--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-10-01(Fri)

ツイッター

10月1日(金)

京都は爽やかな青空、気温は少し高めになったが湿度がなく快適な秋晴れ。
ニュースでは今日からタバコが値上げだと、昨晩までの買いだめや禁煙しようかと逡巡する愛煙家の様子などを映している。
自分は法律上はいけない十代の頃から癌宣告を受けたその日まで、ずっと喫煙をしてきた。もちろん癌、白血病の告知を受けたその日その瞬間から禁煙をしてもう5年になる。
吸いたい人は吸えばいいし、吸いたくない人は吸わなければいい、嗜好品としての煙草とはそういうものだろうと今でも思っている。
酒の席などで、喫煙可としている店ですぐ隣で煙草を吸われても、それは仕方が無いと文句を言ったことは一度もない。
ただ仕方が無いのと、快・不快は違って、カウンターでラーメンを食べようという時に隣の人が吸い込んで吐き出した煙と一緒に麺をすするというのは勘弁して欲しいし、今の季節なら松茸の土瓶蒸しのフタを開けた、あの至福の瞬間に副流煙を吸い込まされるのは暴力だと思う。
要するに完全なる分煙が出来れば何の問題もなく、それが出来ないからイザコザが起きている。
煙草と肺がんの因果関係がどうこう、科学的な根拠がどうこうとか、そういうこと以前に、煙は否応なしに「吸いたくない人」の鼻先へ届く。吸う自由と吸いたくない自由がそこで拮抗する。感情的対立になる。そこでいくら理屈だの根拠を言い立てても仕方が無い。
自分はかつて喫煙者だったこともあって、今でも酒の席で誰かが喫煙していても遠慮無くどうぞ、というスタンスだ。出来ればやめて欲しいが、吸いたい人に我慢を強いてまで強くそう思わずにはいた。
けれど、6月から二ヶ月ほど肺の病気で入院し手術も経て、もうそんなことは言っていられなくなった。いやもう本当に煙草は勘弁して欲しい。申し訳ないけれど、こちらは病人なので、なるべくそういう場に出ないようにするから、せめて禁止と言われる場所ではやめて欲しいと思うだけだ。
歩いていて前の人が吸っている煙が来るとひどく咳き込む、イヤミではなくこちらは病人なので本当に苦しいのだが、相手は振り返り「何や大げさに」という顔をする。露骨にこちらへ煙を吐くのもいる。いちいち「あのね、俺実は…」と説明できるはずもないので、マスクをしたまま黙ってやり過ごすしかない。
弱者に対してどうこうとかそういうことじゃなく、自分がかつて喫煙者だった時もそうだったように、「俺の吐く煙を嫌な人がいるかも」という思い、気付きを持つか持たないかで、同じ喫煙者でも大きくマナー、行動が変わる。

ところで、そろそろツイッターをやめようかと思っている。
いやせっかく作ったアカウントを消すということではなく、こちらから発信するのは大幅に減ると思うが、@でのこちらへのコメントやDMがあれば返信するという感じで。

元もとツイッターを一年ほど前に始めたのは、自分が病人であり、京都で一人になってしまい、身内に生きてるのか死んでるのか判らぬという心配をかけるような状況に陥ったので、生存確認のために始めたことだった。
一人暮らしの親が毎朝お茶を淹れるためにポットを使うたび、遠くで暮らす息子にメールが届き、無事を知らせる…という冗談みたいなサービスが本当になってしまた時代、自分も笑っていられなくなった。
ツイッターは始めてみるとやまだ紫ファンの方、古い友人、全く知らない人などとも、色々なつながりが出来た。それは楽しいことだ。
その「つながり」ということで一番大切に思っているのは、やはりやまだ紫についてであって、実際復刊その他何かの告知や宣伝ができれば、情報の拡散が出来ればいいな、と期待もしたし、実際そうやってきた。
でも残念ながらやまだ紫について反応してくれるフォロワさんの数は、思ったより少なくて、少々拍子抜けした。いや正直に言うと、驚いた。
こちらのブログで更新すると、ツイッターよりもむしろ数倍〜数十倍の反応が非公開希望のコメントやメールで寄せられる。あれ、ツイッターってお気軽に「つぶやき」が出来るものじゃなかったっけ、と思った。
そこでハッと気付いたのだけど、ああ、ツイッターをやっている層と、やまだ紫ファンの層が合致しないのか、と実感した。
なので、自分の生存確認なら他に手段を見つけたので(笑)、それじゃあツイッターやらんでもいいか、と思った次第。
ここ数週間で、やまだ紫の作品の再評価、詳しくは言えないがある計画、また重版など嬉しい情報が相次いだ。
そう、例えばツイッターでそれをつぶやいても、当たり前だがTLでそれはどんどん流れてしまうのであった!
それゆえ今年に入ってからのやまだ作品の復刊時も、ツイッターでの宣伝での影響はほとんどなかった。

ということは結局、刹那的でいい自分の独り言をつぶやく、そういう手軽なツールだということが今さらながらよく判った、というかようやく理解したというわけである。
流れてしまいその瞬間TLにいる数人の人らの目に触れるだけで、あとは滝のように流れ落ちて消えて行く、それでいい言葉なので、読む方もそれなりに手軽に流しているということだろう。またそういうツールだからみんなこれだけ手軽に楽しんでいるのだろう。
それでいいと思う。中にはそうじゃない人もいるようだし、それならそれでまた良し。

時々、何かを尋ねてくるツイートも来る。それに回答したいが、140文字という制約の中では伝え切れないことも多い。メールで尋ねてもらえればキチッと返せるのだが、第三者にも公開のうえで、しかも短い言葉で返答するのに困ることも多い。誤解されたりもする。
誤解といえば先日は「誤読」をされ、あたかも自分が動物虐待肯定論者のように「RT(他人の発言を引用し、拡散させること)」されたこともある。誤解だと確認してもらったが、それでも書き込みは検索で表示される。
時間の滝壷に流れ落ちてしまったはずの「手軽なつぶやき」「刹那的な言葉」が、実はずっと残ってしまうという現象、あるいはそのためのツールも増えた。誤解や曲解、意図的な悪意ある「引用」、そしてその拡散も可能というわけだ。
ということになると、ますます公開の場で短い言葉で誤解なきよう、その都度発言するのは憚られる…と思うのは俺だけだろうか。全然「手軽なつぶやきツール」じゃないよ、というか。
となると暑いとか寒いとか腹減ったとか眠いとか、まあそういうこと=他人が悪意で曲解しようのない、当たり障りのないことぐらいしかつぶやけない。元もとそうだったはずのものが、いつの間にか変わってしまったのか、あるいは元からそういうある種の緊張感を持ったツールだったのか、それはどちらでもいいけれど、とりあえず、告知や、残し、伝えたいことはキチンとまたこのブログに掲載していこうと考えた。

さて、以前からお世話になっている人たちの多くはこのブログとメールのやりとりばかりで、その人たちがツイッターをやっているかどうかは不明。探してまでフォローするということはしていないから、@でコメントが来るとかしなければ知りようもない。実際やっていない人の方が多いようなので、重要な告知などはまたこちらでやらせて貰う方がいいだろう。

と、いうわけでゆるゆると、生きることそのこと自体を最優先にしておりますので、よろしくお願いいたします。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

紋白様

ありがとうございます。
文学や漫画、映画など何でも、節目に自分を変えるようなものは、「不思議と必要とした時」に目に入ってくるものですね。もちろん後から振り返って、その作品に出逢うべくして出逢っているわけですが、若い頃には通り過ぎたものが何年、何十年か後に心に響いてくるということもあります。
やまだ紫作品は、自分にとって十代の頃に衝撃を受け、一緒に暮らすようになってからも、そして彼女を失ってからも、ずっと自分の人生に必要な、大切な作品であり続けています。
漫画史的なこと、作家論的なことは別にして、自分にとって本当に大事な作品、大切な作品って何かと考えた時、オールタイムでやはり彼女の作品が浮かびます。
「しんきらり」は妻になり母になると、より深く共感できたり愉しみ方・見方が深まるとよく聞きますが、自分は男なのに共感できる部分が多い作品です。
それはきっと、やまだ紫という作家そのものに深く共感しているからだろうと思うのです。
まだたくさん、素晴らしい作品が遺されていますが、残念ながら全てを復刊するに至っておりません。
道のりは険しく恐らく自分の生では無理だとも思っていますが、だからといって彼女の作品、業績が低くみられるべきものではないし、消えるものでもないと思っています。
これからも、やまだ作品を愛していただけるよう、お願いいたします。

はじめまして。

先日ひょんなとことから白取さまのブログにたどり着き、
やまだ紫先生のお名前を拝見して、ああ、確かガロ作家さんだったなあ。
と思い、さらにはすでになくなっていたことをしり、
驚いてここ数日白取さまの日記をむさぼるように読んでしまいました。

わたしは中学生の頃、92年ごろからガロがなくなるまでの間、熱心な読者でした。
あの頃のガロは面白くて面白くて、片田舎で暮らしていたわたしにはなにもかも新鮮で、
毎月発売を楽しみにしていました。

今は結婚して、子供もふたりいるわが身ですが、その頃を思い出したような数日間でした。

でもたしか、その頃のガロにはやまだ紫先生はあまり執筆されていませんでしたよね。
お名前ばかりを見かけるような、そんな存在でありました。
そして先日、「しんきらり」を拝読いたしました。
わたしの下手な文章ではどうにもうまく表現できないのですが、言葉に言い表せない、すばらしいものがたくさん詰まっている、作品でした。
いまの、毎日繰り返される小さな子供の育児に失いがちな、自分を見つけて、拾い上げて、赦して、認めてくださったような、そんな感覚が胸を締め付けて、理由の説明できない涙が出ました。
同じ育児をしている友人にも勧めようと思います。

どうしても、黙っておれず、白取さまにメッセージを送らずにはいられませんでした。
やまだ先生の作品、もっとたくさん読んでみようと思います。
復刊作業、大変かと思いますが、たくさんの作品が読めるのを楽しみにしております。
ありがとうございました。

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。