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2011-03-15(Tue)

診察日

3月15日(火)

血液内科と呼吸器内科のダブル診察日。
朝は病院に備えて早くに起き過ぎたので、とりあえず紅茶を飲む。何か食べると即座に下るので、ゆっくり茶を飲んで、あとは何も食べずに8時半過ぎに出た。今日も暖かい。マフラーは要らなかったかも知れない、と思いつつ病院へ向かう。
病院は空いていた。
いつもなら8時半の受け付け開始を待たずに、外来棟吹き抜けの受付前の椅子はけっこうな数の患者で埋まっている。9時前というとまだ再来受付機の前にも行列がある時間なのに、それもない。受付し端末を受け取ってすぐ2階の採血受付へ行くが、ここも5、6人の列ですぐに進んだ。番号は209ながら、掲示板は170あたりで、進行も早そう。
結果9時前には試験管3本の採血を終え、右手の採血部を抑えつつ1階のX線受付に向かう。
受付を終えて待合の椅子に座り、数人の患者と一緒にテレビを見る。いつもより若干患者が少ない分、画面に映し出される東北地方の惨状とは対照的に、静かで平穏な空気。5分ほどで呼ばれて胸部レントゲン撮影も終了、まだ9時半にもなっていない。

今日は呼吸器内科が10時半ころ、血液内科は11時半ころの予約。「ころ」というのはおかしいが、予約時間にきっちり呼ばれることはほぼ皆無なので、そんな感じでいた方がいい。
2階の回廊、呼吸器内科外待合のアナウンスが聞こえる位置の椅子に座り、正面の大画面液晶テレビを見下ろす。しかし音声が聞こえないので、携帯を出してワンセグを映してイヤホンで音声を効く。手元の小さな画面よりも、1階にある大画面テレビの方が大きい。
懸念の福島第一原発は停止していた4号基の使用済み燃料棒から火災が発生したという。一難去らずにまた次から次へと…。どうにかならないものかと画面に釘付けになっていると、10時半を待たずに呼び出しアナウンスが聞こえたので、慌てて診察室へ小走りで向かう。

I先生は採決結果をプリントして下さり、大きな変化はない、肝臓の数値だけちょっと上がってますが、まあ気にならない程度です、とのこと。肝臓…すいません俺が悪いんです病気のせいじゃなくてビールのせい。
レントゲン写真も見せていただくが、右肺上部の丸い影、肺炎野郎が巣くっていた部分は若干薄くなっていて、その他の部分も良好ということだった。
「ああいうのは消えて無くなるということはないんでしょうね」と聞くと、
「そうですね…。例えば手や足を怪我するでしょう、その部分が治っても傷というか痕が残る場合がありますよね、それと同じです」とのこと。なるほど。
俺の場合どう考えても生体の修復能力が低下している。何しろ「生きてるだけで精いっぱい」の体だ。
呼吸音を聞いていただくので着物を上げて胸を出すが、その際に腹部の手術痕が紫色の帯になっているのを、俺が「こういう手術跡も普通の人より強く残ってますから…」と言うと「そうですねえ、でもこういう『治り方』もあるんですよ」と言われる。呼吸音も問題なかった。
そういえば、肺の手術で呼吸器外科の4人部屋に居た時、向かいに入ってきた末期癌のおじいちゃんの手術痕を見せてもらったことがある。それはそれはとても綺麗で、左の肩胛骨下あたりから脇へかけて、細い線をすうっとカーブを描くように引いたような感じだった。おじいちゃんの手術は数年前とのことだったが、本当に綺麗だった。俺の方が遥かに若いのに、こっちの手術痕は幅7mmほど、紫色に盛りあがってざっくりと残っている。

次回診察日は6週間後だと連休の週にかかり混雑するのでと、4月19日にしていただいた。薬の処方箋と肺の薬吸入の手配書を貰い、お礼を言って診察室を出る。
そのまま処置室へ行き、吸入の旨お願いして、廊下の椅子で待つ。5分ほどですぐ、何となく顔見知り的な感じになった年配の看護婦さんが呼んでくれた。いつもは吸入薬剤が届くまで15分くらい待つのだが、たまたま在庫があったのか。
吸入器につないで口にくわえる部分とホース、薬剤の入ったドーム状の部品を吸入器にセットしてもらい、電話ボックスみたいないつもの「個室」に入る。看護婦さんは「ええと、もう…」と笑顔で言うので「はい、よく知ってます。コツも覚えてますから」とドーム部分を振る真似をすると、「ああ、そうですよね」と笑われた。やっぱり何となく常連さんだと覚えてくれているようす。
しかし、この吸入は拷問に近い。慣れたとはいえ、肺の中に苦い薬交じりの蒸気を入れていくと、どうにも途中から吐き気や咳き込みで苦しくなる。よだれも出るし痰も出る。もう身も蓋もない世界。
ただ免疫低下の患者にとっては命に関わる肺炎野郎を叩いておくために、これは必要なことなので、ただひたすらにタイマーが「0」になるのを涙目で待つしかない。「俺、シュノーケルだのアクアラングとか絶対ダメだよな」とか余計なことを考えつつ。
吸入を終えて看護婦さんに挨拶をし、同じ2階の血液内科外待合へ移動。再び回廊の吹き抜けに向けてあるベンチに座る。こちらからだと液晶テレビの画面はかなり斜め横から見る格好になるので、再びワンセグを取り出して、イヤホンで聞きつつ画面も手元で見る。
11時から菅総理の会見、その後枝野官房長官の会見、福島の原発が依然危機的な状況にあることや、停電に関する報告と質疑応答があった。この人は総理に比べ、国民やメディアへの説明の役目を果たしており、日増しに疲れていくように見える。
NHKがスタジオでの解説へ移ったあたりで、携帯の充電が切れた。ワンセグを使うと本当に持たない。血液内科の予約時間は11時半だからちょうどいいと思うことにして、音声が聞き取れない病院の大画面テレビに目を映す。
ところがここからの待ち時間が長かった。30分くらいはいつもの通り、1時間してようやく端末が「病院内でお待ち下さい」から「外待合で」になった。ここからは早いだろうと思ったら、結局診察室へ呼ばれたのは1時近くだった。

N先生は「お待たせして申し訳ありません〜」と恐縮して頭を下げられるが、仕方ない。先生とて遊んでたわけじゃなく、丁寧に患者の応対をしていた結果なのは、話していれば解る。
採血の結果は呼吸器でも見せていただいたが、改めて「血小板がちょっと今回は低かったですが、あとはいつもと変わらず…」とのこと。こちらが「低値安定ですね」と言うと「そうですね」と。PLT(血小板数)は65000とかなり低い。よく採血跡が塞がってくれたものだ。

それと、今回はT細胞性の血液腫瘍患者の状態を見るのに使う腫瘍マーカーも調べていただいたそうで、それは「可溶性IL-2レセプター」という初めて耳にするもの。
「今日の分はちょっとまだ間に合わなかったんですが、ここ数回の数値は悪くはなってませんね」という。
2008年1月が1450、2009年11月が1990、2010年6月が1700。
それが2010年11月791、今年に入って1月770、2月892。(単位はU/ml)
「腫瘍マーカーということは、この数値は高いと良くないんですよね」と伺うと、
「そうですね、もちろんまだ高いことは高いんですが、正常値(145-519)に比べれば、最近の数値は飛び抜けて悪いわけではありません。T(細胞性)の患者さんだと、これが4000、5000と上がる場合もあるので…」とのこと。
今日の分が気になるのだが、N先生は「この間の採血の結果、推移から大きな変化はないでしょう」というお話だった。

N先生は「今後も感染には十分注意していただいて、この状態を維持できればいいと思うんです」とのこと。
「何か生活面でお辛い部分とかありますか?」と聞かれたので、「いえ、もう慣れたといいますか、幸い外出せずに済む仕事ですし、満員電車や映画館とか、乾燥・閉鎖空間・不特定多数、という場面は極力避けるのが習慣になってしまったので…」と話す。
先生はうんうん、と頷きつつ「そうですね、そうやって行かれるといいと思うんです。特に冬は怖いですからね」と言われるので、こちらも「冬はどうも調子が悪いというか、気温が低いこともあるし、どうしても季節的に気分も沈みがちになりますから」と話す。

で、「もう今年の7月で判明してから丸6年になるんですが、自分の病気の場合、今後はやっぱり厳しくなるというか…」と伺ってみる。
N先生は「でも白取さんの場合はいわゆる白血病ともちょっと違っていて、悪性リンパ腫との境界タイプと言いますか…」と言われるので、「とても珍しいタイプだと言われました」と話す。
「そうなんです。ですので、この先ご病気が動くようなことがあれば、抗癌剤を使うなどの対応を考えることになりますが、(はっきりとタイプが決まっているわけではないので)ご年齢も考えると、(骨髄)移植も考えられた方がいいと思うんですよね」とのこと。

こちらは「そうですね」と応えつつ、やはりこれまで自分が理解していた通りの内容だったことで、納得した。うん、とても珍しいタイプで、T細胞性でリンパ性であることは間違いない。で、病気の進行は遅く慢性と言えるだろう。なのでT-CLLというのが一番近い「病名」なのだろう、先生方も便宜上診断をつけねばならないのでそうしているのだろう、と理解していた。実際東京にいる時の主治医だったU先生も、今日のN先生とほぼ同様の説明をして下さったことがある。

とにかく血液腫瘍、がんであることは間違いない。タイプが特定できないので、効果的な薬剤も、ない(似たような症状に使う薬を多剤併用するのだろう、きっと)。
だから、抗癌剤治療や、これだけ免疫が低下している上に過酷な移植治療を受けるのは、たぶん、無理だと自分で思う。医師側は絶対にそうは言わないし言えないと思う。わずかでも可能性があればやるべきだという先生もいるだろうし、その方が多いのかも知れない、それは解らないけれども。東京にいた時には、別のS先生から「白取さんの場合、今の段階でもう治療に入りましょう、と判断される先生もおられると思います」とはっきり仰っていた。

癌と闘うか、共存するか。

ギャンブルのような苛烈な治療をするか、無治療で出来るだけ平穏に普通の生活をするか。
当時、夫婦で話し合った結果「感染に気を付けていけば普通に近い暮らしが出来るのならそうしよう」と思ったし、それを告げる前に先生方も「病気が動いていない段階で強い治療は好ましくない」と判断された。
話し合った連れあいはもうこの世になく、病院も先生方も東京から京都へ移ったので変わってしまったが、結局、今も俺の病状は変わっていないということだ。これを素直に噛みしめ、だいじに生きろということなのだろう。

先生にお礼を言って診察室を出て、そのまま会計へ向かう。
自動精算機、カード支払機の並ぶ前のベンチに腰を下ろすと、傍らに背の高い白人女性がおり、恐らく夫がわの両親であろう日本人老夫婦が赤ん坊をあやしている。
2階のベンチで長く診察を待っていた時、ぼーっと階下の受付広場を行き交う人を眺めていたが、その綺麗なプラチナに輝く髪の女性はとても目立っていて、印象深かった。最初見かけた時は一人で自動受付機で受付をしていて、二度目は移動中、三度目はベビーカーを押した老人と一緒だった。四度目の今回はすぐ間近で、老人の妻らしい人が赤ん坊を抱いているので、四人連れだと初めて解った。
白人女性は俺と入れ違いですぐにクレジットカード支払機へ立ったが、老夫婦は孫(?)をあやすのに必死である。ばあちゃんが満面の笑みで赤ん坊を抱いてあやし、爺ちゃんも負けるものかと言わんばかりの破顔でデジカメを構え、パシャパシャ写真を撮っている。二人とも相好崩しすぎだろう、というくらいの溺愛ぶり。賑やかなじじばばに比べ赤ん坊は泣きもせず、ただじっとなされるがままである。髪は柔らかそうな栗色をしていた。
その間に件の白人女性はカード支払機の前で何やらエラーが出ているらしく、立ち往生している。後ろにおっちゃんが一人機械待ちで並んでいるのだが、相手が外人なので何と話しかけていいやら、という風情である。
何度目かにカードがエラーで戻ってきたあと、白人女性は困惑した表情でこちらを振り返り、じじばばに助けを求める身振りをするが、赤ん坊に夢中の二人は全く眼中にない。おいおい、赤ん坊が大事なのは解るけど青い眼の「お嫁さん」も大事にしてあげてよ。
溜まらず俺がベンチの背をポンポン、と叩いて「呼んでますよ」と言うと、じいちゃん声もあげずに驚いたように俺を見て、それから白人女性(嫁さん?)の方を見て、無言ですっとんでいった。ばあちゃんの方は「すみません」でもなく、ぽかんとした後、何事もなかったかのように赤ん坊に再びデレデレの笑顔を向けている。何だかなあ。
そのうち俺の呼び出し端末も会計準備が出来た旨を震えて知らせ、金額を表示したので立ち上がる。
ついでにじいちゃん行ったはいいが、全く解決していないようなので俺が後ろから覗き込むと、カード支払機2台の間に張り紙がしてあって、「震災の影響で一部のカードはデータセンターを置いてある場所との通信がうまくいかず、エラーになる場合がある」というようなことが書いてあった。
なので日本語で「何やろなあ」「何でいかへんにゃろ」と首を傾げるじいちゃんと、さっきからそういえばひと言も発していない白人のお嫁さんに「あの、これと違いますか」と張り紙を指さす。
じいちゃん「アッ! これやー…」と俺の顔と張り紙を交互に眺め、「そしたら、こっちの機械でやったらええんやね」と頓珍漢なことを言い(もう一台も、同じ機械)、俺は「え、いやそうじゃなくて」、お嫁さんは張り紙が読めないらしく相変わらず困惑顔…というあたりで別の人が「窓口空いてますよ」と指さして、お嫁さんをカウンタに連れてってくれた。
最後まで、じいちゃんばあちゃんから「おおきに」は無かった。普段は日本人の息子が間に入るのだろうが、息子のいない間はどういう日常なんだろうと想像すると妙におかしい。
こんな感じで、大画面にずっと震災、原発、停電…が映し出されているの映像とは全く違う空気だった。これも、同じ日本国内。

会計を終え、病院南にある調剤薬局に処方箋を出し、待ち、ドライアイ用の目薬をついでに買い、熊野神社にお参りをし、スーパーで買い物をし、荷物をいったんおろしてからコンビニで足りないものを買い足し、郵便物を取り、部屋に戻ったら2時半だった。
もう何だか色々と疲れた。
(被災地で救援活動をする人らをみると、こんなことで疲弊してどうすると思うが、病人である自分がそう思うこと自体「無理をしている」のだな、と思う)
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コメント

ありがとうございます

自分は「ガロ」の元副編集長、で「ガロ」編集長は長井勝一さんでした。
それにしても北海道ご出身、京都におられた、「ガロ」や好きな作家が一緒というのはご縁を感じますね。
近年、好きだった作家さんが鬼籍に入られることも多く、寂しいです。もちろん、連れ合いも含めて。

突然おじゃまします~。

「村野守美さん亡くなる」で初めてブログを拝見しました。山田紫さんのお連れ合いでガロ編集長。私の人生が影響を受けたお名前ばかりです。山田紫さんの漫画、好きでした。ご冥福をお祈りいたします。函館出身ですか。私は知床の斜里です。今は中国の南昌暮らしですが。
京都にも8年住んでいました。嬉しくなって、ついおじゃましました。これからも時々おじゃまします。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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