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2011-02-08(Tue)

ダブル診察日

2月8日(火)

就寝時からユキが布団に潜り込んできて、朝まで何度か出入りを繰り返すたびに起こされ、朦朧。最後は布団の中に入れずほっといたら、起きる時に掛け布団の上に沈むように丸くなってスヤスヤ寝ていた。
こちらはそのまま起こさずに下へ降りて、猫ごはんや水、ご先祖様のお茶や線香などを整えて外出の支度。今日は血液内科と呼吸器内科のダブル診察日。朝食は食べると即座に「下る」ので、とりあえず食べずに出る。

春分からここ数日暖かかったが、夕べからまた少し冷えて、今朝は寒い。こちらは風邪予防のために完全防備だが。
病院へ着いたら9時ちょい前、採血受付を済ませると40人待ち。咳をしている患者が多い。30分近く待ってようやく3本採血。すぐにレントゲン撮影へ向かい、つつがなく終えて血液内科の外来でひたすら待つ。
何しろ夜中はコマギレに起こされ、薄い眠りを途切れ途切れにしてた感じだ。黙って座っていると眠気が襲ってくる。携帯でハードロックをかけて何とか乗り切る。
血液内科の予約時間は10時半だったが、15分ほど遅れて呼ばれた。こちらの採血も遅かったのでしょうがない。ていうかむしろ早い。

いつものようににこやかに「お変わりありませんか?」と応対して下さるN先生、もう採血の細かいデータを見られた後の様子で、一覧もプリントされていた。
相変わらずの低値安定。
「白血球と血小板がね、いつものように低いですが…。あとはCRPも正常ですし、LDHも増えてませんし」とのこと。「風邪などもひかれてないようですね」と言われるので「はい、もう用心してますし…」と答える。先生は笑顔で「さすがにじゅうぶんご注意されておられるようですね」とのこと。
はい、そりゃもう…。今はインフルエンザが流行ってきているから、ワクチンを打っておいて良かったし、極力外出を避けていることも正解。
「もう、発病してから無治療で6年目に入ったんですよね」と言うと「そうですよね、このまま無治療で行ければ一番いいんですが…」と言われる。無治療での5年生存率は半分、ここからは一年ごとに10%ずつ落ちていく。
「あと何年生きられそうでしょうか」と聞くのは、やめておいた。
先生も解らないだろうし、聞かれても困るだろう。こちらも逆にはっきり何年です、と言われるとも思ってない。だったらそんなことは聞かない方がいい。
とにかくこのまま用心して行きましょう、と確認して、次回は3月15日。

次は呼吸器内科の外待合へ移動。
こちらは確か11時予約だったはず、ひょっとしたら呼ばれたかな、と思ったが、とりあえず待つ。それにしても病院じゅう、本当にゲホンゲホン咳をしている人が多い。さすがに呼吸器内科に来る人はマスクが多いが、口を抑えずにゲッホゲホと咳をしながら歩いている患者も多い。
実際見た経験で言うと、マスクをせずに大口を開けて咳をバラ撒いているのは100%、いい年をした「ジジババ」だった。60代かそれ以上と思われる「お年寄り」で、100%。
若い人は「咳エチケット」という言葉や概念を知っているのか教わっているのか、とにかく咳をする人はちゃんとマスクをしている。マスクは「予防」ではなく、自分から他者へ感染させないため。けれどそういうことを知らない老人世代は、もう自分はすでに風邪を引いているから、人からうつされることもないだろう…とでも思っているのだろうか…。
幸いこちらの周囲には咳を飛散させている人はいなかったので、そのまま座って待っていたら、11時半前にちゃんと呼ばれた。

挨拶を終えるとI先生は「その後どうですか」とレントゲンを前の分と2枚並べて見せて下さるので、「はい、特に変わったことはなくて…」と言うと「そうですか、画像でもほとんど変化ないですね」とのこと。右肺の中に丸い袋状のものが依然あるが、これはずっと大きくも小さくもならずにあるので、問題ないでしょうということ。
それで思い出したのだが、一週間ほど前に右胸が痛くなって、右手に体重をかけて立ち上がったりすると重く胸の中が痛むことが数日続いた、と報告。「ただここ数日弱まってきたし、咳や痰が増えたわけでも、熱が出たわけでもなかったので、診察日まで様子を見てたんですが」と話す。
I先生は「そうですか、痛みは収まりました?」というので「はい、もうほとんど」というと「前回の気胸はね、肺炎が起こした症状ですから、もうそういうことはないと思いますよ」と再び写真を見つつ言われる。
実際採血のデータを見ても炎症反応はないし、そのあたりは寒い日が続いたので、手術の後の後遺症みたいなものかも知れません、と話す。
確かにそういうことはよくあるそうで、これまたよく考えたら俺は手術してからまだ半年なのだった。傷こそ小さくて済んだ胸腔鏡手術だったとはいえ、中は肺炎の嚢胞採取、破れた部分の縫合とコーティング、そして大物・縦隔の胸腺種の摘出と、けっこう大変だったわけだ。
これまで、右下腹を胆嚢切除のため切開、帯状疱疹の劇症化、そして右肺手術と、それぞれに何らかの神経痛など後遺症が残ってもおかしくはない状況なのだが、幸い大きな障害は出ていない。連れ合いなどは右腎臓摘出手術の後遺障害=激痛に一年も苦しんだ挙げ句、その後も時おり走る神経痛に悩まされてきた。
俺の場合胆嚢の手術後は全く何もないし、帯状疱疹はケロイドになりときどき痒みや軽い痛みが皮膚にあるだけで、よくある神経痛は起きていない。この右肺だけ、今でも時々鈍痛がするが、これくらいで済んでるんだから良しとせねば。
次回までの分の薬を処方していただき、吸引の薬剤の処方を貰って、診察室を出る。

処置室でその処方を渡してしばらく待ち、個室に入って吸引器で薬剤噴霧を吸引。たっぷり30分、後半例によって気化させる部分のプラスチック製ドーム部分を外しては薬剤を中央に集め、を繰り返しつつ、終了。
会計して外に出ると12時過ぎだった。

今日は買い物があるので、病院南の薬局で処方箋を調剤してもらい、熊野前のスーパーで買い物をしてまっすぐ帰宅。
荷物を提げてリビングへ入っていくと、俺がいつも座っているクッションの脇にゲロがしてあった。
これはユキが目が醒めたらもう俺がどこにも居なかったので、嫌がらせ(?)にやったに違いない。ていうかシマも時々ゲロを吐くが、シマの場合は一箇所だけということは絶対になく、一度吐き始めるとうろうろしながら6,7箇所にやる。一箇所だけにカリカリをげええ、とやるのはユキだ。
手洗い、うがいを入念にして、着替えて荷物を整理してゲロの掃除。色々疲れた。
でも何とかまだ無事で良かった、自分。
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コメント

後遺症

いつもありがとうございます。
自分の状態を考えたら、この程度の「後遺症」など屁みたいなもんですし、たった一回の手術でずっと苦しむ人もいますから、結局は「今この状態」を受け入れるしかないですね。
それをマイナスにばかりとらえていると、きっと良くないでしょうし、おっしゃるように付き合っていくしかないものなんですね。
本当に健康こそ宝。ご自愛ください。俺も自愛します(笑)。

胸の痛み

右側の胸の痛みがしばらくあったとのことですが、確かに先生の言われるように、「手術後の痛み」かもしれませんね。
私も乳がん手術跡(切り傷は3cmほど、腫瘍は直径2cm、それにマージンをいくらか付けて切除)は、もう1年4ヶ月経ちますが、今でもじんわり痛いときがあります。乳腺科の先生は「手術後の痛みは一生消えない人もいる」と説明してました。
私の場合じわっというレベルで、それも時々というものなので、まぁ苦なくお付き合いしていけるもの。お互い体をいたわってあげましょう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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