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2010-07-08(Thu)

大部屋を楽しむ

7月8日(木) 入院25日目・手術2日目

手術のあと、個室での夜中はほぼバイタルが1時間おきで眠れる状態にはなかった。しかし明け方に見回りが2時間おきくらいになった箇所があって、その間に少しだけうとうとした。
けれど睡眠に入る→浅い呼吸が深くなる→肺が広がってビクン! と痛み目が覚める
もしくは
睡眠に入る→ついつい無意識に寝返りをうつ→傷や挿管部分が痛んでズキン! と痛みで目が覚める。
という感じで、当然深く眠ることは出来ず。どっちで目が覚めてもしんどいが、どちらかと言うと呼吸が深くなった時に体がびっくりするように、飛び跳ねて目が覚める方が深く寝に入ろうとしていた分だけ辛い。

そんなこんなで翌日の朝も頻繁なバイタルチェックから始まり、相変わらずの微熱は38℃台が続く。女性の研修医が来て「お加減どうですか」というのでボトルのプッシュ式の痛み止めも、結局追加でプッシュすることもなく来てます、夜中のボルタレンもよく効きました、という話をした。
研修医は「ごめんなさいねー、ここはスパルタなもので、さっそく今日の午前中から歩行練習していただいて、大部屋に移動していただくんですよ」と気の毒そうに言う。その情報はすでに知っていたのでもう諦めていたが、いざとなると「もうちょっと勘弁してくれよ」というのが正直なところではあった。

落ち着いたところで術後のボタン式貼り合わせパジャマから普通の病室用パジャマに着替えさせられた。そのときチンコからの導尿管を取ってもらえないかというと、まず9時半から順次移動式のレントゲンが来るので撮影を済ませてから、一回試しに歩いてみて、レントゲンの結果異常がなく医師のOKが出て初めて大部屋に移動してもらい、そこで取ります…とのこと。道は遠い。
9時半からだという、その移動式のレントゲンとやらが来るというのをひたすら待っていたが、延々と来ない。看護婦さんや助手さんも時折のぞきに来ては「あら。まだ?」なんて言っている。
手術前にも一度来てくれた、血液内科に居た看護婦さんも来てくれて「無事終わって良かったですねー!」と言ってくれたあと、レントゲン待ちというと「遅いですねえ」と言って出ていった。その後廊下で「白取さんレントゲン待ちやねんて。まだ来てへんらしいし」と問い合わせてくれているのが聞こえた。その前に誰か問い合わせてくれといて欲しかったですが。
そうして1時間以上待ってようやく若い技師が移動式レントゲン撮影機をガラガラと連れて来た。ベッドの背を立てて体を起こした背中に板を挟み、撮影機から伸ばしたアームが前方からX線を充てて、撮影はわずか1秒足らず。
それからいよいよ、病室移動だ。
つまりこの新しい病棟の個室に居られたのは、術後の夕方から翌朝まで、なのであった。
容赦なく立たされ、点滴とドレーンバッグのスタンドを持ってゆっくり歩いて病室へ向かう。もちろんまだ痛い。はっきり言って痛え。看護婦さんが念のためすぐ後ろについてくれ、ゆっくりとした足取りで指定された部屋へ向かう。その先はまさかの、404号室への帰還であった。
ただ顔ぶれはガラッと変わっていて、俺のいた左奥には声質からおっさんらしい人、その向かいには常に咳き込んでいる白髪のおじさん、そして俺は入り口手前左にベッドが据えられるのを立って見ていた。
…と、いうことは、俺の向かいは、例によって、あの坊主頭で銅鑼声のおっちゃん…Sさんということか。うへえ術後の痛い時に、よりにもよって俺の向かいがSのおっちゃんかよ…。まあ、そういうオチになるんだわなあ。

ベッドに仰向けに落ち着くとカーテンが引かれ、すぐに看護婦さんが両側から二人がかりで体を拭いてくれた。T字帯は外され、露出されたチンコは生理食塩水をじゃぼじゃぼとかけて洗われた。チラと見ると、先端からチューブが伸びているのが解ったが、何度見ても気持ちのいいものではない。

昼飯はお粥が出た。食べられたらなるべく食べた方が回復が早いから、とのこと。呼吸器と消化器は別、手術の前日から何も食べてなかったので、空腹。鮭は一切れと、お粥を3分の1ほど何とか頑張って食べた。
しばらくして女性研修医が来て、レントゲンの結果は異常なかったし、歩行も出来たということで「尿の管は抜いてもいいでしょう」とのこと。
さっそく先ほど下半身を拭いてくれた看護婦さんに抜いて貰う。前回、胆嚢摘出術後は普通に大の字に寝たまま、気がつかない間にスゥッと抜かれて痛みも全く無かった。今回は両膝を立てるように言われ、ソレは上を向けたままで抜かれたので、ちょっと痛かった。
それにしてもあんな直径2〜3mmの管が尿道に入ってるなんて、考えただけでもゾッとするのに、実際入ってるというか「突き刺さっている」とでも言うべき状況を見るのは、我が事ながら痛々しい。
前回は腹筋が使えなかったので見たくても視界に入らなかったが、今回は丸見えだ。
「うげえ、こんな太いの突っ込んであるのかよ!」というのが正直な感想。アレ引っこ抜かれた後、しばらくあの穴そのままじゃないだろうな、とか要らんことを考える。いよいよ抜かれる時は前述のように上向きだったので、ファウンテンのように小便が膀胱から吹き上がるような感覚があったが、現実にはちゃんと看護婦さんの手にしたカテーテルの中に残尿が全て収まっていたのが不思議だった。

ちょっと不快な違和感は残っているが何とかまず、これで管が一つとれた。
手術から回復していくということは、こうして体から余計なものがちょっとずつ取れていく、ということである。
ところで鼻からに変更されたはずの酸素チューブは、先生が「まだ必要」と言っていたのに看護婦さんが忘れていった。俺も浅い呼吸ながら、これなら無くてもいけそうかな、と思って何も言わなかった。体につながってるのは少ない方がいい。これで二つ、外れたことになる。

その後はベッド上でひたすらじっとしていた。
「肺(の術後)は体を起こしていた方がいい」とよく言われるが、ベッドの背を30度くらいに立ててよりかかり、マウスのコードを延ばして手元で操作できるようにして、ネットを見たりしていた。
向かいの胴間声のおっちゃん・Sさんは部屋の顔ぶれが入れ替わったので、例の「★」話(昨日の日記参照)を新たにする獲物を探している風情。
窓際へペッタペッタ音を立てて歩いて行き、おそらく窓の外を眺める風情=演技だろう、そしてわざと天気のことやら何か独り言を言う。お愛想で相づちをうったのは新たに右窓際に入った、咳をよくするおじさんで、見事に釣られた。この白髪のおじさん(咳)はKさんといい、声はさほど大きくなく物静かな人だが、とにかく咳が出始めると大きく長く続き、最後は痰切りを何度もして、かなり辛そうである。
おじさん(咳)=Kさんも肺に腫瘍が出来ていて取ることになったそうで(おっちゃんSさんの「事情聴取」が聞こえて来るのによれば)、「今まで何も自覚症状もなくて」と言っていたが、その大変大きく頻繁な咳と痰切りで「どこかおかしい」とは思わなかったのだろうか。
まあでも俺も軽く風邪だろうとか、鼻の奥や喉やら切れても血が止まりにくいしな、などと軽く考えていたし、自分のことはあまり大袈裟に考えないものか。

Sのおっちゃんは例の「★」話(昨日の日記参照)をまた、振り出しからおじさん(咳)に繰り返したあと話が途切れると、「あんたどっかで見た顔やな、どこそこにおれへんかったか」と言いだした。おじさん(咳)が「わしは若狭におったんやけど、どこそこに」と言うとSのおっちゃんは「そうや、そこや! あこになんとかいうのあったやろ、そこへわしよく行ってたんや」「ああ、そうですか、そこなら私もよう顔出してましたわ」みたいな感じで何だか和気藹々。
こっちは聞き耳を立てずともかなりの音量で入ってくるのだが、話の内容や地名がローカル過ぎて意味不明。ただ、この二人が「本当に顔見知りであったかどうか」は、結局のところ確証がないままの様子ではあった。
しかしこの白髪のおじさん(咳)はこのことを境に、「これからこのおっちゃんにこの調子で話しかけられたらたまらんな」と警戒したようで、その後は開けていたカーテンを閉めるようになってしまったのがおかしい。

大部屋の前にはトイレがあるのでそこへ立って戻ってくると、4つのベッドスペースでカーテンを全開にしているのはSのおっちゃんだけで(笑)、Sさんはしょうがなく食堂か他の病室へ行って、胴間声を発しているらしい。
左手の奥、術前に俺が居た窓際には正体不明のおっさんがいるらしいが、ずっとカーテンを閉め、妻と娘らしい若い子が来ていて、ひっきりなしに「こそこそ」「ひそひそ」と話している。
そのうち奥さんが帰ったのかどこかへ出かけたらしいが娘さんはずっと残っていて、ひっきりなしに父親と話している。廊下ですれ違ったときに見たら二十歳をとうに過ぎているように見えたが、今どきずいぶん仲の良い父娘なんだな、と感心。
父親の方は声だけを聞いていると、看護婦さんにはタメ口で割合つっけんどんで横柄な態度を取る。なので「なんやコイツ」的に思っていたら、娘に対してはけっこう低いダンディな声を作って話しかけている。けっこうイケメンなオヤジなのかな、と思って勝手に想像していたが、洗面台でばったり会ったらアナゴ君を痩せさせてメガネをかけた顔だったのでコップを取り落としそうになった。
その時俺が「こんにちは」と挨拶をするとチラッとこちらを一瞥して「チョリース」と言って廊下へ出て行ったので、思わず「は?」と聞き返しそうになってしまった。おそらく50代だと思うが、大人の男が同室の大人にする挨拶かねえ…。
父娘は周囲に聞かれたくない話は露骨なひそひそ声になり、娘とクスクスと笑い合い、それ以外は割合に大きな声でコテコテの京都弁を話す。娘は母親が帰って父親と二人になった後は不自然なくらい妙に甘ったれた「女の声」で媚びたような口調になり、時折低いトーンになっては「ひそひそ・こそこそ」「クスクス」みたいになる。
Sのおっちゃんの胴間声は嫌でも聞こえて来るし耳障りな時も多いが、こうしたヒソヒソ話はそれはそれで肝心部分が聞こえず、気になって仕方がない。

もう大部屋の病室なんかこんな感じなので、積極的に話を聞いたり楽しんでいかないとやってられない。そう、この状況を楽しむのだ。

このアナゴ君(痩)はマイペースというか、Sのおっちゃんの胴間声喋くり攻撃も生返事でハイハイと適当にいなして、どこかへすぐ消えてしまう。基本的に娘以外には興味がないようだった。大丈夫かあんたたち…。
さあ、こうなると俺の向かいのSのおっちゃんがイライラし出した。独り言が増え、その内容に文句が多くなったことと声のトーンで解る。かといって向かいの俺からは特段話すことはないし、聞かされることも無くなった(つまり同じ話の繰り返しなのでもう憶えてしまった)ので、カーテンは閉めてある。
Sさんの隣のおじさん(咳)はすっかり警戒してカーテンを閉ざすようになった。Sのおっちゃん、とにかく黙って静かにしているということが苦手なお方のようで、ベッドで静かにしているのは寝ている時(ただしイビキと寝言あり)くらいで、あとは会話というより誰か彼かをつかまえては一方的に長々と話をする。
話し相手がいなければフラリと食堂やその辺の談話スペースをさまよい「わしはな…」と相手をつかまえては同じ話を繰り返しているのが、胴間声なので遠くからでもよく聞こえる。この時も結局、しばらく音楽を聴いているうち、静かになったと思って見たらベッドは空だった。

ところで俺は手術時に喉に挿管されていたせいか、どうもいつまでも喉にイガイガする感覚があり、このあたりの日は良く水や茶を飲んでいた。
そういえばアソコにぶっ挿されていた導尿管はもう外されている。そろそろ排尿しておかねばとトイレへ立つと、管が抜かれた最初の放尿は嫌〜な感覚だった。膀胱から尿が尿道を通って出てくるのがはっきりと意識される、解る。痛みこそ無いものの、普段とは違う嫌な感じ。
腹圧はかけても比較的痛みは少ないので勢いよく放尿していたら、最後の方、こちらはまだ尿意があるのに尿が途切れて、なぜか詰まった水道管のようにゴボッゴボッと空気混じりで吹き出したのには驚いた。「うわあ」と思わず声が出た。何だ、ぶっ壊れたのか俺の膀胱? と一瞬仰天してパジャマを濡らすところだった。
その後ベッドに帰りよく考えてみると、導尿管がささっている間、看護婦さんがよくチューブから伸びたベッド脇のバッグに溜まった尿量を測りに来て、ついでにその時チューブに停滞している尿をポンプのように途中を折り曲げてクイ、クイとバッグへ落としていたのを思い出した。あれで空気が膀胱へ逆流したということはないか。というかそういうことにしよう。じゃないと俺の膀胱が水のトラブル・クラシアンになってしまう。

その後、看護婦さんが向かいのベッドに「Sさーん!」とやってきて「明日胸腔鏡検査ありますけどね、最後にタバコ吸ったのいつですか?」と聞いている。カーテン越しにじっと聞いていると「…もう、ずっと吸ってへんけど?」「本当ですか、本当は、いつですか?」「だからな、わし肺気腫もある言われてんねん。せやからな、元々タバコ吸うたらあかん言われてまんねや。んなもんそら…」「あのね、Sさん。最後に、タバコを、吸ったの、いつですか?」「…一ヶ月前や」「本当ですね?」「ほんまやて! 前の病院でお前あれこれ何やかんや検査されてやで、肺気腫や癌もある言われてな、んなもん吸うてられるか?」「ふうん。じゃあ私Sさん、信じますよ?」「えあ、ああ…」みたいな、本当にドラマかコントみたいな会話が繰り広げられている。
本気で録音したかったがレコーダがないことがこれほど悔やまれるとは思わなかった。
看護婦さんは「あのね、タバコは本当にやめて貰わないと、命に関わりますからね、手術できなくなりますよ。合併症とかありますし、タバコ吸う人は手術しませんからね!」と、当然ながらきつい口調で言う。
「せやから吸うてへん言うてるやん。わしは肺気腫ある言われたらからな、肺気腫にはタバコは良くないさかいな、それでスパーッとやめたんや」
「タバコは肺気腫だけじゃなくて全てに良くないですが…」
「そないなこと言うてもやで、わしはな、元々15、中学の時から吸うとるわけや。そらもう若い頃はスパスパスパスパ、ところ構わず煙突みたいに吸うとったわいな。せやけどな、今でも毎日1時間かけてやで、自転車で川まで行ってからに、投網で魚ぎょうさん採って戻ってきてやで、それでもなーんもないねん。今でもやで? 息が切れるとか、ほれ、ゼイゼイ言うとか、そういうのんもないしな、ほいでもって…」
「…解りました。それとね、日曜日、手術の説明がありますので、その時どなたかご家族の方は来られますか」
「あのなぁ、…わしには家族というものがおれへんねん。子どもたちはおるで。けどな、まあはっきり言えば別れた女房との子や。もう皆独立してあっちゃこっちゃ行ってしもてるやん。そんなんな、急にわしが手術やから言うたかてな、向こうには向こうの都合というものがあるやんか、逆に? な。そやろ? せやから…」
「あ、では説明はお一人だけで受けられますか」
「いや、せやから言うてるやん。聞いてみいひんことには解らん、言うてんねや。来られるかも知れへんし、来られへんかも知れへんな。そら今わしに聞かれても? 解らんことやろ? 向こうが決めることやさかい。それやったらわしが一人で聞くしかないやんか」
「先日来られてた方は奥様では…」
「あれはなあ、実は正式な妻やないねん。さっきも言うたけどな、女房はおったで、子どももな。せやけどあなもんもうとっくに別れてな、子どもらも独立してまんねん。こないだ来とった奴はな、女房ちゃうんやけど、一緒に暮らしてもう30年になる。籍は入れてへんけどな、ずーっと一緒に暮らしとるわけや。事実上の妻、いうのにあたるわな。せやけどもし、万が一? わしが死んだりする場合もあるやろ? 手術かて100%成功するわけやないしな、万が一いうことがある。そうなった場合ややこしいやろ、色々複雑な事情があんねん(笑)。せやからわし一人でええ、ちゅうてんねん」

「では奥様は来られないということで」
「あんなん来たところで難しい話聞いてもしゃあないやんか。先生の説明や言うていろいろ見せられて話されてもな、一回前の病院でも聞かされた話やしな、今話したように、色々事情もある。ほいでな…」
「わ、わかりました。ええと、とりあえず。お一人で説明を受けますが、子どもさんが来られるかどうかは、聞いてみないと解らないということで良いですね」
「せやからな、相手にも都合ちゅうもんがある、言うてるやろ。そらあんた、親が癌や手術や言うたらな、真ん中の子はとりあえずいっぺん行くわ、みたいなことは言うてくれとったで。けどな、それかて都合が合うかどうかは解らへんやんか? そやろ? いくら親子や言うたかてもうお互いに別々に暮らしてそれぞれに生活いうものがある。向こうには向こうの都合、というものがあってやで…」
「はい、とにかく、ご都合だけ聞いておいてくださいねっ」
看護婦は半分怒ったのか呆れたのか、足早に立ち去ってしまった。コントかよ。

看護婦が去った後もSのおっちゃんは「何やねんほんまに。説明言うたかてそんなもん聞かされたって解るもんと解らんもんとあるわい…」とかブツブツ言っていたのがさらにおかしさを誘い、俺は笑いを堪えるのに必死であった。

夜はまた看護婦さんにサージカルテープを貰って耳栓をがっちり固定して寝る。何しろ皆さん、いびきの猛者揃いである。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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