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2010-07-29(Thu)

平穏、順調に回復?

7月29日(木) 入院46日目★手術24日目

早く寝すぎたせいか、夜中3時に目が覚めたのは参った。トイレへ立ち、戻ってしばらく寝付けずに悶々とする。起床は6時前、その間寝たり醒めたりで朦朧状態。
起き抜けの洗顔時に、血痰が多めに出た。回数こそ2、3回だったが古い茶色い血に混じって赤がある。鮮血というまでフレッシュではないものの、ここ数日減ってきたと思っていただけに少し驚いた。その後ベッドへ戻ったあとも何度も咳で痰を出すが、その後もちょくちょく赤が混じる。あまり気にし過ぎても仕方ない。

8時前に採血2本取られた後、朝食。
どんぶり飯はいいがおかずの小鉢は刻んだ煮物だけ。あとは味噌汁とオレンジと牛乳パック。とりあえず白飯を食うおかずとしては不十分なので「ごはんですよ」で食べ始める。しかしこのところこれかふりかけのヘビーローテなので、半分食べたところでさすがに飽きてきた。途中から納豆最後の1パックを開けて、結局どんぶり飯含めて完食。納豆最高。体力つけねば。

食休みにテレビを眺めていると9時半ころレントゲンに呼ばれ、1階に降りて撮影。売店で洗剤、マウスウォッシュボトル、文春などを買う。塩の小瓶も買おうとしたら、売り切れと言われたがまだ入っていないようす。そういやLOOKチョコもずっと切らしたままだし、納豆は元々置いていなかった…。

その後昼まで週刊誌を読んだり洗濯したりなど雑用中心。
携帯に着信があったようなのでネットで調べてみたら、場所は東京都千代田区。番号通知なので詐欺とかではあるまいとかけ直すと、小学館クリエイティブのやまだ紫復刊を担当して下さった、Kさんからだった。いつも自宅の方へかかってくるのと、携帯では携帯同士のやりとりだったので会社は登録していなかっただけであった。

用件は『性悪猫』がそろそろ増刷…というお話で、そのあたりの細かい話。
こちらは金儲けではなく、やまだ紫の作品が長く後に残ることを目的としてお願いしたのだから、たとえ少部数であっても切れ目なく出し続けて貰える方が有り難い。全てお任せします、とお伝えする。Kさんは「またそちらへ伺いますから、お元気になられたら一杯やりましょう」と言って下さった。快気祝いはもちろん「明青」さんで。

昼食もほぼ完食。ご飯だけ少量残すが「ここのご飯いつも多いなあ」と思いバイタルの際に聞いてみると、看護婦さん「225gってなってますね」とのこと。多いのか少ないのかよく解らんが、多いと思ってるのだから多いのか。納豆があれば…。

その後、教授回診があって、残ったI先生と少し話す。
今日のレントゲンで、右肺に少し水が溜まっているのがどうしてかちょっと解らない、とのこと。「ま、まさかまたアレ(ドレーン)で抜くとか…」と俺が怯えると笑いながら「いや、そんなに多い量じゃないので、まあしばらく様子を見ましょう」とのことでひとまず安心。

胸腔ドレーンを刺される痛みは正直、二度と経験したくない。
個人的には骨髄穿刺よりも嫌だ。胆石も帯状疱疹もやったし切ったり貼ったりいろいろしてるが、ドレーンを刺されるのが最悪。要するに体表部付近が麻酔されているだけで、太くて鋭利なものがグイグイ進入し、肺を覆う膜をズブリと突き破るわけだ。感覚としてはまさに刃物で刺し貫かれた、というイメージ。

「それと、研修医のK君がまた別の科へ移動になりますので」とのこと。最初についてくれたH君の時も思ったが、数ヶ月で移動しつつ全ての科を見なければいけないのは大変だろう。あの間隔を置いた「几帳面なノック」ももう聞けなくなるわけか…お世話になりました。

I先生が出て行った後しばらくぼうっとしていたら、急に貧血のように眠くなり、ベッドの背を倒して3時半ころまでウトウトしてしまった。採血の結果では貧血はあっても弱い程度、以前のような目眩でもないし、何だろう。
こういう時に自分に出来ることは少ない。熱を測るがきっちり平熱。色々考えると、術前術後で肺以外で変わったことは…。
汗をほとんどかかなくなったことか。その代わり夜中にトイレに立つようになったし頻尿と言うほどではないが排尿の回数は増えたわけで、異常というわけではない。まあ素人があれこれ想像しても仕方ない。

とにかく事実として汗をかかなくなったのは確か。前の自分は逆に「病的なほど」汗をかいていた。こうしてクーラーの効いた病室におり、運動もあまりしない(というより出来ない)ので汗が出ないだけならむしろ正常である。以前のように朝起きたらパジャマもシーツもぐっしょり、普段手汗足汗が常に出ている状態が異常。

とりあえずつけ放しだったクーラーを停め、換気でもしようと窓を開けた。入り口のスライドドアも全開にし、目隠しにカーテンを引く。朝からずっと雨の後だったから蒸し暑いだろうと思っていたら、外から入ってくる風は意外に心地よかった。おそらく気温も昨日までと比べればかなり下がったのだろう。

それから談話室にある体重計へ載ってみると、61.4kg。全然増えてない、むしろ400g減っている。誤差範囲内だろうがちょっと悔しい。納豆があれば…。

5時半ころ夜担当の看護婦さんが様子を見に来て「何でドア開けているんですか?」と聞くのでこれこれこう、と説明すると納得していた。クーラーはほぼベッドの足下の上にあるので、四六時中あたり続けていることになるから汗も出ないのが普通。もっとも術前はその状態でさえ寝汗ぐっしょりだったわけだが。

ただあまり発汗がないと汗腺の調子が狂わないか、やはりたまには汗をかかないといかんとは思う。自律神経もこういう「普通と違う環境」に長く居ると多少は狂ったりもするだろう。早く回復して外で「ひー暑い」といって汗をぬぐいたいものだ。

こういうことを言うとクソ暑い中外で汗水垂らして仕事をしている人に怒られそうだけど、ある意味羨ましいとさえ思う。それは、自分にとっては「もう一生出来ないこと」だから。
健康な体と鍛えた筋肉で、体を動かして仕事をし、暑ければ汗をかき、冷たいビールで「お疲れ様」の乾杯。神保町にあった当時の青林堂の業務は、返品整理、在庫や新刊の移動、注文品の品出しや積み込みその他、肉体労働がかなりのウエイトを占めていたものだ。かつての自分が「肉体労働」の充実感を知っているから、今はそれがまぶしく、羨ましい。しかし人使いの荒い会社だったな…。

窓からの風を浴びながらそんなことを思い出していると、うっすらとパジャマ下に汗をかいてきた。なんだかんだ言っても外の気温は室内よりも高く湿度も高い。風があるのでマシながら、ちゃんと汗が出てきて一安心。
あまり長いこと外気を入れていると病棟の廊下の温度管理にはいけないかも、と考えて小一時間ほどで閉めて、クーラーを再稼働。

6時前に夕飯、例によって大量のおひたしを半分くらい残した。
食後の薬(大4錠、中1錠、小1錠)を飲むためにコップに茶を満たして、フタを閉めてベッドに渡したテーブルへ置こう…としたらフタがパカッと外れた。押してはめるタイプだがどこかが開いてたらしく、俺はフタを持つかたちで置こうとしたわけで…。
当然コップはテーブルの上に一度当たってベッドに落ちた。
慌ててPCにかかった部分をティッシュで拭き取り、USBハブなどが濡れていないか確認。とりあえず機器は無事だった、ただしシーツは寝小便のような大きな染み。とても放置しておいて乾く量ではない。シーツ交換必須だが、この時間看護婦さんたちはミーティングなのを知っているし、その後は忙しい時間に入る。
とりあえずシーツを剥がして丸め、マットを拭いて隅っこに腰掛けてしばらくテレビを眺め、30分ほど時間を潰す。すぐナースコール押せばいい話なのは解っているが、自分の粗相で忙しい中呼びつけるってのもアレだし、と。

それから廊下を小走りで通りかかった看護士に声をかけて事情を言うと、「はい、解りました」と笑顔で去って行ったが、その後誰も来ないので詰め所へ。忙しそうだが仕方がない。何とか顔見知りの看護婦さんに気付いてもらい、「手の空いた時でいいので…」とお願いして戻った。
部屋で待っていると、夜担当の看護婦さんが来て「すみません、今処置が重なってまして、もうちょっと待っていただけますか」とのこと。はいこちらこそすみません。
その後シーツ交換は7時半近くになった。何かの処置をしていたらしい看護婦さんが合間に来てくれた風情で「すみませんね、遅くなって」と笑顔で交換してくれる。いえ、お忙しいところマヌケな事態で誠に申し訳なかったと思う次第です…。
「ふつう、ベッドの上でご飯食べたりしないですからねー」と言ってくれるが、もうずっとそうだし…。ほんますんません。

とりあえずベッドに戻れて一息。…もう消灯まで2時間ちょいという時間。
吐き気ゾーンを抜け、薬の副作用はその後発現していない様子。肺の水はちょっと心配だが、順調だと思おう。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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