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2010-07-14(Wed)

救われた命

7月14日(水) 入院31日目・手術9日目

起床6時前。洗顔・歯磨き時、いつもの血痰が出なかった。おかしいな。良いことなのだが逆に腑に落ちない…と思ってベッドに戻った途端に普通に出た。ねばっこく血の色が濃いが量は少量。その後は友人知人からメールが来ていたのに返事を書く。それにしても毎朝5時だの6時だのに目が覚めるので、一日が長いこと長いこと。
7時からはローソンが開くので、買い物に降りるのが日課。あちこちの病棟から患者たちが待ち構えていたように集まってきて、新聞やらお菓子やらお茶やらを買いに来るうえ、病院関係者も朝食を買っていたりして、けっこう混雑している。

病室に戻って週刊誌を読み、8時前の朝食はほぼ完食。
その後は仕事のデータが来ていたのでずっと仕事。10時ころには一段落したのでシャワーをして着替え、部屋に戻ってくる手前でふと渡り廊下の向かいにあるSさんの個室を見ると、奥さんが廊下に出て立っている。近づいていくと奥さんが「これから歩行訓練ですわ」というので覗いてみると、医師が一応チェックをして出て行くところで、それから男性の看護士が付き添って立たせると、おっちゃんゆっくり歩いて出て来た。
俺の顔を見るとニヤリと笑ったので「バッチリじゃないですか」というと「そうか」とまたニヤリ。ブロック麻酔のお陰で痛みもあまり強くないといい、「このあれやこれや出てる管がややこしな」と言って笑う余裕さえあった。
Sさんはほんの数メートルだけ歩いてすぐにベッドに戻され、腰掛けて測った酸素濃度は90台の前半。なので鼻の酸素チューブはつけられたまま。元々肺の機能が低かったうえに、左肺を半分切除したのでまだまだ大変だろう。少し休んだ方がいいと思い「じゃあ、また」と言うと「おう、もうすぐそっち(大部屋)戻ると思うで!」と言うので「待ってますよ」と言って手を挙げて出る。

その後シャワー室で体を拭いていると、同室のおじさん(咳)ことKさんが看護婦さんと一緒に入ってきて、脇毛剃り。「ああ、明日ですもんねえ」と世間話。俺はベッドの上でちゃっちゃっとやってもらったんだけど、まあ確かにここでやってもらい、その後すぐシャワーした方が合理的だしさっぱりもするだろう。
その後はまた仕事を先行して少し片付ける。外は朝から凄い豪雨。ネットで鴨川の写真を見たら、夏の名物「川床(ゆか)」に迫ろうかという濁流で、これまた名物のカップルが数メートルおきに腰をかけていた河原もすっかり見えなくなっている。ああ、見に行きたい…。
連れ合いは雷や豪雨、台風などが大好きだった。もちろん大きな被害が出るようなものではなく、日常にちょっとした「驚き」「軽いスペクタクル」が起きるのが好きだったようだ。大雨で荒川が氾濫したことがあり、その時は団地の前の道路が川になったんだよ、と小学生みたいに目を輝かせて話していたのを思い出す。
どこかに落雷したと聞くや飛び出して行ったり、大雨が続けば「川見て来ようかな」などとそわそわしたりしていたっけ。

午後、やることが無くなったのでウィンドウズ付属のスパイダソリティアの中級をぼーっとやっていると、S先生が来られる。
こちらのPCを覗き込んで「何ですかそれは」というので画面を見せて「ヒマだと言いつつこういうストレスになるものをやったりしてるんですよね」と言うと「いや自分もよく検査の結果待ちとかいうときにやるんですよ」なんて話をした後、本題。

先日の手術で取ったモノたちの検査結果が出たそうだ。

まずは、「取れるようなら取りましょう」という「ついで」扱いだった、縦隔の7cm大に肥大していた腫瘍。これが何と胸腺腫であったことが判明した。(胸腺腫:がん情報サービス

これはもちろん癌の一種であるが、悪性度としては悪性と良性の中間のようなタイプのもので、今回はっきり言って大きさの割にはステージは「?」。全摘して正解であった、ということだ。胸腺の周囲には心臓や肺や大動脈もあるので、進行しそれらに浸潤すればまず助かる確率はグンと下がる。もちろん転移もある。
胸腺は元々小さい頃に免疫を司る重要な役割を果たしていたものが、大人になると退化して不要になるというものだ。ここに癌が発生するということは多くはないが、特段に珍しいことでもないという。

今回術前の判断では、恐らく基礎疾患であるリンパ性白血病が作るリンパ節の腫瘤の大きなものではないか…ということで、あくまでも本筋は肺の中のモノを取って検査することであった。この縦隔腫瘍は「取れるようだったら取る、取れそうになかったら組織だけでも」ということだったはずだが、今回は全摘して貰って大正解、命を救って貰ったということになる。
気胸を起こして入院、胸腔ドレナージという治療へ移った段階で「もし手術になったら嫌だなあ」という思いはあった。だが反面、もし手術という結果になったら、きっとそういう「流れ」「導き」なのだから、抗わずに従おうと思っていた。
縦隔腫瘍は素人目に見ても大きいものの、血液内科の見解でも「触らなくても大丈夫」と判断されていたし、さして重要には考えていなかった。手術の結果、全摘したら、何とその「取れたら取る」なんて言っていた腫瘍が「胸腺腫」という癌であった。正直驚いた。
しかしこの「流れ」、もし今回気胸が起きず、縦隔の腫瘍も大きいけれど悪さもしてないし、と放置していたら。ステージは確実に進行し、周囲に浸潤し、悪性度も格段に上がっていた…かも知れない。
つまり「今取っておかないと、危ないよ」と俺の肺を破裂させてまで、病院へ、そして手術へと向かわせた予想もしなかった「導き」の結果、救われたわけだ。
この結果にはS先生も大変驚いており、すぐに明日内科とカンファレンスをすると言っていた。

次は本来主軸だったはずの、肺の中にいくつか出来ているデキモノの方。今回の気胸はそれの一つが破れたことで起きたことはもう判明している。
それらの穴…嚢胞のようなものは、どうやら従来「カリニ肺炎」と呼ばれていた「ニューモシスチス肺炎」の可能性が濃厚とのことだった。
よくHIV感染者でエイズを発症した人=免疫不全の人、抗がん剤治療中で免疫抑制中の人など、要するに免疫力が著しく低下中の人が感染して起こす肺炎の一種だ。
(ちなみに最近カリニは原虫ではなく菌類であることが解り、名称も変わった)

もちろん今後は投薬治療を受けねばならないらしい。「免疫が低下低下」と自分で認知していたはずだが、いわゆる「感染症」と一口に言ってもさまざまなものがあり、今回は色々な検査をして貰ったが、最後の最後に出たのがこの感染症による肺炎だったというわけだ。

今後の治療方針など詳しいことは、明日の呼吸器内科とのカンファレンスの後、またお知らせしますということだったが、S先生は「おそらく内科の方でも(この結果に)のけぞらはると思います」とのこと。先生がびっくりしてるんだからこっちもびっくりだ。

しかし驚いたが、良かった。

今回の気胸騒動は、結局前縦隔にずっとあったデキモノが「胸腺腫」であり、それが次のステージに進行する前に取れ、というサインであったのだ。
俺はしばらく乾いた咳が続いていたのに「風邪引きやすいから」で済ませていた。
そのうち痰が絡みだしたが、風邪の投薬と治療だけで済ませていた。
そうしたら血痰が出るようになった。
この段階でも病院へ行かない俺に、とうとう肺に穴をあけて「はやく病院へ行って!」と後押しした存在。

その後気胸の治療から、なぜか縦隔の腫瘍全摘へと導いてくれた存在。
その存在が何であるか俺は知っている。

ありがとう、三津子。
また君に助けてもらったね。

本当にいつまでも君には世話になりっぱなしだ…。ありがとう、本当にありがとう。
感謝しかない。ベッドの上に渡したテーブルの上で、写真の中の彼女が微笑んでいる。
君が救ってくれた命、もうちょっと頑張って生きてみようか。
今年の5月5日、彼女の一周忌以降、ほんとうに魂から一体化したと暖かいものを感じた。それからはメソメソすることもしなくなった。彼女の写真を見て感謝し、微笑み、語りかけこそすれ、泣いたことはない。けれど今は嬉しさと感謝の涙が静かに流れた。

今回のきっかけも知らせも行動も全ては自分の中から発生したもので、外からのサインや圧力は一切無かった。君は「別などこか」にいるのではなく、俺と共にあってくれる。俺の身体症状で俺を動かし、この結果への道筋をつけてくれたのだろう。
「もうちょっと一緒に生きようよ」…そう言ってくれているのだろうか。

その後、細胞の検査結果を待っていた母親、ゆうちゃん、「明青」のおかあさんに電話で結果を報告した。皆一様に驚き、そして結果的には不幸中の幸いではないが良かった、と言ってくれていた。

夕飯はほぼ完食。
その後、隣の子(N君)と咳のKさんが窓際で会話を始めた。Kさんが咳き込むのについついイライラして悪態をついたことを詫びているようだった。Kさんは温厚な人なので笑って気にするなと言っており、そこに俺も加わって、お互いの病気の話をする。
N君は坊主頭のせいか若く見えたがもう28だそうで、うまく動かせない足は18の時のバイク事故のせいだという。頭も打ち、事故の前3年もの記憶がないというのには驚いた。それと関係あるのか、俺が何か言うたびに「腹圧ってなに?」「本末転倒ってどういう意味?」とか質問責めにしてくる。まるで先生のように「それはね…」と簡単なことばに翻訳してかみ砕いて説明するので、話の本筋がなかなか進まず、Kさんも苦笑している。
N君は少し前に心臓のそばに腫瘍が見つかり、それは良性だったものの、予防的に抗がん剤投与を続けているという。今回は点滴で数回行ってすぐ退院し、21日からもう一度入院して投与…という予定だそうだ。
日中看護士から貰った紙を持って来て「これどういうことですか」と俺に見せるので読んでみると、抗がん剤投与による副作用で血球現象、免疫抑制への注意だった。「この薬入れて2週間ほど経つとな、体の免疫力が低下するから注意せえよ、ちゅうことやね」と言うと「それってどういうこと?」と言うので「あのな…」と説明する。
血は大きく分けると白血球と赤血球、血小板ちゅうのがある。血球減少というのはそういうものが足らなくなる、という意味で、白血球が足りなくなれば免疫力…菌や敵から身を守る力が低下して病気にかかりやすくなる。赤血球が足りなくなれば酸素を運べなくなって、目眩やら貧血やら息切れなんかを起こす。血小板が足りなくなれば、血を固めにくくなる…。
まあ普通の人ならこれくらい知ってるだろうというレベルの話だが、N君は「凄い! 先生みたいや」としきりに感心するので「常識やろ」と言うと「いやちゃう。賢い」、「いや賢こない」「いや賢い」なんてやりとりをしていたら、俺の向かいのベッドのおじいさん(Wさん)も加わってきた。
Wさんは70歳だが、半年前に一度肺がんの手術をしたが、どうにも腰と左足が痛いので調べたところ、何と骨転移していることが解ったという。痛みはひどいと歩けないほどで、普段は痛み止めを絶え間なく使って、右手で杖をついて何とか歩くという気の毒な状態だ。それでもN君のボケに「あっはっは」と笑い、我々とも普通に会話をしていて、何だかなごんでしまった。
結局、何と消灯の10時まで延々と病気のことやら何やら、ずーっと話していて、看護婦さんに呆れられてしまった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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