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2011-02-11(Fri)

母になったNOKKO

2月11日(金)

NHKで偶然、NOKKOの番組をやっていたのをザッピングの合間に見た。
「心から歌いたい〜母になったNOKKO」、今一児の母として熱海で親子三人、静かに暮らす日常から再び歌へと向かう様子を追ったもの。途中からだったので録画もせずに見た。
以前レベッカ時代のNOKKOについては熱く語ってしまったことがあったが(REBECCAとNokkoのころ )、自分も狭い見識とはいえ邦楽洋楽あれこれ聴いた経験では、80年代では間違いなく日本最高のポップロックバンドの一つであった。あの当時の音楽状況、世相、社会、若者事情(笑)を知らない世代が今ポッと聴いてどうかとか、今のNOKKOを突然見てどうという感想は人それぞれだし、正直どうでもいいので放置。リアルタイム世代としては、「レベッカのNOKKO」が最高に格好良かったし、大好きだったのだけれども、もちろん解散から渡米の時期に大多数のレベッカファン同様に彼女から離れ、彼女も音楽から離れていく。
音楽プロデューサーと向こうで結婚し、出産・子育てのことを考えて熱海へ移り、そこでしっかりと母親をするNOKKO。体型もしっかりしたものになり、すっかりスリムというよりは「ソリッド」でセクシーだったレベッカ時代の影は無くなったのに、彼女の表情は明るく穏やかで、充実したものだと感じた。
娘さんの子育てを通して「歌」というもの、歌うということの意味を再確認した彼女は、再び歌いたいと思うようになる。もちろんそれは夫君が語られるように「娘のため」という極めて単純明快ではっきりした対象があってのこと。
そして、NOKKOは埼玉スーパーアリーナ・15000人の観客の前でレベッカ時代の曲を含めたステージを30分つとめた。ステージでのNOKKOは正直を言えば、精彩を欠いていた。しみじみと懐かしく、かつて同じ青春を過ごした感慨や感傷を持って見る、聴く、だからそれなりの愛情を持って見てしまう。ただ、明らかに、NOKKOはこの時点では間違いなくステージの映像よりも、それまでの「日常」を追いかけた映像の方が遥かに堂々としており、活き活きとしており、輝いていた。
絶頂期のNOKKOのアーティストとしてのパフォーマンスを期待して、このステージを評するのは色々な意味で間違っていると思う。
集まっていた当時のファンと思しき世代の人たちは皆、暖かい目で手拍子をしながら、アコースティックにアレンジされた「ロンリー・バタフライ」や「フレンズ」を聴いていた。けれど若い、当時を知らぬ、コブクロを目当てにきたファンはどうだったろう。
NOKKOはステージを終えると「おかあさん、疲れちゃったよ」みたいなことを言っていた。本音だろう。そういうところ、あのトンガったところが全く消えて本当に「母」になったNOKKOの今の正直な姿だったと思う。それをカメラに晒すことも含め、本当にいい年の取り方をしたんだな、と思った。
番組のラスト、熱海の海岸散歩する貫一お宮、じゃなくて親子三人の様子をカメラが後ろから撮影している。NOKKOは振り返ってチラっとカメラを気遣うような目線をくれた。何かそういう部分も、前半での熱海の住人たちと触れ合い、普通の「一般人」としての普通の所作を写していた部分と共通して、ああ、本当に今幸せなんだろうな、と思った。
十年ぶりにアルバムをリリースし、NOKKOは母としてアーティストとしてマイペースで活動していくようだが、おそらく、一番素晴らしいパフォーマンスを見せるのは娘さんの前ではないのかな。そういう部分とプロとしてどう折り合いを付けていくのか。
一人の人としての生き方、アーティストとしての生き方、色々と考えさせられたいい番組だった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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