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2011-01-01(Sat)

白血病告知から6年目

1月1日(土)

2011年元日。
毎年思うが「2011年」ってSFかよ、と思う。
普段あまりテレビ、というかバラエティを見なくなったが、大晦日はダウンタウンとアンビリーバボーの特番をダブル録画して、紅白を見つつ、時々他チャンネルをザッピングするという見事なテレビ依存の日だった。夕方から晩酌をしつつ、「明青」さんにいただいた料理をいただき、1時過ぎには寝た。

今朝は8時ころユキが布団に入れろと枕元に来て、その後9時過ぎまで一緒にウトウト。ゆっくり起きて朝のもろもろを済ませた後、雑煮の支度にかかる。
連れ合いがいた頃作ってくれていたのは、圧力鍋で煮た鶏ガラスープをベースにした醤油味の雑煮。
さて今年は手羽中とあご節、昆布でとったダシを二度漉して小分けしたスープがある。角餅をオーブンで焼き、スープは塩と醤油で味付け。ダシ醤油だと甘めになるし、ベースになるスープの段階でじゅうぶんダシを採ったわけなので、仕上げは普通の醤油を使う。酒や味醂は入れない。歯触りの野菜は最後に散らす三つ葉があるので、白ネギは斜め切りしたのをくたくたに煮る感じで最初に椎茸、鶏肉と一緒に投入。ほうれん草は仕上げ直前に暖める程度にスープに浸す。
餅が焼けてきたら、スープに入れてとろっとするまでちょっとだけ煮込む。これが我が家の雑煮。
もちろん出来上がったのは連れの写真にも添える。正月はいつも夫婦で昼からお屠蘇だと酒を飲みおせちを食べ、夕方気が向けば近所の神社へ初詣に行くという、ゆるい感じで過ごしてきた。今は一人だが、雑煮が実にうまい。我ながら素晴らしくうまい。既定路線通り、おかわりもする。

大晦日あたりからツイッターのTLではやれうちの方ではこういう雑煮、うちではこうだというご当地雑煮談義が面白かったが、自分の場合北海道、函館の雑煮がどうだったかほとんど記憶にない。18まで居たはずだが、おせちやお屠蘇の記憶はあれど雑煮って食べたっけ、という感じだ。なのでそれ以降、連れ合いと一緒になってからの関東風の雑煮が「我が家の味」だ。
名古屋あたりを境に餅のかたちも角から丸に変わり、地方によってはあんこが入った汁粉のようなものもあるという。どれが正式だとかいう話ではなく、地方ごとに雑煮のスタイルがあるし、その地方でも今度は家庭ごとにアレンジが変わるものだ。
家庭によっては海老を入れたり味噌仕立てがあったり色々だろうが、それはそれぞれの家庭の味。
京都でそういえば何年か前、夫婦でお邪魔していた割烹で丸餅・白味噌のお雑煮をいただいたことがある。白味噌というと甘いという印象を持っていたが、素晴らしく美味かった。まさに和風ポタージュとでも言うべき濃厚で極上の味だった。だからご当地で色々雑煮のバリエーションがあるが、スタンダードがこれというものではなく、それぞれの地で食べるそれぞれのご当地料理だと思えばいいのだろう。

午後、さいたまに住むゆうちゃんの娘たちから年賀の電話。その後変わったゆうちゃんに聞いたら、やっぱり雑煮は母譲りの鶏ベース醤油味だそうで、うちも同じだと笑った。

白血病だと判ったのが2005年の夏、もう6回目の正月を迎えることが出来た。相変わらず普通ではない状態にあるし、ここ一年ほどは入院も手術もしたが、白血病原発とはいえ本体の白血病そのものは無治療。有効な薬もないし、抗癌剤・骨髄移植など過酷な治療に耐えられる体でもなさそうだ。そろりそろりと用心していくしかない。

今年も何とか生きていられますように。いい年でとか飛躍したいとか野望はない。普通に暮らせればそれでいい。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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