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2011-02-22(Tue)

「家族の歌」

2月22日(火)

なんでも今日は222でにゃんにゃんにゃんの「猫の日」らしい。
うちなんか一年365日猫の日だ、って。



朝、いつも通り起きて上半身を起こす時、どこにも大きな痛みや変化が無い事を確認してホッとする。もう、そんな日が5年以上続いている。連れは俺と一緒に暮らしながら、きっと隣で同じ思いをしていたのだろう、そして先に逝ってしまった。
これもいつものように寝室のベランダから比叡山を眺める。真冬の煙ったような山頂のよく見えない日は気落ちも曇るものだが、今朝は実に綺麗な青空と、朝日を浴びてはっきりと山頂までよく見える。自然と合掌してしまう。
居間へ降りて行くと、弱くつけている床暖房の上で猫が二匹寝ている。シマは床の上で手まくらをして丸くなっていて、ユキは俺が座っている円形クッションの上を占領している。
古参のオス猫のシマはすっかりオッサンになってしまい、メスのユキとノーガードの打ち合いをやっても、負けては這々の体で離脱するばかりだ。

床暖房といえば、先日夜になって突然思い立ち、リビングの床に敷いてあったカーペットを引きはがした。毛足のちょっと眺めで柔らかい、いい座り心地のカーペットなのだが、その分猫の毛とホコリをたっぷりと蓄積する。毎日掃除機をかける体力も気力もなく、十日もすると大変なことになる。
フローリングの方が掃除は簡単だし、ホコリ取りもモップでまめに出来るのが楽なのだ。ただ、猫はいつも俺がカーペットに座って仕事をしていると、その足元に二匹とも奪い合うように体を寄せてきた。猫にとってはカーペットの方が柔らかくて気持ちいいらしい。
そう思って、これまでのカーペットはひきはがしてフローリングにして、同じ柄の半畳ほどのカーペットを座っている箇所とはずらしたところに敷いた。これは猫たち用。もとは夫婦で居たときに食事用に買った二人用のダイニングテーブルに敷いてあったもの。
俺が仕事をしている時は、その小さな「猫用」カーペットの上に二匹とも寝るようになったので、足を枕にされずに済むようになったというわけ。

昨日、予報で今日は暖かくなると言っていたので、ネットスーパーの注文をやめた。たまには自分で行こうと思った次第。果たせるかな、外は青空で陽射しもいい感じ。
昼過ぎに久しぶりに自転車に乗り、近所のスーパーへ向かう。もちろんマスクをし、手袋マフラー帽子だが、これは寒さ対策よりも感染予防。家に入る時はこれらをホコリをはたくように叩き、それからうがい手洗いをするようにしている。これももう習慣。
ただ今日は、これがちょっと鬱陶しくなるほど暖かかった。買い物を済ませてゆっくり戻ってくると、交差点が何やら騒がしい。どうやら車同志の衝突事故のようだ。このあたり…洛北はオフシーズンはそれほど交通量も多いわけではないので、こういう事故は珍しい。乗用車の壊れ具合はけっこうなものだが、パトカーや警官の数の割に野次馬がほとんどいない。どうやら買い物の間に事故処理やけが人の搬送なども終わったようす。
こちらはチラッと見ただけでまっすぐマンションへ戻る。


ポストを覗くと、書籍の入った封筒が届いていた。部屋に戻ってみると、昨年亡くなった歌人・河野裕子さんの夫・永田和宏さんからであった。

家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日
河野裕子 永田和宏 その家族
産経新聞出版


さっそく買い物荷物を片付けてから、拝読する。
「家族の歌―河野裕子の死を見つめた344日」という題、四六判の小さな本。著者は河野さん・永田さんご夫婦と「その家族」となっている。
河野裕子さんは、やまだ紫ファンならご存知のように、やまだの代表作である「しんきらり」のタイトルに使わせていただいた、元の短歌を書かれた方だ。何度か書いているけれども、もちろんやまだは当時河野さんの歌…
「しんきらりと 鬼は見たりし 菜の花の 間(あわひ)に蒼き人間の耳」(歌集「燦」より))
から「しんきらり」という語感を自分の作品タイトルに使わせていただきたいとお願いをし、快諾をいただいた。それから版や版元が変わるたびにその旨ご連絡をし、やまだの没後の復刊にあたってももちろん、お許しをいただいている。
やまだは河野さんの歌が好きで、河野さんもやまだを評価して下さっていた。二人は書簡を送り合うことはあったが、生前は東京と京都、こちらが京都へ越してからは河野さんがご病気ということも聞いており、ついぞ対面することはなかった。(河野裕子さんの訃報を知る

「家族の歌」は、河野さんが生前からご家族で読まれた歌とその情景が、綴られている。ご主人である永田さんはもちろん、お子さんたち…淳さん、紅さんも歌人であり、淳さんのご夫人も歌人という、まさに「歌人家族」の記録だ。
歌とそのときの情景を綴ったエッセイが組になった63編は、とても重い。
歌人が歌を遺す、歌集の場合は純粋にその「ことば」を、文字通りそれらの行間を楽しむ。余韻というか、空気というか、「間(ま)」も含めて味わう。
だがこれらはその歌に、短いエッセイが付加されている。といっても、癌と闘う妻・母を家族みんなが悲しみ、助け合い、見送る…というようないかにもな構成や演出があるわけではなく、それぞれの歌は「短歌」という一つの表現・作品として屹立していて、エッセイも抑制の効いた、淡々としたものだ(生前に産経新聞でリレーエッセイのかたちで連載されていた)。
穏やかに、思い出や家族の何気ない情景や言葉を反芻したり、再確認したり。
「この歌はこういう状況の中、こういう思いで詠んだものです」という野暮なものではなく、歌を楽しんだあとに歌集で我々が感じる余韻そのもののように、静かに歌に寄り添うかのような穏やかな文章。河野さんを囲んで、家族が5人で静かに家族の時間を共有している、といったらいいだろうか。

振り返ってみて、自分が親兄弟と過ごしたよりも長い時間を一緒に暮らしてきた、最愛のひとを失う。その言葉では表せないほどの大きな、巨大な喪失感、虚無感、悲しみや怒りなどさまざまな感情が混沌とした感じ、半身が引き裂かれいまだにその傷が癒えない感じを、俺はどう乗り越えたか。
ここで書いてきたように、自分を俯瞰し「記録する」ことで、何とか正気を保っていた。
俺の場合はやまだ紫の全著作を何度も何度も読み返し、日記の文字をたぐり、原画原稿を全て整理し直し、代表作を何とかして次代へ繋げられないかと思った。自分を常に何か考え動かしていないと、正直発狂しそうだった。
傍で一緒に見守り、助け合う人が居て欲しくなかったと言えばウソになるが、京都へ夫婦で越してきたのは我々夫婦の決断だ。実際誰にも相談しないで二人で決めたことだったから、そのことで泣き言は言いたくなかったし、言うつもりは今もない。

河野さんご家族は、愛するひと、妻、母という大きな存在を失う人生最大の不幸を、この本のように穏やかに静かに見つめ「共有」することで癒しあえたということは、誤解をおそれずに言えば、幸福であったと言えるかも知れない。歌という共通の表現でつながった絆、作品はずっと残る。絆も残っていく。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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