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2010-07-17(Sat)

病院で誕生日

7月17日(土) 入院34日目・手術12日目

夕べは消灯後も色々考えてしまい、無意識でスパイダソリティアをやっていたら12時になってしまった。
今朝は6時前からどっかのおっさんが廊下で大きな声で話していて起こされた。うとうとしていたら看護婦さんが来て「お薬の時間ですよ」と知らせてくれた。昨日から飲み始めたニューモシスチス肺炎の薬バクトラミンの、8時間おきの服用時間だった。
薬を飲むついでにトイレへ立ち、洗顔歯磨きなどを済ませる。

やれやれ今日は45歳の誕生日だ。病院で誕生日を迎えるとはねえ。
朝は朝日が入って明るい部屋で目覚めるのが好きなので、いつも個室の時はカーテンを閉めない。梅雨明けしたか、外は綺麗な青空に薄い雲を引いた、いい天気。昨日まで居た外科のある積貞棟は、南向きは個室だけで、そこには手術直後に入っていただけなので、夜景をチラと見たぐらいしか記憶にない。その後はずっと北側を向いた大部屋で、向かいの病棟が見えるだけだった。今の個室は南向きで、遠くの建物の影からチラッと京都タワーの頭が見えるまあまあの景色だ。

今朝からまた喉に痰がまた絡むようになった。血痰というより茶色いねばねばした感じのもの。
NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」では水木さんがいよいよ「テレビくん」で漫画賞を受賞し、水木プロを作って売れっ子作家へと駆け上がっていく突端にきた。戦争、復員、窮乏生活の果て、40代での「成功」。ご本人やそれらの逸話もよく知っている分、じーんと来る。
「泣かせ」「お涙ちょうだい」で涙が出ることを、若い頃はずっと恥じていた。そういうものを作る側にも、泣かされる側にも、正直バカじゃねえのと斜に構えていたところがあった、と言ってもいい。今でもあまりに露骨なそういう作りのものを見ると、同じように感じる部分はある、プロとしては。
ただ純粋に力を抜き単なる視聴者として感動シーンを眺め、ジーンとすることは何ら悪いことでも恥ずべきことでもない。むしろ人として、作る側が最大公約数がそう感じるであろうと提示したものに同じような感想を持つのは「正常な感覚」という気がする。
若い頃はほとんど泣いたことがなかった。「男は泣くものではない」と母子家庭だった母親に叩き込まれた。けれど人に裏切られ、病気になり、最愛の人を失い、自分の人生の終焉がすぐそこにはっきりと見え始めると、肩肘張ったり斜に構えて格好つけたり、無根拠に自らを高みに置いて偉そうな言説を垂れたり…ということが恥ずかしいことに見えて仕方が無くなる。
たくさんの人と出会い、別れ、支え、支えて貰い、そうして生かされている。そのことにちょっとだけでも気持ちを巡らせられるようになると、感情は無理に抑えこむ必要はないのだ、他人に迷惑をかける形でなければ、むしろ過度な自己抑制はストレスになり体に悪いと、これは体感で認識している。
そんな自分でも腹が立つことはある。お見舞いや励ましのコメントやツイート、メールを友人知人、またネットでのみお付き合いのある方から連日いただくのだけど、いまだにわざわざ連れ合いの命日の記事のコメント欄に嫌がらせのコメントを残していく奴がいる。俺だけならいいが、やまだ紫のことを貶める「明かな嘘」を業界内で流している奴がいることも、ある作家さんと編集者経由で知った。
こちらはもう残り少ない人生をなるべく穏やかに生きたい。いい加減にして欲しい。
頑張ってきた人が、生きているうちに、ちゃんと、正当に評価され正当な処遇を受ける世の中になって欲しい。

10時ころ音楽を聴いてると、N先生が来て「ちょっと検査に必要なので動脈血採らせて欲しいんですが」とのこと。「どこが一番痛くないんすかね」と聞きつつとりあえず腕をまくると、ジェスチャーで太ももの付け根、肘の内側、手首と示して「こういう順序ですね」だそうだ。
こちらは静脈血の採血なら数え切れないほど受けているので、何の気なしに右肘でいいやとお願いするが、血管を皮膚の上から抑えて注意深く確認したあと、通常の採血の針と同じ太さの注射器をブスリと、かなり深くまで射し込む。ところが血が出てこないし痛いし。何度か方向換えたり挿し直したりでもダメ。注射器を換えてもう一回、今度は手に痺れが来たので中止。
次は左腕にしたが、これまた満足な量が出ず。最後は右足の付け根。もちろん深いところへ針がぐぐっと入っていくのは痛いが、あっさり血が注射器に溜まって終了。「ごめんなさいね、なんども」と恐縮されるのでこちらも「最初から素直にここにしとけば良かったですね」と答える。
それからしばらくすると急激に眠くなり、看護婦さんがお昼を持って来てくれるまでうとうとしていた。この眠気はちょっと表現しづらいが、病的というか、おかしな眠気だった。
昼飯は何と酢飯とハモの吸い物におひたし、と紙に書いてある。酢飯はフタを開けると錦糸卵の上に小さな固いウナギが2切れ乗っかっていた。昨日Sさんの息子さんにいただいたウナギびっしりの弁当を食ったばかりだったので、思わず笑ってしまった。それでも7割ほど食べる。
仕事は明日の予定だし、午後もやることがない。何しろヒマなので売店へ降りてお茶など買ってきたあとはスパイダソリティアやったり音楽聴いてうとうとしたり。
14時、3回目のバクトラミン4錠を飲む。
そろそろ手持ちの現金が心配になってきたので、看護婦さんに「一応お聞きしますが、お金を下ろす場合は…」とダメだろうな、と思いつつ聞くと、看護婦さんも気の毒そうに「あっちの本館の方になるんですがバスは休みなんで…」とのこと。「じゃあそこら辺のコンビニとかへは無理ですよね…」「それは外出許可がないとね…」とお互い情けない笑顔を向け合いつつ、丁寧にお辞儀をして部屋に戻った。

本格的にすることが何もない状態。
そのせいかゲームを始めても面倒になり眠くなってきて、午後は夕飯までの間ひたすら寝たり醒めたり。なぜこんなに眠だるいのかと、いっときは熱でもあるのかも知らんと検温したほどだ。ひょっとして薬の副作用だろうか。体温は平熱だった。
6時夕飯はまたサバ(笑)。外科病棟の相部屋で隣だったN君と「この病院ってサバ多いね」「サバって安いよな」なんて会話をしたのを思い出した。
外科病棟に居た間はテレビの角度の問題で(90度首を傾けないと見られない)全く見ていなかったテレビを久々につけて見ながら完食。
その後は担当看護婦のOさん、女性研修医のKさんなどが交互に来てバイタルや呼吸音、様子を聞かれたり。

夜9時過ぎ、突然研修医のKさんが来て「昼間取った動脈血の検査結果と先日のHIV検査の結果が出ました」という。こんな時間に来るってことは、と一瞬ゴクリと息を呑んだら、動脈血の方は酸素量などを調べるもので正常だったということ、そしてHIV抗体は陰性であったという報告だった。
心底ホッとした。
ニューモシスチス肺炎、旧カリニ肺炎はエイズ患者の死因ナンバー1で、当然イメージ的にも「イコールエイズ」的な認識が世間では多いと思う。しかし「HIVウィルスに感染した結果としてのエイズ発症」は輸血や血液製剤での感染もあるのに、まだまだ差別的な目で見られることも多い。
エイズとはもちろん後天的に免疫不全に陥る病気であり、俺の白血病による免疫低下(抑制というほどのレベルではないにせよ)も、「弱い」という点では同じなのだ。別にHIV感染していなくても、免疫力が落ちている俺のような病気の患者や抗がん剤投与中の人などで、ニューモシスチス肺炎を発症するという例は少なくない。

はっきり言って人混みは極力避けてきたし、不特定多数の人が出入りする場所…最たるものは病院だが、スーパーなどへの買い物でも、マスクをし帰ったら手を消毒しうがいをしてきた。もうそれが習慣になっている。
「それなのに」という思いがある。ただ現段階ではニューモシスチスの可能性が最も高いという段階で、確定ではないらしいが。

前にも書いたと思うが、今回、最も危険だったのは縦隔にあった胸腺腫の放置だったろう。それは幸い浸潤もなく全摘できた。肺の中の嚢胞状の穴を作るものは、ニューモシスチスの可能性が濃厚で、その肺炎=炎症がPETの反応に出たのだろう、新たな悪性の腫瘍は、PETに加え脳MRI、胸部CT、腹部CTで異常がないことが解った。
あとはこの肺炎の治療だけということになる。

ここまで免疫力が弱まっているということはショックで、ではこの肺炎が治ったとしてその後の生活に不安がないかと言えば嘘になる。こんな状態ではとても何年もこの先生きられるとは思えない。
同じことは5年前の白血病=T−PLLと言われ入院した時も思った。
あの時の、過酷な抗がん剤治療寸前でT−PLLではないということが解った「流れ」。
今回の入院・手術の結果の「流れ」。

そういうものに抗わず、身を任せる。
今回は「もうちょっと生きてみようよ」と後押しされて、入院・手術となったんだ。
「もう、頑張らなくていいんじゃない?」という日が来たら、またきっと教えてくれるだろう。
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コメント

ありがとうございます

いつもお見舞いいただきすみません。
自分はこれまで「記録する」ことで自分を相対化して、苦しみや痛みを乗り越えてきた気がします。気がする、というかそうしてきました。
やまだ紫の死を記録していた時の苦しさに比べれば、傷の痛みなどそのうち治るさ程度のモノです。
それにしても医師もビックリの結果で、ほんとうに驚いてますし、改めて感謝してます。非科学的だと嘲笑する人もいるでしょうが。
あとは肺炎菌をブッコロスだけです。

長いキャッチアップ

術後は暫くの間ツイートだけで、回復中だからと様子を窺っていたら、突然一気にこれまでの分をキャッチアップする大量のブログ。私も一気に読み進んでしまいました。
不謹慎なと思われるかもしれませんが、大声のSさんが外泊しようとするときの看護婦さんとのやりとり、思わず顔がほころんでしまいました。そして、このSさんの台詞を「政治家のお偉いさん」口調に置き換えてみたら・・・と想像したとたん、お腹を抱えて笑ってしまった。「ねぇ、君わかるかい。ボクにはこれこれこういう説明を、自宅に帰ってワイフや息子達にしなければならない・・・ウンヌン」 ね、笑えるでしょう?
それにしても、胸腺腫の摘出のお話、白取さんは本当に紫さんに導かれて「もう少しいっしょに生きてみようね」という方向に進んでいるのが伝わってきました。そして、これほど一気に長いブログの更新をするほど体力が回復しているという証、これが一番嬉しかったです。
肺の感染症も一応治療方針が決まりましたし、あと一息。焦らずにしっかり治療して、また白取さんなりの元気な姿で早く自宅に戻れることを願っています。
それから、ツイート返信もありがとうございます。痛みが大変だったでしょうに、短くても返事をするだけの体力と気力があることがわかり安心できました。
ではまた。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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