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2011-01-06(Thu)

暖かい寒さ

1月6日(木)

年末ちょっと冷えたあたりから、羽毛布団を2枚重ねにした。真夏は何もかけず→薄い羽毛掛け布団一枚→プラス毛布→プラス厚手羽毛布団、という経過。元もと薄いのとセットの掛け布団で、四隅と中間をボタンでパチンと留めて2枚重ねることが出来る方式。なので真冬は重ねると中間に空気の層が出来てさらに暖かいというわけ。
というより、暑い。
おまけにユキちゃんが潜り込んできて湯たんぽのようになる。
京都の冬は「底冷えがする」とよく言われる。2007年に引っ越してきてからまだ4度目の冬。連れ合いと一緒に2度年を越し、失ってから2度目の年を越した。
引っ越してきた翌年・子年の正月は狛犬ならぬコマネズミがいるというので、二人で大豊神社へ初詣に出かけたが、その時に東山の麓の境内では、さすがに底冷えを体感した。
二人でその寒い中食べたうどんは本当においしかった。
それ以外は北海道生まれのせいか、言うほど「寒い!」と思ったことはない。
ただ、何というか、「寒さに包まれる」感覚と「足先から寒さが這い上がってくる」感じは判る。それが「底冷え」なのかも知れない。
幸いうちはマンションの上の階のせいもあって、割合暖かいと思う。エアコンの効率の悪い暖房でも、時々休ませて床暖房だけで過ごす時間も多い。
東京に居た頃の寒さで思い出すのは、真冬の青空の下での寒さ。放射冷却というやつか、金属的な寒さという感じだった。あと、殺伐としたビルの間を吹き抜けるビル風や、高速道路や巨大な橋から吹き付けてくる人工的な寒風。真夏のヒートアイランドといい、つくづく暑さも寒さも人工的な感じがするのが、東京という街だった。
北海道、函館の冬は18歳まで過ごしたけれど、気温から言うと一番低かったはずだ。ただ若かったせいか、雪が降ってるのに学ランだけで中学校へ通ったり(真冬はアノラック的なものを着たが)、とにかくマフラーというものをしたことがなかった。手袋もほとんどはめた記憶がない(スキーなどを除いて)。
何しろ上は吹雪、下は風で積もった雪が吹き上がるという地吹雪のサンドイッチというのも体験したが、それらは「自然の寒さ」だし、雪というのは暖かいものだとずっと思っている。
あの、真冬の大都会、放射冷却の中ビルの谷間から吹く風に比べれば全然暖かかった…というのは若かったせいだろうか。

京都の冬はキーンと透明感のある、どちらかというと故郷に似た「暖かな寒さ」を感じる。山や川があるからかも知れない。底冷えがする、盆地やから寒い寒いという人たちにはちょっと申し訳ない気がするが、気持ちのいい寒さだ。
まあ、一人になってしまった心の寒さが一番、こたえる。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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