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2011-01-16(Sun)

おもろい時代

1月16日(日)

夜中に何度もユキが布団に出入りするので、その都度起こされる。
大人しく下のリビングで床暖房ぽかぽかで寝てくれればいいのに、潜り込んでくる。まあそれは布団の中はぽかぽかだし、こちらのどこかに密着しているので安心感もあるんだろうけど、熟睡できない。
こういう時はきっと外がぐんと冷えた時なんだよな…と思いつつ、薄く、だらだらと9時頃まで寝た。
起きて北側のベランダからいつものように比叡山を眺めようとして障子を開けたら雪。既に数センチ積もっていて、さらに降り積もり中。
先日、放射冷却に比べれば雪が降る湿気のある寒さはまだいいもんだ、てなことを書いた覚えがあるが、今回の雪はかなり寒さを伴っていると体感できる。同じ雪でも色々あるなあ…と思いつつ朝のルーティンを終えて、仕事のメール確認や連絡。

仕事ではないが、友人のT君からメール。彼は敏腕バリバリのプログラマでありSEでもあり、重度の漫画・アニメオタクでもある。ただネット上のニュースは幅広く、いつも驚くほど早く教えてくれる。彼は仕事上だか立場上だか(実は一度も直接会ったことは、ない!)、ツイッターやブログをやっていない(本当はやっているのかも知れないが、知らない)ので、直接メールで「配信」してくれる。

再三ここに書いてきたように、一昨年連れが亡くなったあと、どうしてもテレビをほとんど見られなくなってしまった。
といってもタレントがゴルフをしたりうまいものを食ったり旅行したりしてる映像…つまり「彼らが楽しんでいる映像をただ見せられるだけ」のものや、わっはっはと笑えるお笑い番組・バラエティのたぐいが見られなくなった。そういうものを蔑んでいるわけではなく、夫婦の時は二人で眺めていたからだ。
ニュース、それもニュースショーではない純粋な報道番組、スポーツの類はそれでも見られていて、一年ほどしてようやくまた以前ほどではないものの、バラエティも見られるようになった。
ニュースはネットの方が早いことも多くなったのと、テレビの場合は放送時間に見ないといけないので、どうしてもまずネットからニュースもチェックするのが習慣になる。
そうすると、「自分が読みたいと思ったニュース」しか読まなくなるので、なるべく幅広くと思っても、芸能関連の下らないゴシップ関連や、テレビだとよくある「番宣」の類の「ニュース」(実際はニュースでも何でもない)などを全く見なくなってしまう。だから時々気晴らしに見るバラエティで「誰?」という人が多くなった。まあそういう番組は見なくても知らなくても全く不便・不自由がないわけだけど、そうではない人との共通の話題に困る。

T君はそのあたり絶妙で、例えば海老蔵クラスの「事件」になれば普通にニュースとしてこちらもたびたび見るが、年末のO桃&A木騒動、某店のおせち騒動などはネットでの「話題」段階で教えてくれたので、逆にテレビが取り上げる前から見ていた。やはり近年のネット社会が進むにつれ、情報を受け取る側にもかなり色々なスタンスの変化が生まれてきているなあ、としみじみ思う。
若い人の中にはその「ネット」の情報しか知らない、それも自分が選択した狭い範囲の情報しか知らない、という人もいるだろう。新聞の購読数の激烈な低下にも、それは現れている。
何か判らないことがあっても全て「ネットで調べられる」「最悪誰かに聞けばいい」という。ただ、当然ながらそういう人が貰ってる「ニュース」のソースも、言うまでもなく元もとマスコミの人が集めて配信しているものだし、ウィキペディアだって誰かが記述・編集して載せてあるものだ。まして他人に聞くということは、その人の考え、趣味趣向が混入するバイアスがかかる、フィルタがかかるという懸念がつきまとう。マスコミの流すものもしかりで、同じ事件・出来事の報道でも会社によって全く変わったりもするのがいい例だろう。
そらリアルの実社会でも同じだろう、という話だが「いい悪いの話」ではなくて、自分の若い頃と比べたら何と楽チンか、ということなのだ。

「バカと思われるのが嫌なバカ」は、狂ったように「知らないこと」を潰していくために本を読み漁り、博識な人には質問責めにしたり、古書街をまわり内記図書館から国会図書館まで出入りするようになる。要するに今でいう中二病ってやつだし、痛い若造なわけで、まあ自分の若い頃なんすけど(笑)。

とにかく情報・知識の収集という目的は同じなのだが、その手間と時間、労力が今のネット社会とはケタ違いだった。ただ、部屋にいてキーボードを叩きマウスをくいくいすれば目の前に表示される「情報」と、足で苦労して集めた「情報」と、やはり苦労度に比例するのか重さが違う。これは両方実体験してきた世代ならではの実感だ。
誰でも得られる情報の集積が知識、教養や哲学みたいな深みを持つかどうかはもちろん本人の資質によるわけで、結局バカは死んでも治らないのであるが、それは置いておく(笑)。ただ入手方法が困難であった・苦労して集めたものの方が、その「集める苦労」という行為そのものの記憶とセットになるので、身になっているような気がする。

今の自分は相変わらず知らないことだらけで浅学非才のただの凡人なのであるが、そんな中でも苦労して集めて身に付けたものや、たくさんの才能ある作家さんたちと仕事の上で関われたこと、伝えていただいたたくさんの言葉は本当に宝物だ。
作家さんじゃなくても、そこらへんに居るおもろいおっさんやおばはんの抱腹絶倒の人生経験談も、大学の先生の専門的な話も、面白い・面白くないという観点からだと対等に評価されるので、面白くてちゃんとためになる・役立つってハードルが高い。役立つというのは「考えさせられる」「刺激を受ける」ことによって「自分が高まる」ことでも十分だろう。なので世間話やエロ話にもそれなりの意味がある。だから、やっぱり色んなところへ出て色んな人と会ってナンボ、という編集という商売は面白かった。
「ガロ」の仕事や取材で関わった人らの感性、作家さんの仕事場で伺った創作に関わるお話、関わらないけど見せていただいた趣味のことなんかも含め、それらはネットで居ながらにしては得られないものだったのは確かだ。

もちろん今の20代の人たちは物心ついた時にはインターネットが「普及」していたんだから、スタートラインが全く違う。ネット社会に最初からある人たちは、かなりの情報を自室に居ながらにして集めることができて、その上でリアルな社会…本や教師などから補完・補強することも出来る、と考えると、やはり羨ましい。順番としてどっちの方がいいかという話ではなく、自分が苦労してかけずり廻っていたかなり多くのことが、今ではクリック数回で得られる、という「今」現実の話。

さてT君はマンガ・アニメ関係のオタク情報にも非常に精通していて、こちらの弱い部分も補完してくれるから、非常に有り難い。しかもオタクでありながら、かつて「ガロ」を読んでくれていたように、そちらの幅も広い。本当に脱帽する。「オタク」という意味がもう変化しちゃったのでややこしいが、とにかく、文学から萌えアニメまで幅広く興味を持つ方が、マンガやアニメを差別する「活字信奉者」や、逆にマンガやアニメしか見ない「オタク」よりも世の中面白いと思う。経験上。
加えてよく思うのは、昔はテレビや映画に出られる人は一握りの「芸能人」でありスターであったし、また活字に限らず漫画も含めて作品を商業的流通に載せる…つまり本を出せる作家も限られていた。さらに、そういう表現に対する批評はさらに少ない媒体で限られた人たちが行っていた。
けれど、近年はネットの普及で、誰でも買った本について正直な感想を述べることが出来る。作家と対等どころか見下して、したり顔で批評をする素人さんも多い。また表現そのものも、何も商業出版をせずとも同人誌もあれば、ネットで発表もできる。それらの相互乗り入れも今や当たり前の時代。

片方で、ネットやPCとその周辺、ゲームも含めたテクノロジーの進歩がめざましく、30年前には無かったり想像も出来なかったり、あるいは想像はしたがこんなに早く具体化するとは思えなかった技術が次々に目の前に提示されるようになってきた。

T君に限らず他にも数名、自分を気にかけさまざまな情報をくれる人たちがいてくれて、「死んでる場合じゃないですよ」「こんな面白い時代ないですよ」と言ってくれる。そうして、熱心に色々と教えてくれるわけだ。
「もう少し、見てかないと損ですよ」
そう言われていると、何となくそうなのかな、という気になってくる。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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