--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-07-09(Fri)

おっちゃんとお近付きに

7月9日(金) 入院26日目・手術3日目

朝、洗顔など済ませた後、少しリハビリに歩こうと思いたった。胸腔から伸びるチューブの先は胸水を溜める「水槽」があるが、今は壁から吸引チューブが伸びていて、接続されている。なので終始ぼこぼこと泡立つ水音がしているが、このままではベッドから移動できない。
なので壁から伸びるチューブをいったん外し、点滴スタンドにぶら下げてあるバッテリー式のポータブルの吸引器に接続し直してスイッチをオン。これでまた水槽がぼこぼこ。あとは点滴異常を知らせるアラーム機械のコンセントを外して、ようやく立ち歩ける状態。
ガラガラと点滴スタンドを押して、ゆっくり歩いてみる。病棟は患者もちらほら起きだして、朝のバイタルなどが始まろうかという時。とにかく外科は切ったら「立て」「動け」「歩け」である。体を動かさないとうまいこと肺が広がらないし、その分治りも遅くなるからと言われれば、やらいでか。
病室をそのまま出ると、廊下にある椅子に何とSのおっちゃんが座っていた。まずいと思ったが目が合ってしまったので黙礼する。Sさん誰かと話したくてウズウズしてたようで、さあ始まるかと思ったところに日勤の看護婦さんが通りかかり、「あ、今日担当する者です、どうかされました?」というので「歩けと言われてるので、ここをぐるっとして来ようと思って」と言うと納得していた。
そのやりとりを見ていたおっちゃんが横から「歩かなようならへんからな」と言うので、にっこり笑って頷くだけにして、よたよたとゆっくり歩く。本当はもう少し早く歩けるのだが、わざとゆっくり目に歩いて個室側の廊下〜渡り廊下から大部屋側に戻ってくると、病室前の椅子にはおっちゃんの姿がない。よし、待ちくたびれたな、いないよな、今のうちにベッドに戻ろう…と病室前の廊下へ出たところでヌッとSさん右手から出て来て、もう逃げられない状態。
おっちゃんは「大変やな。でもそんだけ歩けるんやったらもう大丈夫やで」から始まって、その場所で例の「わしはな、癌なんや。自覚症状も何もなくてな、ほいで…」という話「★(=手術当日の日記参照)」が始まった。その下りはもうこちらもとうに暗記させられているので「左肺ですね」「ああ、断られてこちらへ」とか何とか話を短くしようとするのだが、おっちゃんは俺が何か自分のことを話す間は鋭い目でじっとこちらを睨むように見ていて、切れ目を見つけるや、グイ! ともの凄い力で再び話を自分の話に強引に引き戻す。なるほどこれは難敵である。
敢えなく俺も抵抗を諦め、その場に立ったまま何度も何度も聞かされた話を(Sのおっちゃんにとっては初めて俺にする話と思っているのだが)聞かされてしまった。いやその話、全部知ってますって…。とほほと思ってたら看護婦さんが通りかかり「薬の件で、いいですか?」というので、おっちゃんに黙礼だけして、救いの神とばかりベッドに戻った。
看護婦さんは「御免なさいね、お話の邪魔しちゃって」というので「いーえ、助かりました」と小声で言うと「えっ?」と言ったあと、我が意を得たりといった顔で看護婦さんもにやっと笑っていた。おそらくSさんの噂は看護婦詰め所でもじゅうぶん伝わっているのだろう。
とにかく話がくどい、長い。人の話をよく聞かない。逸れる。逸らす。用件が進まない。じゅうぶん注意するように、と。ついでに臭い。これは何というか、長年体に染みついた、全身の毛穴から吹き出すたばこのヤニの臭いか、それと体臭の混じったような臭い。話を聞くに吝かではないが、一度本気でゲロが出そうになったのは参った。

その後、ほんのちょっととはいえやはり歩いた後は息が切れたので、ベッドに転がっていた。すると助手のおばちゃんたちが「シーツ交換でーす」とやってきて、強制的にベッドから剥がされる。仕方なく廊下へ出れば、当然のことながらおっちゃんも外に出ていて、待ち構えており、またしばらくつかまってしまった。
「あんたはどこ切ったんや」というので「右の肺に穴が開いたの塞ぐのと、何やデキモノがぎょうさん出来てるらしくて、それも、胸腔鏡で取ってもらいました。ついでに胸の真ん中にどでかい腫瘍があって、それも取ったんですわ」と言うと「ああ、内視鏡で? あれな。あれはやさしいわな、ざっくり切るのと違ごてな。もうんなもんすぐ治るわ」と言う。
「一応俺はこの前に開腹もやってますんで、確かにあの時よりは楽ですわ。で、Sさんはどこか手術されたことあるんですか?」と聞くと
「わしはいっぺんもあらへん!」とキッパリ言うので、唖然としてしまった。吉本ならここでコケるところである。
Sのおっちゃんはあちこちで「ワシは癌や(どうや参ったか)」「府立では切られへんいうて断られたんや(どうや凄いやろ)」「癌は確定してるけどな、怖いことなんか一個もあらへん(男前やろ)」というスタンスで押しているが、実は手術は未経験だった。
何しろ聞くとはなしに強引に聞かされ暗記させられたところによれば、「前の病院」での検査で肺気腫ぎみだと指摘され、普通の人よりも肺の機能が肺活量などかなり劣っており、今回肺に腫瘍が見つかったことでもし切っても、その後酸素吸入が必要かも知れないということ…などを聞かされた。3回目か4回目になるが。
俺が前屈みでちょっと傷を気にしていると、「まだ痛むんか」というので「ええ、そんなひどくはないんですけど、自分の場合持病があって血液の状態が悪いんですわ。せやから背中の麻酔(ブロック麻酔のこと)が使えへんかったんですよ。あれ使えたら痛くも何ともないんやけど」と話す。
すると予想通り「あんたの持病て何や」というので、「元々は白血病という病気です」と言うと、さすがにおっちゃん一瞬絶句して「そら…血液の癌ちゅうやつやな」というので「そうです、よう知ったはりますね。血を作る細胞が癌化して、まあハンパなものしか作れへんくなるんです。診断が確定した後は細胞切って検査もあったし、その後は胆嚢取ったり帯状疱疹は悪化したし、今回は肺が破けて内科でドレーン3週間入れてましたわ。もう肺切ったり、入院も手術も何回も何回もいい加減勘弁して欲しいですわ、痛いのだけは何回やっても慣れへんから」と話す。
おっちゃんは見た目若く元気に見えたであろう、俺がそんな状況なのは当然知らなかったわけで、珍しく俺が話をしている間、上目遣いにじっと黙って話を聞いていた。ていうか、どうやらちょっと(病気のランク的に)一目置いたらしい。こちらは別にビョーキ自慢してしているわけじゃないし、そんなん出来れば自慢話がない方がいいに決まってる。
「今回Sさんは肺以外には転移してへん言うたはったでしょ?」と聞き返すと「わしは脳にも骨にもなーんにも異常無かった」とキッパリ言うので「じゃあ、きっと肺片方取ってもうても平気ですよ。僕が勤めてた会社の社長なんかね、結核で片方の肺取った後も酒飲んでピンピンしてはりましたよ」と話す。もちろん故・長井勝一翁のことである。

肺がんはなかなか早期発見が難しく、かつ転移のリスクもあり怖い癌だ。けれど逆に早期のうちに見つけて貰って転移もないうちに取ってしまうことが出きれば、とりあえずは安心だ。あとは抗がん剤などで転移がないよう注意しながら様子を見ていけばいいだろう、タバコはやめて。癌の転移・再発は怖いが、俺のようにずーっと体が弱り生殺しのような癌患者も、けっこうしんどい。そんな話を廊下でする。

そのうちシーツ交換が終わったので、Sさんとは病室の前で別れた。おっちゃんその後食堂の方へ歩いて行ったが、いい加減自分の話もする相手がいなくなったはずなので、恐らく俺が今話したことを「わしの向かいの人な、白血病なんやて…」と、話のネタにしに行ったのかも知れない。いっときの暇潰しにでもしてくれれば、それでいいです別に。


この日は、手術をした前の日よりも右胸全体が腫れたように痛かった。
もちろんカメラを入れた穴やメスで切った傷、ドレーンが突っ込まれてる穴があるわけで、それらのある右胸部全体がズキズキと痛むのは仕方のないことだ。一番しんどいのは何といっても咳をするときで、胸全体に鋭い痛みが響いて、特に傷にズキーンと効く。くしゃみはすれば恐らく激痛で死ぬと思うので、極力我慢し、出ないように気をつけている。
あと相変わらずまだ血痰が続いていて、それをひっきりなしに出さねばならないのだけど、そのために咳き込み痰を切る作業が胸腔に響いて地獄のように辛い。かといって痰を出さねば気管がどんどん溜まって詰まってしまうので、出さないわけにはいかない。ベッド脇には痰を出したティッシュを丸めて放り込むビニール袋をぶら下げてあるが、ぱんぱんに膨らんできた。
朝は立ち上がって点滴アラームのコンセントを抜き、ドレーンをポータブルに付け替え、トイレと洗顔。立ったついでに、手術前にまとめておいた荷物を少しいじくった。大部屋の窓際に居た時に手術前にまとめたように、手術後の最低限必要なT字帯や吸い飲み、下着とタオルなどの袋以外は荷造りしたそのままになっている。
それらを点滴やドレーンのチューブに注意しながらゆっくりベッド脇へ引き寄せ、携帯電話や財布、パソコンなどを引き出していく。この作業がけっこうしんどくて玉の汗。丸めたコンビニの袋がぽろりとアッチ側へ転がり落ちただけで、サッと拾うことも出来ずガラガラと点滴台を移動させてゆっくり腰をかがめておそるおそるつまみ取る感じ。

何とかPCと仕事用のHDDを接続してテーブルへ設置、さっそくツィッターでお見舞い・応援コメントを@でくれた方々へ御礼のツイート。この間のたくさんのTLを遡って見ていくことはとても出来なかったが、@ツイートだけはまとめて読めるので、皆さんにはお礼の返事をしておいた。

手術だっていうのに知人でさえシカトする奴もいる(涙)ってのに、会ったこともない方や本名さえ知らない方に励まされるなど、本当に有り難いことだ。こちらが落ち目になったり弱り目になると離れていく人間を嫌というほど見て来たので、病気になっても変わらず応援してくれる人というのは心から有り難い存在で感謝しかない。たかがネット、たからツイッターと言うが、けっこう如実に人間性の浮かび上がるツールでもある。知人が病気になったり入院したということを知ったら、俺はお見舞いのツイートはする。
しないことで無言の応援をするという主義の人もいるだろうけど、自分の場合は同じ時間帯にTLに居ると無視しているように思われるのが嫌だ。実は「言葉にしないと伝わらないこと」の方が「言葉にしなくても伝わること」よりも、実際は多いものだ。敢えて言葉に出されることで嬉しさも倍増ということもある。受け手の問題で。
俺の場合は先方が軽く「ツイッターなど遊び感覚」と思っていたとしても、遊びだったら余計にシカトされるのはキツいと考えてしまう。裏もなくスルーというのは無視ということだから。気がついたら@(自分宛のツイート)には必ず返事をすることにしているし、時々見逃したりしなければ。まあ要するに「気にしい」なので、本来もっと気軽なものなのは解っているのだが、そもそもがブログを更新しなくなった自分が遠く離れて「心配してくれている人たち」へ「今日も生きている」ことを伝えるために始めたこと。元々が真剣なことだった。

昼はまた粥が出たが、たまねぎと油揚げの味噌汁がついており、これが尋常じゃないほどうまかった。薄味薄味というが関西の味噌汁はダシがしっかりしたいいお味。粥の方は荷物から出しておいた「ごはんですよ」で、4割ほど食べた。病院へ入ると「ごはんですよ」やふりかけ類にはとにかく助けられる。醤油や塩もあった方がいいけれど、何しろ白いご飯を味の薄いおかずでどうやって食べるかというのはけっこうな難題なのだ。

午後は1時半からレントゲン撮影があるというので待機していたが、助手さんが一向に迎えに来ない。通りすがりの看護婦にそう言うと「だったら一人で行って貰ったらいいですし」と冷たく言われる。外科病棟はサドの集まりか。
「あっ、そうすか…」と返し「じゃあ行ったるわ!」と一人で点滴とドレーンを押しながら中央棟まで行った。X線受付まで行くと息が切れた。2番から4番でお待ち下さいと言われて歩いて行くと、座る間もなく呼ばれて中に入り、撮影は胸部の前と横からの2枚、1分もかからず終了。
その後は地下へ降りて、ローソンへ。箱ティッシュは咳と血痰処理のたびに使うので思いの外消費が早く、追加で購入。髪留めのゴムとペットボトルのお茶などを買い物して戻る。
(ところで病院ではよく「水に流せるティッシュ」というのを売っているが、あれは非常に使いづらい。痰を切るために口や舌をぬぐうとティッシュが溶けて舌の上に残る。ちょっと汗をかいたと思って軽く髪の生え際をティッシュで抑えたりすると、そこに切れ端が残ったりもするので、使いづらいことこの上なし。普通のティッシュで十分というか、普通のじゃなきゃ駄目だ)

午後に執刀したS先生が来てくれ、レントゲン、採血などから見ても経過は非常に良好とのこと。手術前にひっきりなしに出ていた乾いた咳はどうですか、というので「痰が上がってくるのでそれを出すような咳はけっこう出るんですが、手術前のようなのは出なくなりました」というと、やはり縦隔の大きな腫瘍を取って良かったのではないか、とのこと。最大部で7cmという大きさで、ゆくゆくは心臓を圧迫していたかも知れないし、今回も肺の何とか神経というのにかなり近づいていて、そこは咳やくしゃみを誘発する神経で、そこへの影響も無かったとは言えないし、今後当然影響が出ていくことも考えられたでしょう、とのこと。
まあ確かに、正中・つまり胸の真ん中にここ数年時折ズキンとキリで突かれたような痛みを感じることがたびたびあった。縦隔の腫瘍は5年前の白血病告知時からもちろん知っていたし、少しずつではあるが大きくなっていることも知っている。なので仕方ないんだと思っていたが、あんなデカいものがそもそもあってはいけない場所なわけで。
S先生は「だから取っておいて良かったと思うんやけど…よく考えたら白取さんの場合はまだ脾臓があったんですよね、一番の大物が」と苦笑される。あ、そういえばそうだ。基礎疾患である白血病原発である身体症状で最も大きなものは、この巨大にふくれあがった脾臓だ。たっぷりと血を含んだスポンジのような臓器が下は骨盤、右は臍の右までふくれあがっているわけで、さすがにこれを取るとなると命がけの大手術だろうし、だいたいもうそんな手術は御免である。
「ご飯も食べられてますし、胸の方からも水がだいぶ減ってきてますしね、色も薄まってますから、明日あたりレントゲン見てこれ(胸腔ドレーン)も抜きましょか」ということになる。も、もうっすか? 内科じゃドレーン3週間も入れてたのに。まだ午後の紅茶がかなり赤くて濃い感じなんすけど大丈夫なんでしょうか…。

この日の夕飯からは普通のご飯に戻った。魚の煮付けみたいなものと溶き卵のスープなど。
食後に女性の研修医が来て、「抗生剤も、痛み止めも経口で調整できそうですね、じゃあ点滴取りましょう」ということになり、夕方に右腕から点滴が外れた。順番に色々と外れていき、いよいよ残ったのは胸腔ドレナージだけとなった。
消灯前には挿管部分のガーゼ交換をして貰い、夜はだいぶ痛みも薄れており、10時前に3方からいびきが轟音のように聞こえ出したので、耳栓をしてさらにサージカルテープでがっちり封印のように固定してこちらも寝に入る。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。