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2010-08-14(Sat)

お盆の準備

8月14日(土)

月曜に退院してきてから、一週間近く経った。早い。
もう完全に当たり前の日常に戻ったわけだが、なんだか二ヶ月も入院していたなどという異常事態が嘘のようだ。しかし自分の体の衰えは確実にベッド生活が長かったことから来たものであり、何よりシャワーのたびに右脇の下にある切開傷が気になる。
先の見えない入院生活で何よりも一番望んでいた、猫たちとの暮らし、連れ合いの写真を傍らに置き、普通に暮らす何でもない毎日。
その有り難さ、当たり前の日常、普通の生活の有り難さに感謝する気持ちは忘れたくない。

今日は8時過ぎにゆっくり起きて、ほぼずっと仕事にかかっていた。

夕方一休みでテレビを見てごろりとしていて、連れ合いの写真を飾っている棚に目が行った。ああ、気が付けばもう明日はお盆の迎え火なのだな…。
連れ合いが亡くなってからたくさんの方からいただいたもの…弔電やお手紙、本、お花や俺への御見舞などの送り状などなど…を彼女の写真の前に揃えて置いてあったのだが、そこをいったん片付けようと思い立つ。
そうしてそこへ、去年迎え火用に買った電灯式の灯籠を二階から持って来て据えた。手紙などの束は、綺麗に整理し、一度しまおうと、台の下にある整理箱を引き出す。
そこには数十通の郵便物があり、ふと何気なく一通の便箋をつまむと、何と歌人の河野裕子さんからやまだ紫宛ての封書だった。
夫婦で京都へ越してきて最初の正月、やまだが河野さんへ出した年賀状への御礼で、万年筆の達筆な字で便箋数枚に綴られていた。お近くに越してこられて嬉しい、自分のところは山なので動物がよく出る、(我々夫婦の住む)一乗寺近辺には知り合いもいるのでよく知っているということ、そして「近いうちにお目にかかれるような気がします」とも書いてあった。
河野さんとやまだが会うことは、結局なかった。
この手紙の翌年にやまだが亡くなり、そして先日河野さんが亡くなられたわけだが、昨日河野さんの訃報を知り(河野裕子さんの訃報を知る)、そして今、探したわけでもなく偶然に河野さんがやまだ紫に宛てた手紙が手元にある、やまだの仏前で。
ああ、やはり二人は会えたのだな、と思った。
「お盆」か、一年が早い。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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