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2010-07-07(Wed)

手術、無事成功

前の晩はさすがに手術前夜なのできっちり睡眠を取りたく、耳栓をねじ込み、看護婦さんに貰ったテープでがっちり補強して寝たお陰でおっさん達のイビキも回避、割合すんなり眠りに入れた。尿意で目が覚めたら2時半。それからまた寝るが、その後は結局寝たり醒めたりだった。
朝はバイタルが始まるざわつきで何となく目が覚め、6時半に看護婦が来るまで横になっている。
指先の酸素濃度を測られながら「…(ウンコ)出ました?」と聞かれたので「まだです…水とか飲んで頑張ってみます」と答える。便が出ないと浣腸である。後ろの穴は座薬さえ入れたことはないので、何としてもそれは避けたい。洗顔など済ませてからさっそく水をガブガブ。前の晩飲んだ下剤2錠は全く効いていない風情。あとは動くしかない。

この日は病院での参院選不在者投票の日だったので、9時過ぎに本館の方にある指定の場所まで歩いて行くと、若い職員がてきぱきと机やら箱やらの準備をしており「9時半からです」と言われてしまう。
まだ10分ほどあったので、そのまま歩いて渡り廊下にある図書スペースに座ってじっと待っていた。ドレーンが外れたのはいいが、その後ずっと絶え間なく乾いた細かい咳が出て、歩くと酸素が足りなくなるせいかしんどい。また咳をするたび縫合された傷に響くのも辛い。
9時半になったので投票所へ行くと、もうすでに1人2人投票を開始していた。病棟と名前を告げると投票用紙を2枚渡され、投票。
前は政党名と候補者名だったが今回は比例の方はどっちでもいいという風に変わったらしく、なぜもこう毎度毎度投票方法を変えるのか、意味が全く解らない。組織だって選挙にかり出される勢力には好都合だろうが、無効票も増えるだろうし、本当に不親切だと思う。

病室に戻って自分のベッドに腰掛けると、疲れてドッと汗が出た。
しばらくぼうっとしていると、病室の中に聞き慣れない重低音の関西弁が響き渡っていることに気づく。
いつの間にか銅鑼声のコッテコテ滋賀弁(あとで滋賀の人だと判明した)のおっちゃん、Sさんという人が、なぜか入り口手前右にいたオッサン(静)と入れ替わっていた。坊主頭で魚ギョロ目、パジャマではなくダランと伸びたランニングに甚平という見事なコーディネイトのSさん、とにかくコッテコテ&重低音&銅鑼声でひっきりなしに喋っている。
その相手はSさんの向かいのベッド、つまり俺の隣に居る例のお調子者のオッサン(騒)ときてるから、その騒々しさといったら溜まらんレベル。
正直こちとら手術前なので心穏やかに過ごしたいのに(笑)、何だこの喧噪は…と苦笑が漏れる。まあ溜まらないわけだが、Sさんの声はタバコ焼けした超重低音で、オッサン(騒)はどこが肺病なのかと思うほどの音量で、これはもう避けようがない。
このSさんというおっちゃん、コテコテの上方落語みたいな口調で、しかも話の内容はとにかく自分のことを話すのが好きという人で、人の話は基本的にあまり聞かないタイプ。そしてくどい。コテコテの上にくどい。背脂たっぷりの豚骨ラーメンにラードとバター200g追加、みたいな感じで、こうなると話は嫌でも聞こえてくるので、逆におもろいおっちゃんやな、と思えてきたから不思議。

内容は★「自分は15からタバコを吸っとる、今でも自転車で1時間かけて川まで行って投網で魚を捕っている、自覚症状も何もない、それが何とか病院でレントゲン取ったら影があるから大きい病院行けと言われた、府立病院行って色々調べたら癌やと言われた、しかしそこでは切ってくれないという、しょうがないのでこっちへきた…」「だからわしはもう癌なんや。癌は確定しとるんやけどな、いやいや何も怖いとかあらへん? 何しろわしの場合脳にもな、骨だの他の場所には転移も何もしてないんや。PETあるやろ? あの…骨のやつな(PETは骨の検査ではないんだけど)、あれでも骨に転移はないちゅうてな。ほいで今回こっちで左の肺ん中の塊を取るちゅうわけになったんや。あんた(おっさん騒)は? 右肺? そりゃええわ右は3つあるさかいな、わしの場合は左やから2つしか無いんや。しかも心臓の側やろ? ほいでな…以下延々と続く」という話★
を、とにかく病室内はもちろん廊下にも漏れ聞こえる銅鑼声で延々と話し続けるのである。
さすがのオッサン(騒)もひたすら相づちと聞き役しか出来ず、合間にちょいと何か言おうものなら256倍返しに会うという風情なのがおかしい。その話のとりとめの無さ、医学知識の適当さ、フィクションの絡め方、そして語り口調と日焼けした体に坊主頭というスタイル、全てがもうコントのような光景。
俺は「これは不快ではないな」と思って聞いていた。ただ俺が相手役にはなりたくないものだなー、と思いつつニヤニヤしながら聞く。(ちなみに、後にもちろん俺も「★」話のターゲットになるのだが、この時はまだ知らない)


そんなこんなで手術も近くなり、10時ころには無事便も出て何とか浣腸も回避した。
その後はひたすらSさん&おっさん(騒)の会話…というより銅鑼声Sさんの一方的な話をカーテンの内側で聞いていた。オッサン(騒)は絶え間ない話にさすがに辟易したか、ちょっとのスキを見つけて逃げだしてしまった。
話す相手に逃げられたおっちゃんは、何やら独り言をぶつぶつ言いながらゆっくり窓の方へ近づいてくる気配。思わず心の中で「JAWS」のテーマが流れる。と、俺のところはカーテンをきっちり閉めておいたのでさすがにめくるわけにもいかず、俺の向かいのジジイ(騒)のカーテンが開いてると見るや、窓を背にしてもたれかかり「あーしかしあれやな、こんなとこ居たら気ぃ滅入ってもうてしゃあないわ!」と「独り言」。
黙って寝ていたジジイ(騒)もよせばいいのに「ほんまやなあ〜」なんてお愛想を言ったもんだから、「なあ! ほんまやで!!」と見事におっちゃんの「釣り針」にひっかかってしまった。そしてその後はまた「★」部分がリピートされたのは言うまでもない。
このジジイ(騒)もほとんど相づちしか打てず撃沈され、最後はもう全く一言も返さなくなった。つまらなくなったのか、Sさんは次の獲物を物色し始めた様子だが、俺がカーテンの内側でシーンとしているのでこっちは諦めた模様。
ペッタペッタとサンダルの音を高らかに響かせて廊下へ出て行った。ホッと一息。

大部屋に面した広い廊下の片側には、テーブルと椅子の談話スペースがいくつかある。そこに「あよいしょっと!」と廊下じゅうに響く大声を出して座ったと思うと、運悪く(?)通りかかった人にうまいこと話しかけ、「あんたはいつ手術?」「わしは来週や。わしはな…」と、また「★」話を繰り返すのが全て聞こえて来る。
3度目ともなると、俺もこの銅鑼声Sさんの「★」話をほぼ暗記してしまった。

その後看護婦さんが「手術の前に下着も脱いでおいて下さいね、パジャマだけで行きますから」と言いにきた。その通りにして股間すーすー状態で粛々と時間を待つ。
暇だったので病室の前に歩いていくと、おとついパジャマの替えを頼んで持って来てもらった看護婦さんが通りかかった。そのときは一瞬誰だか思い出せなかったが、今回はすぐに思い出した。去年、血液内科に帯状疱疹を悪化させて一ヶ月入院した時にお世話になった看護婦さんだ。(ちなみにこの時の、激痛で本気で「死ぬ」と思った夜の担当さんだった=入院5日目 夜、激痛で死を感じる - 白取特急検車場【闘病バージョン】

なのでこちらがじっと顔を見ていると向こうも歩きながらこちらを見て「?」と困ったような顔をしつつ笑顔を向けてくれるが、明らかに「何なんこの人?」という風情。
こちらが「あの、血液内科にいらっしゃいませんでした?」と聞くとピタリと足を止めるとこちらの前に戻り「いましたいました、え? 何でそれを」と言うので「帯状疱疹で入院した…」と言うと「白取さん!」とすぐ思い出してくれた。
「うわー、どうしたんですか今回はー!」「肺に穴が開いて手術になったんで内科から移動してきたんです」と言うと「手術って確か…今日やんかー!」と笑われる。「予定表に白取さんて書いてあって、白取さん? てどっかで聞いたことあるな、と思ってたんですよ。いやー、もう傷んとこ綺麗にならはりました?」というので「もうすっかり」とグイとズボンを下げて背中から腰から鼠蹊部までのケロイドを見せる。
普通の人なら「ぎゃあ、何じゃこら」と驚くケロイドも、「あー、こんなに綺麗になって!」と喜んでくれた。コレを見て「綺麗」と言ってくれるのは、あの水ぶくれ数十個&血膿みデロデロ最悪の状態を見ている人たちだけだろう。
「もうね、あんなひどい状態の人、私初めて見ましたもん。今やから言うけど正直、治るんかしらて思て…いやーでも良かったわあ」と言って下さる。その襟にはサクラの形をした水色のバッヂがついていて「副師長」を書いてあった。
「血内からいつ移ったんですか」と聞くと4月に呼吸器外科に来たばかり、とのこと。「手術頑張って下さいね」と言われて立ち話終了。そういえばあの時お世話になった血液内科はこのすぐ下、3階に病棟がある。
あの激痛と血だらけの日々、こっちも死ぬほど辛かったが看護婦さんたちも毎日ガーゼにアズノールをたっぷり塗ってカバーしてくれたり、大変だったと思う。今度挨拶に行ってみようか…。俺のことなら、絶対に忘れられていない自信がある。何しろ看護婦さんたちが皆「うわー」と引いたほどの水ぶくれとただれ、血膿でデロデロの状態で来て、「帯状疱疹最悪の悪化例」としてデジカメで写真まで撮られたんだから。

そんなことがあったりして、1時10分ほど前になってトイレに立って手を洗っていると、パンツを脱ぐよう指示に来た看護婦さんと執刀するS先生が病室前に来て、ちょうどいいというので手を洗ったそのまま、そこから手術室へ徒歩で向かうことになった。
(確かこの時はひっきりなしに細かい咳が出ていて、手術室までの道もしんどかったのを憶えている。また何かS先生と一言二言世間話をしつつ中央棟の手術室まで歩いて行ったのだが、これを記録している金曜日の夜になるとさすがに細かいことまでは思い出せない)

ここの中央手術室は、入るとまず受付のようなところがあり、廊下にずらりとたくさんの「手術室」が並んでいるのが圧巻だ。青い服の助手さんたちがすでに待っていて、看護婦さんが持って来たカルテの確認と、俺が用意した術後に必要なタオルやT字帯などの物品受け渡しのあと、看護婦さんは戻っていった。
廊下を少し歩いて「ここです」と手術室の一部屋へ入る。
手術台の上に仰向けになると、てきぱきとバイタルのモニタリング用のいろいろなものが貼られたり巻かれたり、あとは麻酔の先生待ちという状況。5分〜10分ほどか、けっこう待たされてようやく麻酔の先生が来て、酸素マスクを軽く充てられて「はい、普通に呼吸してください、はい、いいですよ。これから注射(点滴ルートからの静脈注射、という意味)で麻酔が入りますからね、すぐ眠くなりますよー」と言われ、「はい、じゃあ入ります」と言われた直後、意識はそこで途切れた。

目が覚めると「白取さん、白取さーん」と呼ばれていて、「…はい」と返事をすると覗き込んでいた麻酔の先生が「もう手術終わりましたからね」と言って視界から消え、代わりに執刀してくれたS先生が覗き込んで「今ね、もう4時ですよ。手術は無事予定通り終わりましたからね」と言われて「ありがとうございました」と答えた。
3年前に胆嚢切除手術をした時は、術後に目が覚めるとすでにひどい激痛のただ中であったが、今回は右の胸から脇にかけての全体が鈍く痛む感じ。胸腔鏡なので切った部分も腹の時より大きくないせいもあるのだろう。
S先生は俺が手術台から個室へ据えるベッドに移されるあたりで、俺に見えるように「例の腫瘍も全部採れましたからね」と言って瓶詰めになったそれを見せてくれた。
アルコールだかホルマリンだか何だか解らない液体の中にある「それ」は、ピンク色の大きな塊だった。思ったより色は綺麗というか、「悪性腫瘍」というイメージ=赤黒くいかにも、という感じではない印象だった。
それより驚いたのはその大きさだ。想像していたよりもかなり大きく、俺が思わず「でかいですね」と言うと「本当に大ぶりのみかんくらいやね」と言いつつ、別の小瓶を手に「あと例の穴の方のと、上のできものと、これらもちゃんと取れましたから。これからみんな検査出しますからね」と言って見せてくれた。

それにしても縦隔にあった腫瘍、今回「取れるようなら取っちゃいましょう、もし無理そうなら組織サンプルだけでも」と言っていたソレは、最大部で7cmと成長していた。もちろん術前のCTやらの画像で大きさを聞いてはいたが、いざ実際目の当たりにすると、凄い大きさだ。そんなデカいものが胸のど真ん中にあったかと思うと、改めてぞっとする。心臓に最も近いし、いずれは圧迫していたかも知れない。取ってもらって良かった、と思った。

それから手術台からベッドに移されて、そのままガラガラと手術室からエレベータへ。建物には接続部分があるので「はいちょっと揺れまーす」が何度かあるが、前回3年前はこの時の移動の振動が本当にキツく、激痛の中「痛い痛い」と言いながら運ばれたことを鮮明に思い出した。今回も硬膜外麻酔が使えなかったので痛いことは痛いのだが、あの時と比較すると痛みは軽く、こうして思い出す余裕があった。
ただ、今回は3年前と違って病室で待っていてくれた人は、もういない。
前回は病室へ戻ると三津子が待っていてくれたけれど、痛みで余裕がない状態だった。
今回は余裕があるものの、病室に待つ人はもういない。

積貞棟の4階、出発した大部屋ではなく中央部分を挟んで向かい側に並ぶ個室へ入れられて、安置された。俺の場合もう大概の痛いことは経験してきたが、瞬間としては胸腔ドレーン挿管時、時間的な長さと強さで言うと帯状疱疹劇症化で神経が食い荒らされる中でも最も最高に痛かった時に比べれば、あれ以上のものはもうないと思う。
術前に一番心配だったのは、術後の痛みがどの程度かという点だった。しかしポンプ式で自動的に点滴ルートから注入されるようになっている痛み止めが効いているのか、前回とは比較にならないほど痛みは軽減されている。もっとも「楽」とはいえ恐らく普通の人にはかなり痛いレベルだとは思うが、自分としては「術後」としてイメージしていたよりかなり楽で、これは助かった。
個室に安置された時、口には酸素マスクがしてあったが、これがどうしても気持ち悪くて自分でずらして外した。「駄目ですよ、外しちゃ」と言われたので、「気持ちが悪くて」と言うと、ちょうどS先生が来たので鼻チューブから酸素を吸う方に換えて貰った。
右手首には痛み止めと抗生剤とブドウ糖輸液の点滴、右の胸からは胸腔ドレナージのチューブ、チンコの先端からは導尿管がそれぞれ伸びていて、両足には血栓防止のためのフットマッサージポンプが巻かれ、左右の足交互に足下から順番に膨れては萎んでいく。
じっとして動かなければそれほどに痛みはない。しかし寝られるはずもない。

夜中、40℃近い熱が出た。当直の看護婦さんはよく気がつく人で、「汗もだいぶかかれてますね。どうします、解熱と鎮痛のために座薬使った方がいいと思うんですが」と聞かれた。そうするとまた汗をかいて、それで熱が下がると思う、とのこと。そうしたら着替えましょうと言ってくれたので、もう観念してお願いした。
すぐに座薬を持って来てくれ、指示通り何とか体を少しだけ左へ傾けると「失礼しますね」と言って尻肉をむにりと分けられ、するりと入れられてしまった。
「アッー!」とか言ってる暇もなく、俺の後ろはあっさりとこの夜、奪われたのであった。

この薬はボルタレン座薬だったが、とても良く効いてくれた。その後1時間ほどで、鈍くじんじんと絶え間なくあった痛みが軽減され、かつ、やはり汗が大量に出た。
看護婦さんが「じゃあお着替えしましょう」と言われて術後のパジャマの替えを持ってきてくれるが、これは上・下・真ん中とセパレートになっている生地をボタンで留めていく構造になっており、患者が体を動かして腕や足を通さなくてもいいようになっている。患者は一瞬だけ尻や背、足といった一部分をほんの少し動かせれば、看護婦がサッとその下へ生地をすべりこませてくれ、あとは上から被せた生地とボタンで留めればいい。胸にあてていたタオルも汗びっしょりで、かなりの発汗量だったと知った。
その後検温すると38.4℃とやや下がっていて、とりあえず一安心。

それからは1時間おきに体温や血圧などの測定、様子見で、ほとんど寝ることはなかった。
痛みは鈍いが相変わらずずっとあり、動くと上半身に圧がかかってズキンと痛む。これは切った傷の方ではなく、現在挿管されているドレーン部分の痛みがなぜか一番大きかった。同様に咳をしても一番痛むのは挿管部分。そこを中心に右胸全体に痛みが広がるという感じ。
「痰はね、お辛いでしょうけどちゃんと出して下さいね、でないと窒息して死んでしまいますからね」と看護婦さんが優しい声で恐ろしいことを言う。理解はしているが、今自分が置かれている状況から「もっとも痛い状況」に変化させる行為が「咳をする」「痰を切る」という行為で、しかもそれはかなり頻繁にやらねばならず、かなり消耗した。
その後も微熱はずっと続くが、それは手術で切られたり管がぶち込まれたりしてるんだから当然で、想定内。

今回の手術で、右肺は今後似たような「穴の元」が万が一破裂したり破けたりしても、肺の外=胸腔内に空気が漏れないようにコーティングをしてくれた。しかし「ちゃんと肺を今のうちに膨らませておかないと意味がないので、痛くても深呼吸はなるべくするように」とS先生は指示して下さったが、この深呼吸がまだ痛くて出来ない。
思い切り息を吸えない、ということがこれほどもどかしく辛いとは思わなかった。すう、すう、す、すっ、と小さい息をちょっとずつ吸って肺を膨らまそうとはするのだが、あるところまで行くと痛みがあり、それ以上進まない。「術後からなるべく歩くようにして、肺を広げるように」とも言われるが、いやそれはまだ無理です、と思った。

こうして手術当日は夕方4時に予定通り終了、その後個室へ移動、それからはひたすら痛みに耐えて浅い呼吸を繰り返し、咳と痰切りを痛みを我慢しながら繰り返し、熱を出し汗をかき、上ばかり向いているといけないとたまに強制的に横を向かされたり、バイタルをほぼ1時間おきに測られたりして過ぎた。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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