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2011-05-29(Sun)

「楽器!」

5月29日(日)

今日はお世話になっている「明青」さんに、ノートパソコンの乗り換えなどの作業をしに行く予定だった。
本当は先月には伺っている予定だったのだけど、猫のシマが急に容態が悪くなり、半月ほどで逝ってしまった。悲しみはあれど、実は「最後までみてやった」という充足感のようなものはあったから、メソメソするより「しんみり」した。
何しろ13年も一緒に暮らしたのだから、本当に心から「家族」を失ったという喪失感が大きい。けれどもほとんど苦しむこともなく、ちょっとずつ弱っていき、最後は俺に撫でられながら逝った。悲しみよりもたくさんの思い出と幸福をくれた「感謝」の方が大きかった。
そう、連れ合いを失って一年経ってようやく達したあの境地に近い。

このところユキが人の寝ているベッドの足元でまた寝るようになったので、こちらとしてはどうも意識して眠りが浅くなる。猫を知らない人は蹴飛ばして寝ろ、と思うだろうが、そうはいかないのが猫の奴隷である。
朝は5時頃から薄く、それでも9時過ぎまでうだうだとベッドに居た。
昼前に風呂から上がって体を拭いていると、電話。
慌てて走って子機を取ると、「明青」のおかあさんからだった。
「今日はこれから台風が来るし、今も雨が凄いから、別な日にした方がええよ」ということ。こちらは伺う気満々でいたのだが、よく考えたら環境移転のテンポラリにノートPCやらポータブルHDDやらの機材もあるので、結局来週に延ばすことになった。

さてぽっかりと予定が空いた。
昨日まで、仕事のアレコレがトラブってアレコレ(笑)していて、とにかく週の初めから結局ずっとばたばたしていた。昨日で一段落と思ったら、今日も断続的にトラブルと後処理がズルズル。結局それらの対応、連絡などに追われる。まあこれはしょうがない。

夕方までそんな感じだったが、夜になって落ち着いたので、冷蔵庫にあったニラと豚肉を炒める。ツイッターで炒め物ばかり食ってるような印象を与えたせいか知人にメールやらブログの非公開コメやらで「野菜もちゃんと」とか「バランスを考えて」とか言われる。すんません。いつも心配かけて本当に。
とか言いつつニラと豚肉を豆板醤・中華だしなどと揚げニンニクでまとめたら、ご飯のおかずというより完全に酒のアテ。トラブルは落ち着いたがビールが切れているので、缶入りのチューハイで一杯。

その後NHK教育、ETV特集で細野晴臣の特集を見る。
先だって放送された坂本龍一の「スコラ 音楽の学校」(実に面白かった)と収録が時期的に同時進行していたのだろう、YMOの面々も出演していた。
「はっぴいえんど」はちょい兄貴の世代でYMOはど真ん中でLPを買い行けないライブ中継をFM「エアチェック」した世代。そしてどちらも後にバンドをやるようになる自分にとっては、とても肥やしになったたくさんの音楽の一つで、このトシになってそれらのどれにも、やはり「感謝」している。

バンドといえば、昨晩さいたまに済むゆうちゃん(やまだ紫の次女)の長女Mから電話があって、長電話になった。ちょくちょく「元気?」「元気だよ」程度のやりとりはあったが、ここ一、二年クラスメイトの父親から友達と一緒にアコースティックギターを習い始めていて、それがけっこう長く続いている。
最近はバンドに興味を持ちはじめ、俺が昔バンドをやっていたという話を母親(であるゆうちゃん)から聞いて、楽器や音楽の話をたくさんした。
ご多分に漏れずアニメ「けいおん!」も好きだと言っていた。Mの友達もはまってる子が多いという。あんなものは萌えアニメ、オタクだけのもの…という「誹り」(分析?)はとりあえず、自分も業界の端っこに居るし「一般市民」の声も聞く限りは、当たっていないと思う。そんな程度のものならあそこまでメガヒットにはならないだろう。
ところでMはアコギからエレキに興味を持ち、友達と「バンドを組もう」という話になり、リズム系…ドラムをやりたいと思ったという。こっちが昔ドラムをやっていて、元々ギターとベースもやっていたというと「凄い凄い!」と純粋に感動してくれる。そういえば昔、自分が楽器を始めたころ、楽器が出来る人をそうやって「凄い!」「神」(笑)と思っていた。まあ今でもうまい人をそう思うが。

もう15年ほど前、つまり白血病と判明するよりも8,9年前の専門学校の講師時代、教え子に「先生もみじのような赤い手をしてますね」と言われたことがある。たぶん、自分の患っている病気が徐々にからだを蝕んでいたのだろう、がん告知をされる数年前から手足の皮膚が異常に薄くなっていた。
当時何かで病院へ行ったとき、医師に聞いてみたところ「主婦湿疹じゃないのか」「皮膚病?」「体質」とか色々言われ、結局決め手も診断も無かった。
楽器はドラムはさすがに団地やマンションでドカドカ叩くわけにはいかず、静音の電子ドラムはおもちゃのようなものかバカ高いものしかなかった。なので高校時代から続けていたギターとベースをずっと趣味で弾いていた。
タブ譜と耳コピーだけで、「BURN」をソロも含めて完コピしたりしていたが、団地で暮らすようになってからはミキサーやアンプにヘッドホンをつなぎ、淡々と楽譜を見ながら弾くようになった。
「ガロ」時代はよくY田部先輩と楽器を弾いて遊び、ツァイト時代は今も交流のある友人Fさんと宴会の時にアコギとアコベーで騒いだりした(甲斐バンドの「安奈」とかやったと思う笑)。
連れ合いに内緒でローンを組んで、お茶の水の楽器店でフェンダージャパンのストラト(チューニングロック付ので中古で8万だったか)を買ってバレて怒られたり、その数年後には別の店でオベーションのアコベーをやはりローンで買って(7万円だった)会社に置いといたらバレて怒られたりした。子供か。
それらの楽器は、京都に引っ越す際にガラクタ扱いで「処分」してもらった。
手の皮が病気と関係あるのかどうかは不明ながら、巻弦はおろかエレキギターの細い弦でも「指がすぱあ!」になりそうだったし、まあ白血病と言われてからはそう長く生きられないようだったので、もういいや、と諦めた。

諦めたものはたくさんある。
高校時代にバンド仲間や友人たちと今風に言えば「シェア」してダビングし合っていた数百本のカセットテープやVHSの類、しかるべきところでちゃんと査定して貰えばけっこうな金額になったであろう三百枚以上のLPとか、とにかく身軽になりたいというのでほとんど「廃棄物」扱いで処分した。その気は無かったのに、それらに紛れて計算外に「処分」してしまった貴重な書籍もたくさんある。
ドラムスティックだけは高校時代から使っていた2組が残っていたはずなのに、結局それも捨てたというか、ゴミに紛れたというか、結果的にゴミになったというか、とにかく無くなってしまった。
ドラムスティックは始めてから一度も折ったことがなく、最初に函館駅前の玉光堂で買った細いスティックはその後高校の学園祭ライブで3バンドをかけもちしたし、上京してしばらく続けていたバンドで使ったコージー・パウエルみたいな太い奴も、ずっと残っていたのだが、消えて無くなってしまった。
今になって、これは病気のせいだが左腕・特に中指より外側の指が麻痺してきて、もうコードは抑えられないと思うし、得意だった早弾きも無理ぽい。
こうなってから音楽を聴くと無性に「ああ、楽器弾きたいなあ」と思う。
ドラムならまだ行けるかも知れない。買ってみて左手がダメだったらMにあげればいいや、と思って検索してみたら、まともなものはやっぱり凄く高い。それでもスティックくらいは持っておこう。昔は練習するのを人に見られるのがイヤだった(要するに努力の課程を見られるのが恥ずかしい厨二病)ので、一人で部屋でクッションや雑誌束をとにかく叩きまくっていた。あれを思い出してまたやってみるか。人間諦めたらそれでお仕舞い。「生きること」もそうだろう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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