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2010-07-16(Fri)

南西病棟へ「帰還」

7月16日(金) 入院33日目・手術11日目

夕べは同室の3人で消灯後もしばらくお互いベッドでなんだかんだ話をして、看護婦さんに「ここは賑やかやね、ドア閉めときますよ」などと嫌味を言われたほど。俺はSのおっちゃんが尿をこぼした臭いでなかなか寝付けず、お二人がいびきをかき始めた後も悶々として、寝られたのは12時過ぎだったか。
朝は5時ころから目が覚めるが、していたはずのマスクが外れていて、Sさんの尿の臭いがきっつい。マスクをし直して寝直すが、まあきついこと。そのうちおっちゃんが目を覚ました音と声がしたので、ボソッと「…Sさんがこぼしたションベンが臭いです」と言うと小さな声で「すんまへん」と答えたのがおかしかった。
看護婦さんが朝のバイタルでSさんのところへ来たのでこちらも起きて洗顔など済ます。
そういえば昨日、Sさんがこの病室に戻ってきて落ち着いた後、雷が轟きザアアアと大雨になった。Sのおっちゃん、Wのじいちゃんは二人で「ああ、こりゃ夏の雨やな」「梅雨明けや」「祇園祭そういやそろそろやな」という話。ああそうか、ここは祭と季節がはっきりと連動して人に染みついている場所でもある。そんな事を思い出していたら、看護婦さんがカーテンを開けると、果たせるかな今朝はカラーッと気持ち良く晴れていた。

朝の体温は36.4℃、もう手術前、直後までずーっと続いていた微熱もない。血痰は朝だけ相変わらず少量ながら膿みのようなものが少し出るが、これはニューモシスチスのデキモノのせいだろうか。当初自分も肺真菌症を疑ったが出ず、結核やら、北海道生まれだからと念のためにエキノコックスまで調べられた。結果それらは全く検出されず、取ったモノから出たのがニューモシスチスということで、内科も外科も俺もみんな予想外だった。

朝は完食。
その後またドレーンぶら下げてうろうろし出したSのおっちゃんが入り口の脇にWさんの出してくれた椅子に座って、つまりは俺とWさんの間に陣取り、ずーっと喋りっ放し。
途中看護婦さんが「今日2時半から呼吸器内科に移動ですから、支度よろしくお願いしますね」と伝えに来た。
さらに9時半ころ、S先生が来て手術痕を見てくれ、メスで切った縫合後の保護シールはその場で剥がし、もうお湯を充てても大丈夫だし、糸は自然に吸収されるので抜糸も必要ないとのこと。最後のドレーン抜管・縫合痕に関してはちょっと消毒をして保護シートを貼り替え、これは外来で見ることも出来ますし、ということ。
あとはニューモシスチス感染については内科で投薬の種類、スパンその他を決めて様子を見て、退院ということになるそうだ。
もう一度最後に「左肺もなったらよろしくお願いいたします」と頭を下げ、向こうは「いえいえ、ならないのが一番です」とお辞儀で返されて、お別れ。

その後も少し病室の3人で話すが、ほとんどがSさんのヤクザ話。山口組の成り立ちやら京都の昔の任侠勢力図、山科出のなんとか兄弟の話。70歳のWさんのおじいちゃんも世代的にはSのおっちゃん(66歳)とあまり変わらないので、ところどころ「ああ、あの…」なんて話していたが、正直俺にはほとんどチンプンカンプンで眠くなってきた。それでも相づちを打っていたら看護婦さんがバイタルに来て、それぞれベッドに戻る。
36.6℃のド平熱。酸素濃度も97%、血圧も正常。心拍は110だったがそれは俺にとっては正常値。
10時半にはシャワーを済ませ、ついでにパンツやらタオルやらを洗濯機に放り込み、部屋に戻ると移動用の荷物運搬カゴが来ていた。
その後はSさんの喋りに付き合ってる間に洗濯物の乾燥も無事終わり、昼飯を食い、入院荷物の荷造りも終えると12時半。それからはWのじいちゃんの奥さんに「朝、Wさん杖で歩くの辛そうやったんで、そういう時は車椅子にしたらどうですか」と提案する。「載ったことあります?」と聞くと無いというので、看護婦さんに持って来てもらった。
看護婦さんは車椅子を畳んでベッド脇に置くとそのまま行ってしまったので、俺が使い方を教えてあげた。タイヤのロックはこのレバー、畳んである状態でも腰を下ろせばちゃんと椅子の形になるから、足を乗せる板を出して乗せ、あとはタイヤの外側にあるリングを廻せば前後に進めます、左右別に動かせば回転も簡単ですよ、とやってみせる。
Wさんはやってみるというので、奥さんと介添えしつつ座らせてあげると、「ああ、こりゃ楽でええわ」と言ってさっそく気に入った様子。痛む左足をかばって杖に全体重をかけて辛そうにしているのを見ていたので、こちらも嬉しい。

そうこうしていたらSさんの息子さんが来て、「オヤジがお世話になってます、これ食べて下さい」と弁当を差し出し「うなぎです」と言ってニコッと笑われた。いや俺別に何もしてないんですけど…でも有り難くいただきます。
そうこうしているとシーツ交換で廊下に出されたので、息子さんと語り合っているSさんとは別に、廊下でWさんの車椅子の練習に付き合う。お年の割にすぐにコツを覚えて「ああ、こりゃ杖より楽やわ」と言ってすぐに乗りこなしていた。奥さんは「ほんまにありがとうございます」と喜んでいたけど、普通は看護婦さんが教えてくれるだろうし、別にこれまた感謝されるようなことはしていない。
それから少しWさんご夫婦と話をしていたら、1時過ぎに看護婦さんがお迎えに来た。
Sさん親子、Wさんご夫婦にそれぞれ「ごちそうさまでした」「お世話になりました」と頭を下げてお別れの挨拶。
Sのおっちゃんは「おう、行くんか。コレ(ドレーン)が外れたらそっち遊びに行くさかいな」とたばこを吸う動作でニヤリと笑っていた。懲りない人である。

看護婦さんがカルテを忘れたので取ってくるのを待って、この呼吸器外科病棟ともお別れ。荷物を積んだワゴンを引いて貰い、俺は軽い紙袋だけを持ち、手術室へ行った時の裏ルートのエレベータで下へ下りる。
バスで南西病棟へ向かうはずだが、南病棟の玄関へ向かうので「あれ、こっちからですか?」と言うと「こっちからしか知らないんやけど…」と言うので正面玄関にも着きますよ、と話すとびっくりしていた。まあ、こういうのは普通助手さんの仕事だもんなあ。
南病棟の玄関に着いて確認すると、バスの時間はちょうど谷間。引き返して正面玄関の方へ向かう。10分ほどあったので、「じゃあここで待ちましょうか」と入り口脇の椅子に座って世間話。
「看護婦さんはストレス溜まるでしょう」と言うと、でも服や靴を売ったりする接客業の方が大変だと思う、とのこと。看護婦の場合、場所は病院だしそもそも病人が相手なので、基本的に「言うこと聞かないと治りませんよ」と言える立場だが、全くの客商売だと「お客様が絶対」になるから、トンデモな客やクレーマーにも対処しなくてはならず、そっちの方が大変じゃないかという。なるほどねえ、そりゃそうだ。
そんなことを話しているとバスが到着、荷物をワゴンごと積んで貰い、看護婦さんと乗り込んで病気の話をしているうちに南病棟へ到着。そこで車椅子が2台載ることになってワゴンは下ろして俺の荷物は脇のスペースへ載せ直し。バスは満員になって、南西病棟へ到着は2時過ぎだった。
凄い暑さで、もう夏の日差しと積乱雲。

エレベータで5階まで上がって看護婦詰め所を覗く。知った顔の看護婦さんと目が合ったので手を振ると、すぐに3人くらいの看護婦さんがわらわらと出て来てくれ「お帰りなさーい」とか言われる。「恥ずかしながら戻って参りました」と挨拶するが、このセリフはこの年代には通用しないとすぐ気付いた。
別な場所からこれも知った顔の男性看護士が来てくれて、個室に案内してくれた。
512−2号室。前に居た部屋よりベッドが小さくなり、向きも変わっていて、がらんと無駄に広い印象。でも個室が空いてて良かった。最新の積貞棟から来るとやはり古くて汚いという印象はぬぐえないものの、やはり静かで落ち着く。
けれど「楽しもう!」と開き直ってからの、大部屋のワイワイ話をしながら過ごす時間も、それなりに楽しかったな、と思った。

荷物を開けてまたベッド周囲を整え、落ち着くと2時半過ぎ。

3時前に担当の看護婦Oさんが来て、検温と血圧。俺が外科へ移動してすぐ、内科から様子を見に来てくれたN先生に「内科の看護婦さんたちはみんな良くしてくれて、お礼言っといてください」と言ったことがあったが、N先生その後、その足で病棟に戻って詰め所に来るなり「白取さんがこれこれこうや言うたはったでー!」と大声で報告してくれたそうだ。さすがにその場に居た看護婦さんたちみんなが笑ってしまい、婦長さんまで笑っていたという。

さてニューモシスチス肺炎の話から投薬治療の話になり、ちょっと今後のことなども話す。エイズ患者や免疫抑制中の人などにとっては命取りになるニューモシスチス肺炎(旧名・カリニ肺炎)だが、通常イメージする肺炎というのはレントゲンで肺が真っ白にぼやけるような症状である。しかし今回の俺のように、肺の中にこういう穴というかデキモノ的なものを作るのはあまり聞いたことがないという。
とにかく薬はあるので、それを服用して治していくことになると思うが、俺の免疫力がこれほどまでに落ちていることは確かなので、感染には引き続きくれぐれもご注意を、と言われた。

3時半ころ、若い一年目の女性研修医と担当の看護婦Oさんが来て、喀痰検査をする容器を渡され、研修医には採血された。
この採血はニューモシスチス感染があった場合、一応HIVウィルスに感染していないかを調べる必要があるということで、HIV抗体の検査にまわすらしい。
俺は不特定多数の人との性交渉、体液交換、輸血、血液製剤投与、どれにも全くちっとも少しも全然身に覚えがありません。陰性であると断言できる。って何をそんなにムキになってるんだ自分。

ちょうど研修医による採血が終わった頃にN先生が入ってきて、今後経口の投薬治療で行けると思うけれども、投薬初期に状態が悪くなる場合もあるし、副作用もあるので、様子を見つつ慎重に行きましょうということ。退院まではまだかかりそうで、がっくり。

しばらくしてまたN先生が来て、「最初に咳の症状が出始めたのはいつ頃ですか」という質問から、痰、血痰、気胸…という流れの確認。肺炎に関しては調べたところ、HIV感染者の例が圧倒的に多い中で、こういう嚢胞を作る例が多くはないが、あるという。
これもまた「肺炎」つまり肺の炎症なわけで、PETで集積反応が出たのはこのせいだろうということ。MRIやCTを含め今回は他には何も無いという確認も出来たし、思いもしなかった胸腺腫は初期段階で全摘できたので、あとはこの感染症を投薬でやっつけるだけ、ということだ。
しばらくするとOさんが来て、今日からもうニューモシスチス肺炎の治療薬「バクトラミン」の投与を開始するということ。けっこう大きな錠剤を4錠、8時間おきに3週間、飲まねばならないそうだ。病院でのサイクルを考え、起床時の6時、日中は14時、あとは導眠剤を飲む消灯の22時というスパンに決めた。

その後女性研修医が来てN先生に話した容態を再び聞かれるが、その時に何か今気になる身体症状はないかと言われ、たまに出る咳、朝に出る血痰くらいだと話す。めまいや息切れもないし、この病棟でドレーンが刺さっていたときの濃い尿も、今は普通の薄い色に変わってるし、自分でも全く状態が(肺炎に感染している、ということを除けば)悪いとは思えず、従って今週末には退院だというくらいまでに思ってました、と話す。

6時、夕飯はSさんの息子さんにいただいた「うなぎ弁当」を個室のレンジでチンして食べた。折を開けると、つゆの染みたご飯の上に、斜めに切ったうなぎがびっしり。関東と違って蒸さないのでどうかなと思ったが、レンジで温めたせいもあるのか柔らかく、ムチャクチャうまかった。
テーブルの三津子の写真に思わず「思いがけず関西のうなぎこんなとこで食うなんてなあ。うまいわー」と声をかける。関西のうなぎは蒸さないから固いと聞いていたので、あのふわふわの東京風が好きな二人とも、京都へ来てから一度もうなぎを食べてなかった。いや関西のうなぎもいけますやん!!

その上で病院のご飯はさすがに食べられず、おかずの肉じゃがをちょっとだけ食べた。
満足&満腹して仕事をぼちぼちしていると、夜担当の看護婦さんが来て薬の確認。もちろん外科の前にここに居た時に何度か顔を合わせてる看護婦さんで「積貞棟はどうでしたか?」と聞かれたので、そりゃあもうぴっかぴかでした、セキュリティが凄いとか四人部屋の前に車椅子で入れるほどの大きなバリアフリーのトイレがあるとか、シャワー室も二手に分かれてていつでも入れるとか色々説明する。看護婦さんは「凄いですねー」と言いつつ、「こっちはこないだの大雨で雨漏りがしました」とか言ってたので笑う。
ここの呼吸器内科は12月に移転するらしいが、「そんなにちんたらしてないでとっとと引越すればいいのにねえ」と言うと「本当ですねえ」と言っていた。ただ今のここの病棟は糖尿病栄養内科、膠原病内科と合同なので、それぞれが今度は別れるそう。この看護婦さんは結核患者担当で、北病棟(俺が去年帯状疱疹で入ったところ)へ移る予定だそうだ。「しかも一階なんで見晴らしもねえ」と残念がっていた。

その後9時過ぎのバイタルのとき、外科病棟の名物オヤジ・Sさんが自転車漕がされた話とか、大雨で鴨川が増水した話とかでけっこう長話をしたあと、9時半過ぎになってI先生が来た。
今日は外勤だったそうで「こんな遅くになってすみません」ということだったが、日中にN先生から今後の投薬治療の説明を受けたかどうかの確認と、説明をしていただく。
まずニューモシスチスかどうかはまだ確定したわけではなく、最も可能性が高いという段階であること、だとすれば治療は先行して投薬をしておいた方がいいという意味で今日から始めるということ、それからHIV検査に関してはそういう「手順」だと思ってください、と言われる。
別にやましいことというか思い当たることもないが、免疫力が低下していればそのような「感染者との濃密な接触や体液交換」がなくとも感染する可能性があるわけだ。またどういう原因か不明ながら万が一HIV陽性だった場合は白血病の上に免疫不全と、今後大変なことになるので、むしろはっきり検査をして貰いたい。
で、ニューモシスチスに感染した場合の一般的な肺炎の様子とは違い、俺のようにああいう穴があくような形で嚢胞状のモノができるというのは文献では知っていたが、症例としてははっきり言って初めて見た、とのこと。
なのでちょっとニューモシスチス感染かどうかの確定も含め、そこまで抵抗力が落ちているということを前提に治療を考えて進めて行かないと、という説明を受ける。これに有効な薬品が例の「バクトラミン」で、副作用としては十日前後で発疹が出たり発熱したり、肝臓に負担がかかったりということがいくつか考えられるそうだが、そこら辺も採血の結果を見つつ慎重に対応していきます、とのこと。
体の調子は何ともないだろうが、免疫、抵抗力は恐ろしく低下しているということをもうちょっと真剣に考えて予防的な生活をして行かないと、これは本当に大変だという実感を改めて強くした。
I先生は「そういうことなので、じっくり治療して行きましょう」と言って去っていった。ということは退院はまだ先…です…か。

消灯の10時、さっそく最初の「バクトラミン」4錠を飲む。これを8時間おきに3週間服用。
考え出すと色々と、怖い。
旧・カリニ、ニューモシスチス肺炎を調べてみると、やはりエイズ感染者に最も多いということが解る。よくある例ではないが、確かに俺が見た自分のCT画像のように穴が開いたものも特異例として掲載されているページ(国立国際医療センター エイズ治療・研究開発センター)もあった。なるほど電子カルテで見せられた俺の肺と同じだ。
自分の場合は本当にHIV感染の憶えどころか機会さえ無かったはずなので、エイズ〜ニューモシスチス肺炎の可能性はないにせよ、普通の人なら何でもないこの菌に感染するということは日常でも十分考えられるという。

そして、どうやら俺が本当にこの世にいられる時間も、あまり長くないこともはっきりと提示されたように思う。エイズとはもちろんHIVウィルス感染によって後天的に免疫不全状態が症状として現れ、普通の人なら何でもない菌や病気で命を落とすリスクの高い病気だが、俺の場合は白血病によって免疫が著しく低下し、同様の状態にあると考えれば理解しやすい。
こんなに弱くなった体ではそう長くは持つまいが、今回の「流れ」ではまだ生きろと言われている。なので、生きる。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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