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2010-07-12(Mon)

おっちゃん話地獄

7月12日(月) 入院29日目・手術6日目

6時前に起床。夕べは仕事が最後の転送でもたつき、1時頃寝たか。その頃にはもうとっくに周りのお三方は高いびきで、俺はいつものように栓を奥までねじ込み、テープでがっちり補強して寝た。
お陰で5時半ころまでよく寝られたが、その5時半に俺を起こしたのは目の前のおっちゃん、Sさんである。この人はだいたい寝るのはいつも10時前と早く、毎朝この時間に目を覚ますが、基本的に他人のことなどどうでもいいので、大声であくびをし、そこら辺のものをガタンドタンと動かし、パッタパッタとサンダルを高らかに鳴らしてお湯を汲みに行く。そうしてお茶を煎れ「ごくんごくんぷはああー」とやったあとコップをターン! と病院中に響き渡ろうかという音でテーブルにたたきつける。立ち飲み屋かよ(笑)。耳栓など何の意味もなさない。

俺は別にこの時間に目が覚めても何ら不都合はないので、ひとしきり騒音を立てた後Sさん曰く「談話室」本来は食堂へテレビを見に行った後、起きて洗顔などを済ませる。それから仕事再開。いったんSさんの騒音で起こされた俺の隣のアナゴ君(痩)やSさんの隣のおじさん(咳)らは再び高いびきで寝始めた。どうでもいいがアナゴ君(痩)のいびきは殺人的。
前の晩止まっていた転送を再開してFTPソフトのご機嫌を取りつつ仕事を進めていると、食堂からSさんが戻ってきた。まだ誰もいなかったのでつまらなくなって帰ってきたのだろう。俺たち以外の2人はまだ寝ているのだが、Sさんは電気シェーバーを取り出し「ビーン! ビーン!」という騒音を出しつつヒゲを剃り出した。合間に「あー」とか「うー」とか例の腹に響く銅鑼声が混じる。隣のアナゴ君のいびきが止まった。
Sさんに「まだ他に寝てる人がいるから」とか「他の人に迷惑やな」などという「配慮」など、微塵も、ない。えあ? 他の人? 関係あれへん! わしはわしや! わしは一人だけや! と一人ふんどし一丁で荒波押し寄せる岩場に腕組み仁王立ち。日本海の荒波が見えた。

Sさんの騒音と独り言に耐えきれず、おじさん(咳)=Kさんが起きた。まあこの騒音の中で寝てられる人はまずおるまい。俺はカーテンは引いてあるものの、起きているサインは出した。看護婦が採血に来てカーテンを開けたら、こっちを見ていたSさんと目が合ったので会釈をする。何か言いたげだったが、こっちは血を採られてるので自重してくれた。

8時朝食、ほぼ完食。
咳と若干の血痰がまだ出るが、咳の頻度と血痰の血の濃度は薄くなっている。穴を塞いでコーティングして貰った右肺も、最初は深呼吸しようとすると痛かったが、以前思い切り吸うのに比べれば7割くらいまではゆっくりなら吸えるようになった。昨日までのレントゲンによると順調に膨らんでいるようだし、個人的には外傷=手術痕のガーゼ交換なりが自分で出来れば抜糸は外来で出来るし、退院になるかも知れないと思った。

だが正直に言うと、こんなはずはない、とも思っていた。
何しろ経験から言うと、どうやら人生は「等価交換」のようだ。「人生山あり谷あり・苦あれば楽あり」という、それは要するに、ならせばプラマイゼロってことじゃないのか。
連れ合いを亡くしたあと、たどり着いたささやかな平穏の日々の「ツケ」は地獄のような帯状疱疹・入院だったし、その後の平穏な日々の「ツケ」は今回の気胸と腫瘍騒ぎだろう。
もしこのまま何もなく終われば、また平穏な日々が戻るはずだが、その日々をいったい「どういう不幸で購うのか」が今から真剣に心配である。
だいたい次は「死」ということだって普通にあり得る体だ。

「生きる」ということは、それ自体が「苦行」であることは、もう解った。もうじゅうぶん解ったから。他の人は知らない。だが自分の場合、ちょっといい事があれば必ず相殺する不幸がある。楽しい生活が続くと、地獄の痛みを伴う入院生活が待っている。ならせばプラマイゼロ。
人生ってドライだし、神や仏というものがあるとしたならば、それらは「残酷でもないし寛容でもない」。ましてや慈愛に満ちてなんか、いない。時に奇跡奇跡をもたらせてくれたりするが、時に極めて理不尽な残酷さを見せる、要するに「気まぐれな存在」だ。

9時半ころにバイタルの看護婦さんがカーテンを開けたのをきっかけに、向かいのSさんと話す。Sさんは「こんなもんいちいちペットボトル買うてたらもったいないさかいにな」と言っていつもお湯をポットに持って来て、急須でお茶淹れて飲んでいるのだが、俺にも「たまには熱いのどうですか」と言ってコップに淹れてくれた。
「あ、緑茶ですか」と言うと急須を開けて「これや」とつまみ出したのはティーバッグだった。
4人部屋のうち、左奥の窓際つまり俺の左隣にいたアナゴ君(痩)は今日が退院だそうで、奥さんが迎えに来て「お世話になりました」と型どおりの挨拶をしてあっさり去っていった。
右奥のおじさん(咳)は大人しくじっとしている様子で、時折激しく咳き込んでいる以外は声も発しないし、立ち歩くこともトイレくらいで少ない。

バイタルが終わってもカーテンを開けたままにしておくと、Sさんが嬉しそうに何かというと話しかけてくる。自分の場合聞き上手なのは自覚しているが、すっかり気に入られてしまったようだ。一方的に長い時間おっちゃんの「半生」を聞いてしまった。
このおっちゃん、Sさんは十代の頃は京都市内で友禅染の工場で小僧として働いていて、それなりに何年かでいろいろ技術を習得していた。たまたま東京へ行く機会があり、そのまま居着いたろ思て新小岩あたりの染工場を尋ねて働かせろ言うたら、「どこから来た」と言うので「京都や」と言ったら一同驚き、習得した技術を講釈したり披露したりしたところ、いきなり工場長になった…という話。
「そらそうや、京友禅言うたら全国から京都へわざわざ職人を引き抜きに行くか、習いに行くかちゅう時代や、逆に? まだ自動の機械もあれへん時代やさかい、ほんまもんの職人やちゅうて偉い大事にされたもんやで」
ずいぶんやんちゃもしたそうで、ケンカの挙げ句人を刺しててっきり事件になったと思って北海道まで逃亡しておそるおそる京都へ戻ったら何ともなかったとか、職人仲間と金沢や群馬やらあちこちを職人の腕一本で転々としたとか、若い頃はけっこう遊んだという。
その次は、最初は作り方も見よう見まねで、適当にスキー場でたこ焼き屋を始めたら当たってしまい、滋賀県に営業許可証ちゅうのんを貰いに行ったら第一号やった=つまり滋賀県のたこ焼き屋の発祥はわしや、という話。「ちょうどな、世の中レジャーブームちゅうのが来た頃や。みんなカップルでスキーや言うてな、集まってくるわけや、そこに勝手に店出してな、アツアツのたこ焼き焼いとるわけやからもう、飛ぶように売れたわ。一月働いて月給が3万4万ちゅう時代にやで、一日4万売り上げたんちゃうか? あれは良かったわー」
何と滋賀県最初のたこ焼き屋はSさんだったらしい。(真偽は不明)

しかしまあ貯えなどは出来ず、ヤクザまがいのこともしつつ、バブルの頃は石屋をやったという。中国からデカい石を買い付けてきて、トン2万で仕入れた石を金持ちの屋敷廻って5倍で売って大もうけしたとか、那智黒のいい石が入ったので、トラックに積んで那智黒に目がないという某大手製菓会社の社長の家の周りをうろうろしてたら案の定社長の車が通りかかって呼び止められ、即買で300万の小切手をくれた話。
その後やっぱり金を使い果たして、ミシンを買って縫製工場やったらそこそこ儲かったのはいいけど、途中から労働力が中国に流れ出して、結局一代40万で買った業務用のミシン50台を最後は5千円で泣く泣く引き取ってもらった話。
最近は琵琶湖へ船を出して、投網で魚を捕っては知り合いの業者に引き取って貰って、という感じだったらしい。
こいういう話をコテコテの滋賀弁と丸坊主の愛嬌ある顔(『千と千尋…』に出て来た湯婆婆の部屋にいる3つのオヤジ顔からヒゲを取ったらそっくり)で言われるので、聞いてても面白くて仕方がなかった。

そのうち昼になったのでそれぞれのベッドに別れて昼飯。俺の方はハヤシライスだった。完食。Sさんは鯖の塩焼きのようなもので、糖尿用の食事らしく明らかに不満そうだ。
その後は一人窓際に居たおじさん(咳)が15日手術だというので何やら点滴をつながれ、歩いてどこかへ行こうとしたら俺とSさんのちょうど間でアラームが鳴り出した。バッテリー切れのアラームで、看護士が来て「しばらく充電終わるまで動かれへんね、すいません」と言って出ていった。
それをきっかけに「気の毒やねえ」「そういうとこいい加減なんやな」とかいう話で、今度はこのおじさん(咳)=Kさんも交え、3人でしばらく話をする。それぞれ何でここの病院へ来て手術することになったか、という話などで盛り上がっていたら、Kさんのところに若い男性がお見舞いに来て、話は中断。
俺とSさんは廊下のテーブルと椅子に移動して、そこでまたしばらく手術の話など、雑談を続ける。30分ほどしてSさんは「わし明日手術やしな、今晩眠られへんかも」とペロッと舌を出して、昼寝にベッドへ戻っていった。
俺はしばらくそのまま廊下の椅子に座っていたが、ランニングと短パン姿だったSさんが上に甚平を一枚羽織ったので「どちらへおでかけですか?」と声をかけたら「パン買うてくる」と言ってニヤリ。ああ、タバコだろうな、と思いつつ「ほどほどに…」と声をかけた。何しろこの人明日手術なんだから。

その後、着替えやタオルや洗剤シャンプーなどを持ってシャワー室へ。うへー気持ちいいーと思いつつシャワーでガシガシ洗った。それから洗濯物を洗濯機に放り込み、ベッドに戻ってやれやれと冷たい水を飲んでいると、執刀医のS先生が来てくれた。
「どうですか、そろそろ退屈になってきたんじゃないですか」と言いつつベッド脇に座って聴診器を充ててもらう。「うん、音もいいですね」とのこと。「レントゲンの結果も、まだ多少は水が出たのが映ってましたけど、良好です。で、内科でも受けられたと思いますが、せっかくなので(笑)全身麻酔ですし、実はこちらも気管支鏡入れさして貰って、いろいろ見さして貰いました」とのこと。そうなんだ。少しびっくりしたが「いや、でも麻酔中で良かったです」というと「それでね、あちこち見ましたが、どうも最初に訴えられていた血痰、膿のようなものを出す病変が見つからないんですよ。なので、今回取ったデキモノ(穴の元)がいくつか他にも見られますので、それの背中に近い方のやつのどれかが破れたかしたんじゃないかと思うんです」という。
手術直後の血痰は、肺の中を切ったんだから気管を通って上がってきたり、喉の奥の挿管で傷ついた部分からもあるのは当然。肺の中の、今回大きく破れて気胸の元になったデキモノは摘出したし、その後は縫合してあるし、全てのデキモノを取り切れるわけではないので、2カ所ほど切り取ったそうだが、あとはもし残ったものが破けても気胸にならないような処置(コーティング)はしてある、と。
で、縦隔の大物(腫瘍)と併せて取ったそれらのものは検査に出しているが結果はもう少しかかります、というので「先生の所見としてはどうでしょうか」と聞いてみる。
S先生は「縦隔の方は、やはりリンパ系のものじゃないか(=白血病性のものではないか)と思いますね、あと今回新たに見つかったデキモノ=穴の元にしても、同じようなタイプのものやないかと思うんですが…こればかりは検査の結果見ないと何とも言えません」とのこと。いずれも悪性のものには見えない、というあくまで個人的な見解ではあった。

「2年前のCTには映っていなかったものが、急にこれだけたくさん出来たというのも考えにくいわけで、元々白血病が作ったリンパ系のできものが、少しずつ大きくなって今回映る大きさになったという考え方もありますし」という。
縦隔腫瘍が白血病原発のものらしいことはもうほぼ解っていたものの、肺の中に出来たデキモノもそうだと解れば、今回は脳や胸部腹部の断層写真を撮り、さらにPETで全身の腫瘍もスキャンしている。それらに全く異常が見つかっていないわけで、「逆に変な言い方ですけど、安心したというか、ほっとしたというか…」と俺が言うと「そうですね、そういう見方も出来ますが、白血病がこういうモノを作るとなったらなったで、そこから先はじゃあどうするか、治療をするのか、という話は非常にこれまた血液内科の専門的なお話になってしまうわけで、あちらにお任せするしかないんですが」とのこと。
とにかく今回の気胸〜縦隔腫瘍摘出&正体不明の腫瘍摘出に関しては、手術の結果、予後もきわめて良好ということでいいそうだ。
あとは細胞検査で白と出るか、黒と出るか。俺は白に命を張っている。白だ。

その後はこちらはベッド上に座って、またSさんの話をサシで聞く。同じ話の繰り返しが混ざったりするが、別に問題なし。染め物の職人として東京(新小岩)には二年居て、そこから群馬の桐生、金沢、四国と職人仲間三人と渡り歩いて京都へ戻ったそうだが、待遇も良くずいぶん遊んだ様子。「まあ大事にされましたわ。京都戻ったらとたんに何やお前ら言う扱いやったけどな」京友禅の職人なので京都ではただの若造。ゆえに京都では羽振り良く、というわけには行かなかったそうだ。

こちらは洗濯を終えて乾燥機を廻し、取り込んで畳んでからは少しベッド上でうとうとしてしまった。その間Sさんは奥さんがお見舞いに来られていた窓際のおじさん(咳)の方へ移動し、ずっと喋りっぱなし。何というか、最初から話好きだったSさんだが、ちょっと様子がおかしい。「躁状態」にあるような感じだ。
俺が寝ているとはいえ起きているかも知れないのに、ていうか実際聞いていたが「あこの人は血液の癌や。でも今回の手術は内視鏡やろ、あんなん簡単なもんやさかいすぐ元気になってん。あんたも肺の上ちょこっと取るだけやったらたぶん内視鏡や。ちょちょいのちょいやで、そんなんはな。わしの場合は右の肺のど真ん中に塊がポン、とあるわけやから、おっきい手術になるんや。まあ先生は80-20で大丈夫言うてはったけどな、わしは元々肺のアレが弱いさかい、回復も遅なるちゅうことや。せやから五分五分いうところやと思うわ。しばらくは動かれへんようなるわな」とか言っている。
前にも何度か繰り返した部分と、新たに仕入れた部分を入れ混ぜて、まあ結局言いたいことは「わしの手術は大変なんやで」ということ。
その後Sさんは明日の手術に備えて術前の点滴があると呼ばれて行き、その後何気なく起きた俺と、窓際の椅子に座っていたおじさん(咳)と目が合ったので、なんとなく世間話になる。
白髪で物静かなおじさん(咳)=咳は「あの人(Sのおっちゃん)、ほんまは不安で溜まらんのとちゃうかなあ」と言うので、俺も「そう思いますよ、きっと。僕は先週の月曜にこっちの病棟へ移ってきたんですが、Sさんが水曜の手術の日に来られてから、ずーっとあの調子で自分は癌だ、どこそこでは切られへん言われた、これこれこうで、ああでこうで…いう話をもう会う人会う人みんなに話してますしね」と言うと、おじさん(咳)のご夫婦ともに頷きながら「ずーっとああやからねえ。きっとご本人は怖いんやろうねえ。初めての手術やし、不安で不安でしゃあないのを隠そうとして、喋ったはんのやろなあ」としみじみ。横に座った奥さんも「怖いのは当たり前なんやから、癌なんやしねえ」と言うので俺も頷く。その不安でしょうがない気持ちを隠そうと、絶え間なく喋り続けてるのだろう…。そんな話を3人で少ししてから、こちらはベッドに戻る。

俺の方はまだ取ったモノの分析結果が出ていないとはいえ、もう良性である、新たに発生した悪性腫瘍ではない、という「賭け」に勝つと信じている。もう、決めている。
術後の経過も自分で言うのも何だが良好だ。点滴やドレーンも順調に外れたし、メシももりもり食って、一人で歩いて検査へ行き、買い物もし、シャワーもし、洗濯までして、体力も回復している。ずっと続いていた微熱も昨日あたりからおさまり、今日は何度測っても平熱だ。咳も血痰の頻度も量も明らかに減ってきている。癌なわけがない。きっとそうだ。
一周忌を過ぎ、もうずっと一緒に居るのだからと、今回の手術にあたっても、写真もあえてしまったままにし、検査のたびに外すのも面倒だからと、彼女の結婚指輪と遺骨を納めたクロスを通してあるネックレスも外したままにしてあった。それらを取り出して、俺もそろそろ「日常」に戻る準備。左手に自分の健康記念のために買った数珠と、彼女の供養のための数珠をし、ネックレスを元通り首につける。テーブルには彼女の写真を立てた。こうなっていることが俺にとっての「日常」で、あとは家に戻って猫たちと一緒にビールを飲めば元通り。
元の何てことはない「日常」まで、あと少し…だといいが。

6時前、廊下でSさんの銅鑼声が響きだした。ああ、戻ってきたなと思い、ベッドのカーテンを少し引くことにする。それにしてもこのおっちゃん、今日の「躁状態」はちょっと尋常ではない。こちらもずっと話に付き合っていて、さすがに疲れた。
そういえばここ数日、病棟には何か知らないが撮影クルーが入っており、その人たちと立ち話をしているらしい。
Sさんは「何や術前の麻酔準備とか言う手て何か入れられたわ」と戻ってきてすぐ、執刀医の先生が来られ、カメラを構えた撮影クルーも一緒に入ってきた。Sさんに「お変わりないですか」と聴診器をあてたり、「この麻酔を入れておくとね、手術後の痛みが和らぎますからね」「何や神経を…殺すんやな」「殺しはしませんけど、ブロックして痛くないようにするんですよ。じゃあ今日はゆっくり休んで下さいね」みたいな会話を撮影し、先生は去って行った。
撮影スタッフはその後ちょっとだけSさんにインタビューしている。
「いよいよ明日ですね」
「ああ、わしはそんなもん平気やで。ただな、残されたもんが可哀想やんか」的な男前な台詞を言っている。
その後で聞いてもいないのに話してくれたSさんによると、先ほど診察していったのがSさんの執刀医だが、Sさん曰く「あれがここの院長や」(※注:真偽不明、未確認情報)とのこと。で、NHKが何かの番組でその「院長先生の一ヶ月」を撮影取材しているのだという。
そうなれば院長の患者の一人としてキャラの立つSのおっちゃんをクルーが見逃すはずはなかろう。なるほど、と合点がいった。当のご本人は実に嬉しそうで、若い女性ディレクターにギャグを飛ばしたりしながら撮影に応じていた。
手術前の心境を聞かれたおっちゃん「まあわしがこれで死んだとしても? それは天命やと思うし?」「ただな、泣く人がおるさかいに、それだけは心残りやな、ワッハッハ」などと男前な発言をしているのを聞いてカーテンごしに笑いをこらえる。やっぱりこのおっちゃんオモロイ。
その後クルーが去った後「Sさん凄いやん。全国ネットでスターですやんか」とからかったら「何やあれやで、手術成功してな、回復したら、琵琶湖で投網放ってるとこ撮影するらしいで」とのこと。
俺がもしNHKのプロデューサーだったら、絶対に主役はこのおっちゃんで撮る。病院や先生の映像や話などはそのツマでいい。おっちゃんが最後に琵琶湖で投網放ってる映像。肺がんの手術後だというのに全くタバコをやめておらず、破れ目のある麦わら帽子の間から覗く日焼けしたしょっぱい顔のアップ。もちろん口にはチビた咥えタバコだ。
ナレーション「肺がんを宣告され、自分の破天荒な人生もそろそろ終着駅だと思った、Sさん。しかし現代医学はSさんに、この先にもまだ人生があることを教えてくれた。Sさんの終着駅はこれからも続く、長い旅路の果てになりそうである…」なんちて。
投網を打つSさんを俯瞰で撮るヘリからの映像、だんだんと引きで。夕焼けをバックに湖面、比叡山をフレームイン。エンドロール。うわーこれええで!…と一気に想像している俺はバカかも知らん。

6時過ぎから夕食、麻婆豆腐だった。完食。
飯を食べ終わって一息ついてると、Sさんがそそくさとランニングの上に甚平を羽織り出した。「どっかお出かけですか?」と聞いたら「パン、買うてくるんや」とニヤリと笑うんで「で一服?」と言うと「当たり前や」と言って出て行った。あの、手術前日なんすけど。それにたった今夕飯食ったばかりでパン、て…。
ちょっとすると姉御肌の看護婦さんがバイタルに来て「Sさ…あらいない」というので「お買い物に出はったみたいですよ」と言うと「あら。落ち着かへん人やねえ…まあ、動けるうちに動いといたらええんやけど。どうせ明日の今頃は動かれへんようなっとるから」と言ってフフッと笑い、出て行った。残されていた俺とおじさん(咳)=Kさんは顔を見合わせて吹き出しそうになった。「ああいう看護婦さんが一番、怖そうやねえ」

30分くらい経ってようやくおっちゃんが戻ってきた。見ると見覚えのあるスーパーの袋をぶら下げている。俺がまさかと思って「どこまで行かはったんですか?」と聞いたら「病院からちょっと下がってって左曲がるやろ、そこにスーパーあんねや。あこまで行ってきた」というのでビックリ。
そこは熊野神社前の交差点を東に入ったところにあり、俺も病院の帰りによく買い物に利用しているからよく知っている。「あんなとこまで?」と言うと「そうや。あんなんちょろちょろっと歩いたらすぐやで。病院のコンビニ? あんなん高いやん。ぼったくりや。スーパーまで行ったったらな、総菜から弁当から何でも安く売っとるさかいにな、わしは買い物言うたらあそこまでいっつも行ってんねやで」とのこと。俺とKさんは唖然。
Sさんは甘食が6〜7個入った袋を引っ張り出して、3つ出して俺に1つ「ほれ」とくれるのだが、ついさっきKさんと「しかし病院の食事三度三度食うてたら、全く間食せんようなりましたなあ」「けっこう量が多いし腹一杯になりますしねえ」なんて会話してたばかり。その上日中Kさんの奥さんが菜園で作ったというトマトもいただいて、夕飯時においしくいただいてたから、もう腹はぱんぱんである。
Sさんは牛乳の1リットルパックも買って来てて、それも俺のコップに注ごうとするので「お、お茶2杯飲んだばっかりやし、勘弁してください!」と言うと「そうけ」と言って諦めてくれた。Sのおっちゃんが牛乳を買ってくるのは、どうやら外に出た時に吸ったタバコの臭いを消すためと考えているらしい。
そうしてドカッとベッド脇の椅子に座ると、両手に持った甘食をむしゃむしゃと食べながら、また話が始まった。
「何や明日の手術の後で痛ないように言うて、背中に麻酔の針刺されましたんや。それがまた、若いねえちゃんの研修医? にやらせんねん。最初の一回でうまく刺せへんで、『アレ』とか『そこ違う』とか後ろでごちゃごちゃ言うとるわけや。結局刺したり抜いたり、4回もやられたんやで!?もうほんまにいい加減にせえよお前ら、いう話や」で爆笑。
その後は3人で少し北陸の名所の話やらをしただけで、あとはまたSさんの独壇場。少年時代のやんちゃな話=任侠系だった頃の武勇伝など。
Sさんは結局、その間甘食を4つ食べた。
直後、さっきフフッと笑って去って行った看護婦さんが血糖値を測りに来たが、160台とたいして上がらず、なぜかこちらがホッとした。

Sのおっちゃんは明日いよいよ手術なので、口では大きいことを言ってても不安で居ても立ってもいられないという心境なのだろう。「あー全然眠ないわ」と言いつつ廊下を徘徊し、「あっちの部屋も1つベッド空いてたわ。ここもやろ、こんなん珍しいわな」とか報告に来たり、食堂の方へ行って知った顔に話しかけたりして戻ってくると、10時前にはぐうぐういびきかいて寝てしまった。
それにしてもいやはや何というか退屈しない一日であった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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