアコンも当然一人で自分に合った温度設定にすることも不可能になった。俺の場合は暑がりなのと微熱があったり盗汗があったりするので、個室だった時はその都度体温や具合に応じて細かく調整していたが、もうそれも出来なくなった。我が儘だったのかね、と反省。
しかし体拭きのタオルも持ってきてくれる気配もなしで、看護婦さんたちは事務的な印象。

今朝まで過ごした南西病棟の看護婦さんたちは一様に明るく献身的で「心のケア」も含めて本当によくしてくれていた。
バイタルの最後には必ず「今何か気になるところはありますか?」とか「痛いところはないですか?」、また折に触れて「何か心配なこととかないですか?」と言ってくれることで、小さな不安や愚痴、あるいは他愛のない世間話でも、患者のストレス解消になるし、そのことは絶対に精神と体にいいに違いない。
こちらの病棟でも、そういう看護婦さんたちであってくれるといいのだけど。

お昼はカレーが来て一応ヨーグルト以外は完食。その後いつものように微熱が出てうとうとしかかるが、周囲の雑音でとても寝られず。
腹を立てず、怒らず、ストレスを溜めず…で過ごせてきたものが、ここにきてあっさり踏みにじられている感じ。いっそ麻酔してくれ、などと考えてたら2時前、執刀するS先生が一人でやってきて、俺のドレーンバッグを見て「気胸そのものはもう止まってるようですね」とのこと。
S先生は一応様子を見に来たという感じで、手術の詳しい説明は改めて夕方行うと去って行った。
その後隣のおっさんの嫁はんが見舞いに来て騒音が倍になったので、ヘッドフォンで音楽を大音量で聴いていると4時前に回診があり、科長らしき先生が聴診器を宛てにきて、一緒に来たS先生が「もう空気漏れもしてへんようなので、管いっぺん抜きますわ。それで手術前に体洗って貰った方がいいと思うんですよ」とのこと。そりゃあ助かります。

しばらくして看護婦さんが呼びに来て、処置室へ。処置室、というより簡易手術室といった風情の新しく立派な部屋だ。ベッドに左を下に横臥位になって右手を顔の方へ出す感じで、ガーゼを剥がしてイソジンで2度ほど消毒のあと、「これだけちょっと我慢して下さいね」と麻酔注射。この局所麻酔はいつものようにかなり痛いのだが、これがないとこの先もっと痛いので我慢するしかない。
麻酔を数カ所に打ち「じゃあ抜きますね」と言ってグイグイと胸腔の中の管が軽く動いたと思ったら「はいもう抜けましたよ」とあっけなく。「入れる時に比べたら楽ですねえ」と言うと「若い人は特に突き抜ける時がね、ダイナミックに行きますから」と言われる。すぐに抜けた穴をてきぱきと縫合を終え、消毒をして、水を通さないテープでマスキングして終了。

「で、そろそろご家族にも手術の説明を…」と言われたので「いえ、自分一人なので、自分に言って貰えれば」と答える。
体からチューブが伸びて、先の水槽をいつもガラガラと転がして歩いていたのが急に身軽になり、何か変な感じ。すぐにシャワーを浴びようかどうしようか思いつつ、処置室を出る。シャワー室を覗いてみると「使用中」になっていたのでUターン。縫合の部分の麻酔が効いてるうちにガシガシシャワーしたかったのだが。

仕方なく部屋に戻ってPCを開いていたら、「じゃあ手術のご説明いいですか」とS先生が来たので、食堂の隅にある面談室に入る。家族も何もいないので、先生と俺だけ。院内LANに接続されているレッツノートで俺のCT画像を見つつ、手術の説明を受けた。

右の脇の下、今回ずっとドレーンが入っていた穴は傷口が膿んでいたので、そこを基点にはしつつも上へ5cmほど切開。その下と、背中側に2箇所カメラを入れるために穴を開ける。
手術自体は大きく3つ。

1つは今回の気胸の元になった破れた穴、これがけっこう大きく(だから塞がるのに時間がかかった)、これを取って縫合器で縫う。さらに取りやすいところにある似たような「穴の元」を取り、取った後は縫う。この「穴の元」以外にも細かい袋状のものがいくつかあり、それも検査用に取る。悪性にせよ良性にせよ、取れるものは取って正体を明らかにするということだ。

もう1つはまだたくさん残っている「穴の元」が今後破けても気胸状態にならないよう、肺と胸膜を癒着させる。これは薬を使うそうで、再発防止には有効とのこと。もっとも今回は右肺なので、左にも穴の元はあるから…まあ考えないようにしよう。

そして最後は、これまで基礎疾患=T-CLL(T細胞性慢性リンパ性白血病)が原発と思われ、経過を観察するにとどめてきた前縦隔の腫瘤が「何であるか」診断をつけるために摘出するか、あるいは組織サンプルを取ること。

以上の3つが同時に行われるそうで、手術予定時間は3時間。そのうち1時間は麻酔、30分ほどは麻酔を覚ます時間。イレギュラーがなければそういう予定らしい。
この、例えば「気胸で出来た穴を塞ぐ」とか「気胸再発防止のために癒着させる」とか、「デキモノを取る」ということは本当に恒常的に行っている手術なのだが、今回はそれらを一度にやるということで若干時間が長くなるけれども、各々の施術自体難易度・危険度の高いものではないのでご安心下さい、ということ。

一つ現段階で懸念されるのは、これまで白血病による腫瘤と判断されてきた縦隔腫瘍だが、これをもし摘出出来た場合、元の病気にどういう影響が出るか全く未知数である、ということ。つまり体は色々なバランスを取りながら絶妙に恒常性を保っているわけだが、俺の病気は過去5年間ほとんど進行しておらず、唯一若干ではあるが大きくなっていたのがこの縦隔腫瘍だ。これを取ってしまったら、元の病気が大きく動くようなことにならないか…という心配があることはある。

またS先生は「こうして手術手術と言ってますが、これ自体、実は体にとっては『大けが』ですからね」とのこと。そりゃそうだ。で、体に傷がつく、メスが入る、内部からこれまであったものが摘出される、そうすると体はホルモンを出したり、色々と何らかの「反応」を見せるのが普通。そのことが、元の病気とどう関連するかが全く見えないというわけだ。
しかし腫瘤が悪いものに変わっていないか、あるいは変わる可能性はないのか…、というかそもそもそれ一体何なのか、という診断をつける意味でも最低、組織だけは取りたい、というのが血液内科のI先生ともども共通の目標ではあるとのこと。
それと、この病気自体日本人では珍しいし、縦隔腫瘤の組織サンプルは今後の研究に使わせてもらいたいということで同意書もあった。それらと手術や輸血の同意書などを渡されて、15分ほどで説明は終わり。

最後に個室は空いてませんか、と聞いたら一杯だそうでガックリ。コネとかないとやっぱり駄目なんだろうなあと思いつつベッドに戻り、同意書にサインと捺印などを済ませていると、「明青」のおかあさんから「どうですか」とメールがあったので、病棟が移った旨ご連絡。
色々助けていただいている上に気を遣っていただき、本当に申し訳ないです。
環境は悪い方へ変わったけど、部屋の番号が404という不吉な数字を重ねた番号だけど、気にせず頑張りますよ!

※あ、良くなった点がもう一つあった。今度はちゃんとテレビは「地デジ」だった(笑)。



連れ合いであった、三津子・やまだ紫の誕生日は9月5日、命日は5月5日。
3年前、やはり入院していた俺の退院が彼女の誕生日だった。(入院10日目・退院
俺が誕生日なのに何も出来なかったねと言うと、彼女は俺の退院がプレゼントだよと言ってくれた。
今日5日の月命日、俺は病院にいて花を手向けることも線香を上げることも出来ずにいるが、彼女はもう俺と共にいる。彼女が愛し守りたいと思う人のところに遍在しているはず。病室に持って来た写真の微笑みに合掌。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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