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2010-07-22(Thu)

細かいストレス

7月22日(木) 入院39日目・手術17日目

夕べは11時半ころ、少し早いがレンドルミン(導眠剤)と一緒にバクトラミン(肺炎治療薬)を飲んで寝た。このところ割合導眠時はスッと入れる。それだけでも有り難い。
しかし夜中に目が覚めて、時計を見るとまだ2時半。次は4時。そこからは眠れずにベッド上をごろんごろんするだけ。試しに手術した肺の側、つまり右を下にして寝ようとしてみたが、やはり胸全体が痛くて駄目だった。もう半月以上経ってるのに。
左側は脾臓が腫れているので、右を向けないと必然的に仰向け姿勢かせいぜい左に傾くくらいしか変化がつけられず、薄いマットで尻というか仙骨、腸骨のあたりが痛くなる。そういえば外科病棟でもそうしたと思い立ち、全く使わず足下に畳んであった薄い掛け布団を3つ折にして敷いてみると、若干マシになった。前に入っていた時はいいマットだったのに、何で手術後の方が固いのか不満&疑問。

5時過ぎにトイレに立つと、見回りで廊下に居た夜勤の看護婦さんと鉢合わせした。「吐き気はどう?」と聞かれ「今のところ大丈夫です」と言うが、ベッドに戻ってしばらくすると突然の嘔吐感。気持ちが悪い。しかし吐くモノがない。洗面台に間に合わず傍らのゴミ袋にげええとやるが、唾液しか出ず。この唾液が口中で、だくだくと唾液腺から出るのが感覚でわかる。それが口中に溜まるのが気持ち悪い。飲み下すと吐いてしまうし、いちいち出さないとならないので不快極まりなし。
これは朝食まで持ちそうにないと思い、プリンペラン(吐き気止め)を5時過ぎに飲み、あとはベッドに仰向けで吐き気に耐えるのみ。吐き気が止まり8時の朝食が食べられればいいのだが。

窓の外を見ると、すでに東山から登った太陽が夕方のように建物の側面をオレンジ色に染めている。朝焼けというやつだが、角度が低い割に光りが強い感じが見てとれる。今日も猛暑になるぞ、と解る映像。

6時ころバイタル、平熱、血圧正常。
吐き気が止まったのはいいが、今度は痰が上がってきて、5回ほど出すが、後半3回は血痰だった。まだ肺の中に炎症が残っているということか。
7時ころからあまり寝られなかった分、うとうと。
採血のあと、8時前朝食。今朝からお粥ではなくパンでもなく「軟飯」に換えてもらったが、鮭と味噌汁がついていて、これは嬉しかった。幸いこの頃には吐き気止めも効いていたので、ご飯は8割がた食べられた。

N先生が食後に様子を見に来てくれるが、薬が多いので大変でしょうが頑張って治しましょう、とのこと。
しばらく食後も痰に苦しんだが、もう銀行へ行かないとお金もないので、調子の回復を見計らって外来棟へバスで行かねばならない。そう思いつつ研修医のKさんに診察を受けていたら、助手さんがレントゲンに呼ばれたと知らせに来た。用紙を持って1階で撮影が終わった時、バス待ちの患者が入り口に数人座っているのが見えた。張り紙でバスの時間を確認すると、9時5分。時計を見ると4分。
急いでエレベータで5階まで上がり、財布を持ちマスクをし、廊下ですれ違った看護婦さんに「バスで郵便局行ってきていいですか」と聞くと「外に出てもいいとなってます?」と聞かれたので「敷地内ならということになってるはずですが」と言うとOK。
すぐ病棟入り口へ降りる。

幸いバスはまだ到着しておらず、それから2分ほどしていつものKさんの運転するシャトルバスが到着。後ろに車椅子がそのまま2台収容出来て、脇に2人掛け、中央に2人がけ+補助椅子1人分、それから助手席は運転手入れて3人乗れる。
俺より前に座って待っていた患者達に「先にどうぞどうぞ」と勧めていたら後部が補助席含め全て埋まってしまった。俺の乗る場所が無くなったかと思ったが、運転席さんと同乗していく助手さんに挟まれるかたちで何とか乗れた。

南西病棟を発車したバスは、東山通りの信号にひっかからなければすぐに外来棟の中央玄関脇に着く。運転手兼リフト操作兼車椅子固定などで動き回るKさんは「もうすでに軽く30℃を超えてますなぁ」と言っていた。この人もいつぞやは玉の汗だったし、駐車場の係員も暑い中「ニンジン」を持って誘導している。
運転手の脇に座ることは滅多にないので、Kさんに「いつもありがとうございます。無事手術も済んで車椅子も要らなくなりました」と言うと、「いやあ」と照れ笑いをしていた。
思えば一ヶ月以上前、肺に穴が開いていると言われてヒイヒイ言いながら入院支度をして病院へ戻ったあと、車椅子に乗せられた俺を運んで貰ってから、いったい何度このバスに乗ったかなあ。

Kさんにお礼を言ってバスを降り、すぐに病院内のゆうちょ銀行ATMでお金をおろした。地下のローソンで久々に買い物していこうか…としばし逡巡したが、よく考えたら今の自分は吐き気止めで吐き気を抑えている状態。こんな状態で3度の飯以外に食いたいものもないし食えないし、と思ってそのまま南病棟の玄関へ向かった。

運の良いことにさっき自分を乗せてきてくれたバスが発車待ちをしていて、タイムロスなく南西病棟まで帰還。9時半には病室に戻れたから、かなり効率的であった。
ベッドに落ち着いて一息ついたところで、「明青」のおかあさんから電話がある。

お店に届くように頼んでおいた猫のエサが届いたので、昨日さっそくあげてきてくれたという。やはり「カリカリ」が食べたかったらしく、2匹とも鳴いてせがんだとのこと。それにしてもここ数日の猛暑、「水をあまり飲まないので心配」と言って下さるが、そんな中でエサやトイレの世話をしていただく方がこちらは申し訳ないことしきり。
でも猫たちは元気と聞いて安心した。何しろ室内でも熱中症で人が死ぬ暑さである。渡辺さんには退院したら恩返しをせねば。まずはこの肺炎を治さねば。

11時前、食事どきに効くようにとプリンペランを飲む。
これは俺にはよく効くようで、昼食が運ばれて来た時には吐き気がほぼ止まっていて助かった。チキンライスとオニオンスープ、ポテトサラダにぶどう2粒、オレンジ1片。ほぼ完食。ここ数日では一番食べられた。
午後はそのまま調子が持続したので、ツイッターで唐沢よしこさんが金玉の話をしてるのに乗っかったりしつつ笑っていると、I先生が「どうですか」と来られたので慌ててPCを閉じる。

吐き気止めが効いているということ、まだ茶色い血痰が出ることなどを報告。
「茶色い血痰は古い血でしょう、あれだけ肺の中に穴が開いていたら出ます」と言われる。手術後に寝汗をかかなくなったということは、ちょっと解らないとのこと。
その後初めて見る別の先生が研修医をぞろぞろ連れて来て、胸の音を聞かれた。

その後右手を伸ばすとちょっと痺れがあることに気付いた。そういえば先日動脈血の採血のとき、血がなかなか採れず2〜3度目に右ひじの内側深くにぶっすりと針が入って、血は採れず痺れが出たことがあった。
ああ、あれのせいだ。
真横に腕を伸ばすことがあまりなかったので、軽い違和感くらいに思い、右肺手術の後遺症かと思っていた。
試しに右手を前面に伸ばして、床と並行に横に90度伸ばすと、あるところから手首と手のひらの付け根までに痺れがビーンと走る。何かものを取ろうと伸ばすと伸ばす時も軽く痺れる。
おいおいこれって医療事故か? 神経って再生するんだっけ? と大袈裟なことを考える。

とりあえず今日は仕事を休んで手も休め、ずっと音楽を聴いてベッド上で曲げたり伸ばしたり。(ちなみにこの記録は夜9時すぎ)
その後その採血針を刺したN先生と研修医のKさんがドレーン抜管後の傷を見に来たので、そのことを話してみる。針を刺した時に右手がしびれた、というのはもちろん針を刺したご本人は憶えていて、ひょっとしたらその時に神経が傷ついた可能性はある、とのこと。
まあビーンと伸ばすとビリビリッと痛みが来る程度なので、今の俺ならこれくらい大したことではない、そのうち神経がつながるだろう。

とはいえ放置しておいても良いものかと考え、以前左腕の尺骨のところにある神経が(恐らくはリンパ節の腫脹で)圧迫され、左の小指に痺れが出た時に貰ったメチコバールを思い出した。すると「出しましょうか」と逆に聞かれ、改めてそう聞かれると、ただでさえけっこうな種類、量の薬を飲んでいるのでこれ以上飲みたくないし…と思う。とりあえず様子を見る、ということにした。
しかしそれからリハビリ? に手を伸ばして痺れを確認しているうち、これがずっと残ったら嫌だと思い、その後研修医のKさんが来た時にやはり処方を頼んだ。

6時夕食は5時に飲んだプリンペランのおかげかほぼ完食。どうも、朝が一番ひどい嘔吐感は胃酸過多というか、空腹時のあの不快感=腹が減って気持ちが悪い、に似ている気がする。吐き気を抑え食事が摂れると、腹部膨満感と引き替えに嘔吐感は無くなる。
これは胃が脾臓に押されてるせいか。それとも他の原因か。

それにしてもまあ本当に次から次へとこういう「細かいストレス」が襲ってくるものだ。ほとほと参ってしまう。ただでさえ白血病というデカい病気を抱えてるんだから、それで他のことは勘弁してくれよ…と正直思う。だがこうした細かいことが次々と襲ってくるのがこの病気で、治療を開始すればそれは命に関わることになり、恐らくそれに俺の体は耐えられないだろう、という確信に近い予感がある。自分の場合、こうした悪い予感はたいてい、当たるから困る。

ここ数年、振り返れば精神の弱い人ならとっくに崩壊しているだろうなー、とじゅうぶん客観的冷静に思える状況だ。
免疫力はあまりに弱いが、この精神力だけは我ながら褒めてやってもいい、と思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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