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2010-07-10(Sat)

管から自由になる

7月10日(土) 入院27日目・手術4日目

朝は4時過ぎ尿意で起床。排尿もその後順調だがまだ色が濃いのと、相変わらず血痰が続いている。その後再び横になって寝ようとするが、とにかく咳が出てその都度血痰を出さねばならず、とても寝られなかった。夕べは導眠剤を飲んで11時前には寝られたはずで、そこからは比較的よく寝たと思うのだが、その分早く目が覚めたか。

朝食も済んだ8時半ころ、向かいのSのおっちゃんが静かだなと思ってたら、何と洋服に着替えて帽子を被り、病室から出て行く後ろ姿がカーテンの間からチラと見えた。
そういえば「どうせ土日は検査も何もあらへんさかいに、家に帰らしてもらうわ」とうそぶいていたのを聞いた気がするが、外泊許可ちゃんと取ったのか。
その後ナースステーションでのやりとりが丸聞こえで、いったん病室へ戻るように言われてすごすご戻ってきた。Sさんのことだからきっと、口頭で看護婦にその旨もう伝えてあるんだからいつ帰ってもOKだと思ったのだろう。当然主治医の許可と外泊許可証が必要なのだが。

しばらくして担当らしい若い研修医が2人病室へ来ると、すぐに「あのな、これから家へ帰らせて貰ってやね、明日の夕方までに戻ったらええちゅことでもう話ついてまんのや。せやからこのまんま行ったらよろしいんやろ?」とまくし立てる。
「ええと、そうなんですけどね、Sさんは先日からお伝えしてあるように糖尿の疑いがありまして、食前に血糖値を測っていただいて、必要ならインスリンの注射も打たなあかんのです」と研修医。
「せやからな、何ぺんも言うとるようにな、わしは糖尿はない、言うてんねん。昨日の夜ちょっと高かったのんは、夕飯のあとにパン食うてもうたさかいにな、その後で寝る前の測られたやんか、それでな。夕飯だけやと全然足りませんのや。わっはっは、なあ、解りますやろ? とにかくな、これからわしの家族に来て貰て、まずは手術を受けることになった、ちゅう説明をせなあきませんねや。明日の夕方4時に先生から説明がありまっしゃろ? せやけどここに一緒に来るかどうかは、まだ解らんちゅうことや。向こうにも都合があるわけやしな、まずは今日、家に来さしてわしから話をして、それからの話、ちゅうわけなんや。あのな、色々事情があるわけや、わしにも。いろいろ、な?」
「はあ…とにかく注射がありま」
「いや、どうもないんですよ? 私は。癌言われてもな、自覚症状も…何もない。肺気腫やいうことは言われてましたで。せやけどなーんとも、ないねや。ほんまでっせ? 糖尿やいうのもここ来て初めて言われましたんや。血糖値が何や、ちょっと高かったちゅうてやで、昨日パン食った後にまた高かった言うて、ほいで…」
とそこで黙って聞いていたもう一人の研修医が「解りました、ええと、Sさん、あのね、今手術前で大事な時なんですよ。だから、今まだ確定はしてませんが、万が一糖尿病であった場合、術後の経過にも色々と影響もしますし、生活スタイルも変えてもらわなあきませんしね、大事なことなんです。とりあえず、看護婦さんから薬の指示をしてもらいますから、それを聞いてもらってから外泊ということで、先生に許可取りますし、いいですね?」
「ああ、それでええよ。ほなら早くしてや」
研修医二人はそそくさと出て行き、Sさんは何かブツブツ一人で文句を言っている。しばらくすると看護婦さんが薬を持って来た。
「あのね、これが血糖値を測る機械。使い方はこれこれこうね、説明書はこれ。ちゃんと読んでね。血糖値は高くてもあかんし、低くても危険やから、ちゃんと食前=食べる前に測って、きちんとやって下さいね」と懇々と説明している。Sさんはもう一刻も早く出たいらしく、余計なことは喋らずにはいはいと生返事だけをしている。どうやらインスリン注射などどうでもいい様子なのが解る。

こちらはお茶が切れたので、買いがてらドレーンスタンドを押してカーテンをひょいと開けると、Sさんがちょうど出て行くところだったので「外出ですか」と言うと「外泊、や」とにやりと笑う。「血糖値の測定のやつ貰いました?」と聞くと「そんなん使わへんねん」とこれまたにやり。やはりそうですか。
「これからコレですな」とタバコを吸う動作をすると「当たり前や」とニヤリ。
「ほな明日の夕方戻りますわ」と言うので「気をつけて、行ってらっしゃい」と見送った。あのひっきりなしの銅鑼声も全く聞こえないと妙に静かで寂しいのが不思議。すっかり憎めないSのおっちゃんに慣れてしまった。

そういうわけでSさんも外泊に出て、その上今日は週末なので病院自体も静かだ。こちらもちょっと痛みも落ち着いたので、こうしてパソコンで手術当日〜ここ数日のことを思い出しながら記録し始めている。
するとすぐ助手さんが来て「レントゲンがありますけど一人で行けますか」と聞かれたので行けます、と答えて紙を貰い、ドレーン箱を押して出かける。だいたい車椅子持って来て「行きましょう」なら解るが手ぶらで来られて「一人で行けますか」ならハイと言うしかないやんか。

中央棟の1階にあるX線受付は受付係3人用の窓口があるが、2つには「不在」という札があり、一つだけ空いている。しかしそこに人の気配はなく、PCも起動していない。よく見るとここの廊下の電気もついていない。しばらくそこに佇み用紙を確認すると確かに「受付へこの紙をお持ちください」というようなことが書いてある。
そういえば南西病棟では受付も何もなく、勝手に検査室前へ行ってたな…と思い移動しかけたところで、向こうから同じ胸腔ドレナージ中の水槽を押したおっさんがやってくる。手にはおそらくレントゲンであろう用紙。よく見ると、最初に外科に来た時に相部屋になり、手術から戻ってきたらいなくなっていた「おっさん(騒)」ではないか。向こうもどっかで見た顔だな、くらいな表情でお互い「…受付、ないみたいですなあ」と言いつつ「じゃあ直接検査室の方行ってみましょか」ということになる
果たせるかな検査室の前には白衣を着た係が一人立っていて、そのまま中へ入れというので、おっさん(騒)が俺を先にという動作、もちろん順番的に先なので遠慮無く先に入る。撮影は一瞬で終わり、まっすぐそのまま病棟へ戻った。

しばらくパソコン作業をしていると、10時半ころ突然女性研修医が来て「S先生がそろそろドレーンも抜きましょうかということなんですが…」とのこと。え? もう? まだ胸水は血の色だしけっこうな量が出てるんですが…と言うと「ええと、聞いてきましょうか?」と言ってくれたが、恐らく「やる」ということなのだろうと観念して、処置室へ向かう。
S先生はチラとドレーンバッグを見て「ああこの量ならもう全然大丈夫ですよ、これはね、管が入ってる限り延々と出続けますから」と言ってすぐベッドに横になるよう指示。パジャマの片肌を脱いで右を上に横臥位で横になり、右手を顔の方へ垂らすかっこう。
「麻酔が痛いんですよね…」というと「これはね、薬のpHの関係でどうしても痛いんですわ、こればっかりはしょうがないんですよねえ」とのこと。ガーゼがはがされて消毒され、真ん中に穴の開いたシートを上半身に被せられて、女性研修医が「では麻酔の注射をさせていただきます…」とぶすり、またぶすり。
しかし思ったほど痛くない。この麻酔が痛くないとちゃんと効かないことを知っているので、効いてない部分をさわられた時に「あの、まだ痛いですが」と言うと、指導していたS先生が「貸して」と言って麻酔を受け取り「はい、じゃあこれどうですか」とぶすり。凄く痛いです。「これは」それも…すごく痛いです。「ここも」あ痛でででで!。
「こういうのはね、ゆっくり少量ずつやってると生殺しみたいになるから、ちゃっちゃと入れちゃった方が患者さんのためなんだよね」と言って容赦なく注射された。そう、麻酔の皮下注射はこの痛さ、じゃないと効かないのである。
今回手術の際に幸い、というか当然全身麻酔で入れられた胸腔ドレーンはこうしてあっさり抜管され、縫合された。縫合も研修医がさせられ、それをS先生が指導しながら、仕上げを手伝ったりしつつチクチクと。最後に消毒して保護シートを貼られて終わり。
「まだ血痰が出るんですが」というと「術後の血痰はね、しばらくはしょうがないですね」とのこと。そんな感じでこれで全ての管が体から抜けた。I'm free。フリーダム&リバティ。何かよく解らんが。
ただ前回、内科で3週間入れた後のドレーン抜管後の嫌な感じを覚えているので、何というか胸全体に詰まった感があるというか、これでいいのだろうかという感じがある。
今は麻酔が効いているが、このドレーン抜管・縫合痕はけっこう痛むことも知っているから、戦々恐々だ。
不思議なことにドレーン部分を縫合したあと、痰が絡むような咳が消え、その代わり手術前のような乾いた咳が少し出るようになった。とはいえ手術前のように頻繁に出てしんどいわけではなく、時折出る咳がそれ、という感じ。痰を切ってみるが、血痰はだいぶ薄くはなってきている感じ。あとは時々出る咳だが、軽い咳なので挿管時のように胸全体に響くような痛みはないものの、何となく釈然としない咳ではある。お前、何が原因の咳やねん? というか。
とりあえずシャワーするにも下着の替えが無くなったので先に洗濯室でコイン洗濯機を廻して戻ってくると、女性研修医が来て「どうです、あのあと」というので「痛みも特になくて大丈夫です」と話す。「でも左肺にも穴の元みたいなのがまだけっこうあるんですよね」と言うと「そうですね、画像拝見したところ、けっこうありましたね」というので「じゃあ左もまた、気胸を起こすという事もあり得ますねえ」と言うと「そうですねえ、でもこればっかりは…」というので「スキューバとかやらないように気をつければいいでしょうか」とジョークのつもりで言うと「ああ、スキューバは確かに…ダイビング中に穴が開いたら即死ですしね」と恐ろしいことを笑顔で言われる。
そのほかは日常せいぜい強い圧が肺にかからないように気をつけると言ってもつけようがないが、もしまた左肺で同じことが起きたら、今回と同じ処置がとられることになるのだろう。すなわち最大激痛を伴う胸腔ドレナージ、さらには左胸胸腔鏡手術による穴ふさぎとコーティングだろうか…。出来ればこれっきりにして欲しいが。

昼はほぼ完食。
どうも手術前ほどではないものの空咳が出て気になるが、しばらくは仕方がないのか。それからシャワー室へ行くと「入浴中」の札。すごすごと戻ってきてテレビでMLB中継(NYY-SEA)を見る。先発予定だったクリフ・リーが突然のトレードでテキサスへ、シアトルはもはや優勝を諦めたというわけか。

その後3時過ぎになって見に行くとまだ「入浴中」なのでタイミング悪いな、と思ったがそういえばシャワー室は大小と二つあったな、と思い看護婦さんに念のため付き合ってもらって開けてもらうと、どっかのおっさんがまさしくタオルで拭いてるところで、「今空きました」というところ。
迷わず大きい方でシャワー。右の手術部分はもちろんこすれないが、その他の部分は手術前以来。ゆっくり洗ってさっぱりした。その後は先ほどの抜管縫合部分だけ、看護婦さんに消毒・ガーゼ交換というかガーゼ面付きの防水シールを貼ってもらう。
その後はPCで音楽を聴いていた。

音楽を聴きながら、ベッドの上で両手を広げてかざして見る。手術を終えた日の夜、誰もいない個室で管だらけで身動きが取れない時に、自分の手をかざしてみて「ああ、これは生きてる人の手じゃないな」と思った。手のひらには指の関節それぞれに黒く静脈が浮かび、皮膚は薄く皺が寄っている。手の甲の側には張りがなく、全体的に覇気がないというか、生気が感じられない手。
5年前に白血病と言われた後、延べで百日を超える入院の中で、何度か同じことを思った。「もう長くねえなこりゃ」と思ったこともたくさんあった。というかそういうことがありすぎて、もうそれぞれが何の時か覚えてないくらいだ。けれどもまた今、こうして生きている。まだ生きろ、もう少し生きろと言われているのか。

夕飯は9割がた完食。
ツイッターを見るとまたお見舞い、応援ツイートがある。有り難いことだ。返事がてら元気で回復していることを書き込む。
しかし実際、咳と血痰が止まらないのには困った。あと、鼻血。左の鼻の穴からの出血がなかなか止まらない。やはり血小板数が一時的に上がったのは使い物にならん欠陥品だったようだ。この鼻血は飲み込むわけにいかないので鼻をかんで出すのだが、いつまで経っても止まらずに出続けている。
咳をするたび血痰が出て、鼻をかむたび鼻血を見る。毎朝毎晩歯を磨けばこれまた出血。もう正直うんざりなのだが、こういう病気なので仕方がない。輸血せずに手術を終えられただけでも感謝せねば。普通の体ではないんだから、感染に気をつけ、これからは呼吸にも気をつけて行かねばならない。もうこうなると、だんだん「生きることそのもの」に気をつけねばならなくなってきている。「生きる」ってどういうことか、正直良く解らなくなってきている。
こういうことを書くと「それはね」とご丁寧に説明をしてくれる人が出てきたりするが、理屈はどうでもいい。現実に自分が「これまでに体験してきたこと」の延長に「今体験していること」があり、その「実感」は俺にしか解らない。俺が、病気に苦しむ連れ合いと一緒に乗った救急車で感じたこと。見て来た彼女の苦しみ、病気。自分の病気。じっと我が手を見た日。涙雨の降る空を涙を流しながら見上げた日。「俺が生きること」に対してどう思うかは、俺にしか解説できないし総括もできない、俺の人生だから。

あとどうでもいいがアナゴ君(痩)と娘さんよ、仲がよいのは結構ですが面会時間は7時まで、大人なんだから集団社会の決まりは守れよ。

夜中2時半ころ、隣のアナゴ君(痩)、斜め前のおじさん(咳)のすさまじいいびき攻撃で目が覚める。いつの間にか右の耳栓&サージカルテープが外れていた。詰め所までふらふらと歩いて行き、看護婦に無言で耳を指さすとすぐ合点してくれ、テープを貰う。看護婦は「あまりひどいようでしたら体勢換えたりしますから」とついてきてくれたが、ちょうどいびきの最盛期が治まったところで意味なし。そのまま寝ようとするがタイミングを逸してしまった。こういう夜は長い。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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