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2010-07-24(Sat)

気胸の「先輩」

7月24日(土) 入院41日目 手術19日目

ゆうべは本を読んでいるうちに(何の本かはとてもつまらなかったので書かない)11時過ぎには眠くなり、灯りを落としてから目が冴えるという状況でしばらく寝られず。
考えると色々と悪い方向にしか向かわない。
健康な頃は色々と意欲もあったし、言いたいことを言って笑い合う連れ合いもいた。「もう、いいや…」という気持ちと「いや、駄目だ!」、「そろそろ面倒くさい」という気持ちと「絶対に生きる!」という気持ちとが交互に浮かぶ。と、言うより弱音をその都度否定して、何とか前向きにと立て直す。


12時過ぎには寝られたか、今朝は5時に目が覚め、6時過ぎまでとろとろ。
トイレから戻って朝の洗顔・歯磨き時、嘔吐感が来ない。夕べからパリエットが2錠つまり倍になったのが効いたのか。ちょっとムカムカ感はあるが、吐かずに済んだ。
その時にフと鏡を見ると、おでこにブツブツがあるような気がする。指の腹でなでてみても、細かい凹凸が感じられる。これは薬の副作用の発疹だろうか。

自分はリンパ系血液疾患も免疫力低下にしろ、今にして思えばなるべくしてなったというか、元々デキモノ体質で皮膚が非常に弱く、雑菌に感染しては嚢胞を作ったり、顔には十代からにきびが出来て二十代半ばまで悩まされてきた。
その嚢胞というのは体の中ではなく首の後ろ、多くは耳の後ろやぼんのくぼ周辺がほとんどで、ひどい時には直径3cmほどに膨らみ、ひどく激痛を伴った。たいてい痛みが薄れ、ぶよぶよしてくると「破れ時」で、あらかじめ多めのガーゼを充てておく。次の朝起きると破けており、大量の血膿が出ている…という状態で、そういう朝は出勤前に必ずシャワーで洗い、消毒してガーゼを充てるなどの手当をせねばならなかった。

そんな因果な体質は「ガロ」勤務時代・つまりやまだ紫と暮らし始めてからも続いた。
彼女は「にきびなら普通だけどこんなデキモノが頻繁に出来るなんて見たことない」と驚いており(当然)、一度病院で検査した方がいいと言ってくれた。
デキモノが痛い時に一緒に行った近くの比較的大きな病院で一通りの検査を受けたが、正体も原因もモヤモヤした感じだったと思う。雑菌に感染しやすく、こういうモノが出来やすい体質だとか、何とか。ついでにその時は採血結果その他で、何ら異常は見つからなかった。
今思えば大学病院などを紹介して貰い、例えば血膿の成分を調べて貰うとか、何かもっとアクションを起こしておくべきだったかとも思う。でも「異常なし」という結果は「体質なんだ」という納得を産み「じゃあしょうがない」という諦めに至った。
三十代に入るとさすがにこうしたものは減っていったが、にきび痕のあばた面は変わることもなく、母親は数年ぶりに会うたび俺の顔を見て「あんたはこんなにみっともない顔だったか」と不愉快なことを言ったものである。

さて来歴が長くなったが自分の場合、額つまりおでこは綺麗なものだった。にきびが出来ていたのは眉の線から下、顎の線から上、従って唯一綺麗だったのが額だったのに、この朝見ると細かいブツブツが出来ている気がする。うーん…気になるがいわゆる副作用と言って想像するはっきりとした赤い発疹ではない。単に劣化しただけかも知らん。

朝のNHKニュースを見ていたら、女性アナが「芝生の上が33.6℃の日、アスファルトの上は150cmの女性の顔の位置で38.6℃、ベビーカーの赤ちゃんの位置で41.2℃」だと実測値を説明していた。もう百葉箱の中が33.6℃って言われても無意味なのは知っているが、そろそろ本当に「路上気温は新宿で42℃、梅田で44℃…」とか言ってもいいような気がする。あと風の有無・強弱と併せて体感気温とか。大変か。

今日は朝の嘔吐もなく吐き気止めもよく効いているようで、午前中は平穏無事。洗濯もした。

その後また外のマーチングバンド&木魚がやかましく繰り返し出した。うるさいのでイヤホンで音楽聴きつつ仕事をしていたら、若い看護士君が来たので「あれ何ですかね」と聞いてみた。
「ああ、向かいの天理教で子どもさんが練習してますわ」とのこと…。看護士は立っているから普通に天理教教会の庭で練習しているのが見えるのだけど、俺はベッド上からだったので見えなかったわけだ。
昨日窓際へ寄った時にどこから聞こえるのかと見回した時は、教会の大屋根に隠れた方へ行進が進んでいたようで、死角に入ってたのだった。

バイタルのあと、ドレーン抜管・縫合痕を見てもらうと「もうカサブタになってるから何も貼らなくていいと思います」とのこと。ただ一応別な人にも確認して貰うというので一度出て行き、もう一人を待つ間しばらく世間話。
聞くとその看護士も実は気胸経験者で、さらに聞くと18から7年間で7度も再発したという。つまり気胸に関しては俺よりも大先輩であった。しかも両方の肺を手術したというから驚いた。

これまで調べたり先生に聞いたりしたところによれば、通常気胸は最初に発症した時(程度にもよるが)胸腔ドレーンを入れて漏れた空気を抜き、肺が自然に膨らんで穴が塞がれば様子見で退院ということも多い。いきなり手術したいと言う人はそう居ない。けれど実は最初に出たら思い切って胸腔鏡で手術をし、肺を癒着というかコーティングというか、再発防止の処置をした方がいいと言われているそうだ。

しかしそれでもこの看護士は再発したし、その上左右両方を手術したというから驚きだ。あの痛いドレーンを何度も挿したのかと想像すると、それだけでこちらの顔も曇る。
最後になったのは1年〜1年半ほど前というので、そんなに近いのかとさらに驚いた。驚いてばっかりだ。ちなみに手術をした後の再発率は20%程度とのことだが、それを防ぐために早めの手術を選択したのに、その後何度も再発するなんて、むごい…。

ただ、自分の場合は免疫力低下によって感染した「肺炎」が先、その原因菌であるニューモシスチスが作ったいくつもの嚢胞というか穴の一つが、肺の袋を一緒に破いたので起きたわけだ。HIV陰性でエイズ発症もしていない人のこのタイプの肺炎、しかも穴を作るタイプは非常に珍しい、と医師に言われた。T細胞性で慢性でリンパ性の白血病というのも日本人には少なく珍しいそうなので「珍しいつながり」か?

では気胸が起きる前に病院へ行っていたらどうなっていたかというと、肺の中のモノの組織検査まではおそらくお願いしなかったろうな、と思う。それに当然5年前の告知時点からずっとあった縦隔の腫瘍も「胸腺腫」だとは判らず、放置されていただろう。
つまり「肺に穴が開いたおかげ」で、「手術しなければいけない状況」へと流れていったということ。
この肺炎を治せば肺の中の穴がどうなるのかはよく解らないが、とりあえず気胸の再発リスクより優先して治さねばならないことだけは確かだなあ。ご迷惑をかけっぱなしの「明青」の渡辺さんご夫妻にも恩返しをしなければ。

心配事はたくさんあるが、まず治すことを最優先、生きることそのものが今の一番大きな望み。もう敵は作りたくないし、人を恨んだり憎んだり、喧嘩もしたくない。思い込みでも何でも、5月5日、連れ合いの一周忌から本当にガラッと気持ちが入れ替わった気がする。


その後来てくれた看護婦さんと一緒に抜管痕を確認、気になるようだったら絆創膏みたいなのを貼ってもいいけど、ちゃんとカサブタになって乾いているので、あとはかえって塞がない方がいい、とのこと。なのでそのままパジャマを閉じる。
このドレーンを抜いた後の傷は、もう傷そのものに痛みはほとんど無くなった。脇の下を縦に切開された縫合痕は盛り上がって、異常な感じ。皮膚を指でつまんで盛り上げたような形でくっついているので違和感ありありだが、これも痛みはほとんど無い。
痛いのは「肺の中」。
中にカメラとか色々突っ込んだり切ったり貼ったり取り出したりしたんだから、痛くてもしょうがない。まだ咳き込んだり痰を出す時に、右肺の上部に鈍痛が走る。くしゃみもそう。とにかく肺に負担がかかることは気胸の再発も怖いし、痛みもあってなるべく避けたい。深呼吸は以前のように思い切りガーッと限界まで吸える感じが失われた。徐々に治るのだといいが。

夕方5時過ぎ、病室の窓から見えている青空に白い雲…というのどかな風景に突然の雷鳴。外を見ていると、窓の右上・方角でいうと北西から灰色の雲がぐんぐんと押し寄せてきた。
雷鳴の間隔が狭まり、そのうち稲光もフラッシュする。外で子どもらがワーキャー言っているのが聞こえ、雷鳴が大きくなると看護婦さんたちの「おお!」という声も聞こえる。
一雨くれば少しは暑さも落ち着くのだろう…と思って見ていると、シャワーのような雨になった。外の子どもが「キャピー」とか言っている。閃光と雷鳴の間隔が狭まって、音も大きい。

そういえば連れ合いは雷が大好きで詩や漫画にも良く取り上げていた。
ゴロゴロッと来るとやおら立ち上がってワクワクして窓に張り付いていたな、と思い出す。立って窓際へ行き、しばらく外を眺めた。丸太町通りを京阪の駅の方へ傘も無しに走って行く人が遠くに見えたが、10秒持たずにずぶ濡れになるような降りだ。よほど急いでるのだろうか。
しばらくすると空がところどころ明るくなり、雨も弱まってきた。6時前に雨も止み、雷雨前ののどかな空に戻り、テレビに「兵庫県に雷雨注意報」の文字、そして夕飯。

夕飯前のプリンペランも飲まずに済んでいるが、この日のおかずはメンチカツの小さいのが2つ。こういう揚げ物系は大好きなのに、ちょっとしんどい感じ。何とかマカロニサラダ、茹でブロッコリなどとご飯を6分目まで食べたら、少し気持ち悪くなった。
ベッドを起こした背にもたれてぐったりしていると看護婦さんが来て、食後の薬をチェック。ついでに下膳もしてくれて、正直助かった。立ち歩くのがきつい。

その後もずっとベッドに寄りかかったまま何もできず、ただひたすらぐったり。寝てみようかと思いつつ目を閉じたり、結局7時過ぎになっても体調は変わらず。胸の中心、正中のあたりがズキンズキンとうずくように痛む。ここはデカい腫瘍があったところ。そういえば、あんなに大きな塊を摘出したあとはどうなってるのだろう。ゾッとするので想像するのをやめる。

8時前になってようやく少し楽になったので、このブログを早めに更新。正直しんどい。

・今日もいくつか励まし、お見舞いのメールや非公開希望のコメントをいただきました。ありがとうございます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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