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2011-09-20(Tue)

デキモノ

9月20日(火)

京大病院、血液内科と呼吸器内科受診の日。

朝はまず、一昨日「決壊」した右首、アゴの下あたりの出来物のガーゼ交換などの処置。一ヶ月ほど前にポコッと5mm大くらいのしこりが皮下に出来て、よくある脂肪の塊でしばらくすると吸収されるか、ニュルッと出せば終わりと思っていたが、半月ほど前から大きくなってきた。
こうなるともう「ニュルッと出す」どころではなく、病院へ行けばメスで切開レベル。(実際、京都に来てから一度連れ合いの背中に出来た脂肪の塊が2cmほどになり、近所の外科で切った)

若い頃からにきび体質だった。しかし「にきび」などという生やさしいものは十代で終わり、二十代の頃は首周りによく「嚢胞」が出来て腫れ、朝起きると決壊して枕が血膿まみれということが日常であった。当時の俺を知る人は「そういえばいっつもどこかに絆創膏やらガーゼ貼ったりしてたな」と思い出すであろう。
その頃はもう連れ合い…やまだと一緒だったので、彼女はいつもどこかしらに出来た俺の傷の手当てをしてくれていた。小松左京の「件の母」みたいだな、と話したのを憶えている。

デキモノは最初は皮下に脂肪の塊みたいなコロコロが出来て、次第に大きくなっていき、やがて1cmを超える頃には強烈な痛みを伴うようになる。
その状態が一週間ほど続き、極限まで大きくなると、噴火寸前の火口のごとく、デキモノの「山頂」が柔らかくなり、薄い皮膚一枚下には血膿というマグマが溜まっているのが判るようになり、その頃には痛みも収まってくる。
この「腫れが絶頂にあるのに痛みが収まる」という頃合いが「決壊」「噴火」「破裂」の前兆である事は、無数の経験から自分でよく判っているので、そういう日には寝ている間に爆発してもいいように、風呂上がりに連れ合いに頼んでガーゼを厚めに充てて包帯を巻いたりしてから寝たものだ。
そういう因果な体質も三十代半ばまでには終息に向かい、四十代に入ると年に数回という程度になった。
白血病の告知を受けてからは、ほとんど出来ていないと思う。

まあ、そんな因果なデキモノがここに来てまさかの再発というわけだが、ここ一週間ほどは痛みで首が回らないほどで、一昨日決壊してからはガーゼ交換のたびに悲鳴をあげるという感じ。病院行けよ、と簡単に言う人もいるだろうが、これと三十余年付き合ってきたんだから、扱いはよく知っている。
青林堂に居た頃、まだ二十代半ばだったか、右耳の裏っかわが腫れたことがあった。その時の激痛はハンパではなく、皮下といっても耳たぶ自体厚いものではないから、そこが膿んで腫れること自体に無理がある。
たまらずお茶の水にある日大病院へ行ったら、美人の若い女医さん(と、記憶がもう固定されているだけかも)に「ああ、これは膿を出さないと…」と言われて、切開されてカテーテルを突っ込まれ、ガボガボズルズルと吸引されたこともある。もちろん麻酔などない。
「場所が場所なので麻酔出来ないんですよ」と笑顔で言われたが、本当かどうかは知らない。とにかく生涯でも当時一・二を争う激痛で悲鳴をあげ、ふだんあまりそういう悲鳴が響かないと思われる耳鼻科の待合に戻ると、そこら辺の患者が全員凍り付いたような恐怖の表情で俺を見ていた。

また別の時は、出来たのが後頭部というか盆の窪あたりだったので、「切開にはデリケートな場所だから入院して麻酔でやりましょう」と言われたこともある。当時の「ガロ」編集部=力仕事6営業2編集2、という状況。入院は残りの社員に負担をかける事に直結し、とても出来る状態じゃなかった。なので適当な事を言って結局家で我慢→腫れの極限→決壊→ガーゼ交換という処置コースを辿った。以後結局ずっとそうしてきた。

今回は久しぶりに出来たコレ、決壊したのに膿が出ず、固いしこりのようなものがある。これは強引にひねり出すと痛みで死んでしまうと思われるので(笑)、とにかく消毒とガーゼ交換だけは欠かさず一日二回やっていた。

外に出ると風はないがけっこうな雨。空も薄暗い。いつもなら道路を渡ればものの1分でつかまるタクシーも、天気のせいかなかなか来ない。それでも5分ほどで乗れたんだから、すっかり京都のタクシー事情に慣れてしまったようだ。

病院へは8時40分頃着いたが、いつもながら中央ロビーの再来受付機の前には長蛇の列。
採血、胸部レントゲンを済ませると9時20分頃だったか、その後はこれまたいつも通り2階回廊のソファで診察待ち。携帯でREOスピードワゴン(懐かしい)を聞いていたが、頃合いを見てやめる。耳はあけておかないと、アナウンスが聞こえない。

そんなこんなで10時すぎ、呼吸器のI先生にアナウンスで呼ばれ、診察室へ。
俺の首を見て「どうされました?」と聞かれるので事情を説明すると、電子カルテに記入しつつ、事情は解ったけれども、今の俺の状態は「抗癌剤投与による免疫抑制に近いレベル」なので、万が一、血液から雑菌が内臓へまわったり、あるいはMRSAなどにでも感染したら命に関わるので…とやんわりと注意されてしまった。
何かちょっとした事でも自己解決せず病院へ…という状態を、ついつい忘れてしまう。このデキモノにしても、もう二十代の頃のような「処置」というか対応では、俺の体はもういかんのだなあ…と反省。

採血の結果は大きな変化はなく相変わらず「低値安定」、つまり好中球数も少ないし、T細胞性なので特に免疫の要的な部分が弱いことにも変わりはないのだ。
その他、CRPが0.3と若干高かったが、これは恐らくその雑菌感染による炎症のせいでしょう、という事。まずはいつもの肺炎防止の薬を吸引して、終わったら一回声をかけてください、という事になった。

診察室を出て処置室へ廻ると10時半近かったか、待合というか廊下の椅子は全て埋まっていた。そのほとんどが老人で、特に病気という雰囲気でもないお年寄りばかり。おかしいな、と思って診察室を見ると、以前と変わって「脳神経外科」の診察室ではなく「老年科」とプレートに書いてあった。
吸引をお願いして外で待てと言われたが、椅子もないので十分ほど立ってから「あのう、ちょっと座らせてもらってもいいですか」と受付に聞くと、「ちょうど用意が出来ました」というところでホッとした。
体力的に立っているのがしんどいというほど弱っているわけではないが、マスク無しで咳き込んでいるお年寄りが凄く多いので、一応こちらはマスクしているものの、用心のため。
看護婦さんは俺を案内しながら、こちらが何も言ってないのに「廊下はね、免疫弱ってる方には危険ですからね、せめて咳している人はマスクしてくれはるといいんですけど」という。「ほんまですねえ」と答えると「張り紙もしてるんですけどねえ、そういう注意書きを読まはる方ばっかりやないですし…」と苦笑される。
マスクをしていると息苦しいという人もいるが、まあそれは性質上仕方ない。それより俺の場合は暑がりのせいもあって、暑苦しい方が往生する。それでも怖いので病院ではするけれど、夏場はきつい。普通の人は免疫がどうしたとか普段あまり考えもしないだろうから、クソ暑いのにマスクなど頭をかすめもしないと思う。

吸入器による薬剤吸引、今日は吐き気とヨダレ地獄をひたすら音楽を聴きつつ耐え、11時すぎに終了。看護婦さんがI先生に電話してくれ、処置室の受付に戻る。するとI先生が自ら来てくれて、「やっぱりね、何の菌が一応調べた方がいいと思うんですよ」との事。I先生は「来週出張で僕はおりませんが、もし万が一、たちの悪い菌が発見された場合はすぐ連絡して対応するようにさせますから」とのこと。大ごとだこりゃ。

「なので、剥がしますね」と言われ、朝取っ替えてきたガーゼを剥がされた。傷がくっつかないように軟膏を塗ってあったが、テープを剥がす時に当然皮膚とデキモノも引っ張るので、それが痛い。
「イデデデ」と思わず大声が出ると、処置室にいた看護婦さんたちが一斉にこちらを見た。
I先生が「あーこりゃ思ったよりひどいな」と言いつつ何のためらいも遠慮会釈も予告も通告もなく、傷をギュッとつまんだ。その瞬間、金属バットで頭を殴られたような、いや違う、包丁でブスッと刺されたような、いやどっちもやられた事はないからよく判らないが、とにかくすさまじい激痛で先ほどよりも数段大きい「ぎゃああああ」という悲鳴が出た。

I先生は「ああ〜、出ますね」と事もなげに言いつつ看護婦に「ガーゼ持ってきて、多めに。あとイソジンと…、それと培養のやつ」とてきぱきと指示をし、再び「じゃあちょっと痛いですけど…」とデキモノをギュウッとつまむ。
傍らの看護婦さんが思わず眉をひそめて「ああああ…」と言う。俺は「うがががあ」とか言いつつ、丸椅子に腰掛けたままで傘を杖のように片手で強く握ったまま。

デキモノの先端部分を大きな綿棒のようなスティックでさらい、それを培養用の試験管に突っ込んで、終わりかと思ったら「これは出さないとあかんな…」と言いつつ再び絞る。悲鳴、激痛。
看護婦さんが「痛い…ですよね…」としかめ面で言うので「はい…痛いです…」と答える。「でも若い頃はこういう感じで女房にやってもらってたんですよ、もう亡くなりましたけど」と言うと、I先生が「じゃあ僕を女房と思ってください」と言いながら、体が逃げないように片手で俺の頭を抑え、またデキモノを絞る。
悲鳴、激痛。「女房はもっと優しかったです…」と言うと笑われた。
先生は「でもこれは自分じゃ踏ん切りつかへんよね…」とニヤニヤしている。鬼や。この病院には鬼がおるで!
しかし確かに誰かに容赦なくこうして絞って貰わないと、膿は出し切れない。もっとも連れ合いの場合はこちらが悲鳴をあげると「ああ、ごめんね、ごめんね」とか言ってすぐやめてくれたっけ。

とにかく子泣き爺いよろしく杖のように傘を握りしめ、腰をかけたまま固まって痛みに耐えていると、別の看護婦が俺の足元にしゃがんで、俺が脇に抱えているバッグから呼び出し端末を取り出して「これ鳴ってますけど、血液内科、予約時間近いからっていう表示ね、止めときますね」と俺に見せてくれた。
さっきからどこかでバイブ音がしていて、さらに呼び出し音も聞こえていたのは知っていたが、自分の携帯はマナーモードだし自分だとは思わなかった。というかそれどころじゃなかったのだが。

そしてまた頭を抑えての膿出しもう一回、激痛と悲鳴。
「…まだ残ってますけど、これくらいにしておきましょう」と言われて、思わず安堵から「あは、あははは」と笑ってしまう。途中入って来て電話を取っていた女医が変態を見るような目で俺をチラ見した。

「じゃあ、後はガーゼ貼って貰って、あともし血液(内科)のN先生の方で何か指示があったら従って下さい」と言いつつ、I先生は去って行った。「…ありがとうございます」と言いつつ傘を握りしめていた手を開くと、黄色くなっていた。
看護婦さんは「交換用のガーゼあります? 一応これね」と言って2枚ほどくれ、さらに「もしね、血液の方終わって血が止まらないようだったらもう一回来てくれれば、交換しますからね」と言ってくれた。御礼と「お騒がせしました」と言って出る。ぐったりした。

血液内科へそのまま移動し、受付に「前の受診終わりました」と伝えて外待合に座ると、11時半近く。
すぐ呼び出し端末が「診察室前へ」となり、診察室前の廊下で十数分待ち、N先生の診察。
事の次第は電子カルテに記載されているので、N先生は「大変だったみたいですねえ」と同情顔。「はあ…たった今膿を絞り出されてきました」と言うと「ああ〜、それはそれは…」とさらにお気の毒に、という表情に。
とにかく今の自分の状態は安定しているとはいえ、免疫力が極めて低下している易感染状態にあり、普通の人と同じように対処してちゃいかんという事を思い知った。

N先生は採血の所見を説明してくれた後で「白取さんの場合は抗生物質を普段から服用されているわけではないですし、大きく腫れる前に飲まれてもいいと思うんですよね、ただMRSAみたいなものだと効きませんが」とのこと。
俺が「例えば、同じようなデキモノが出来てちょっと悪化したな、と思ったら近所の病院などで処方して貰ったりしてもいいんでしょうか(※京大病院だと予約がないと待たされるから)」と聞くと、もちろんそれでもいいという事。
あと次回、通常の採血よりも細かい、白血病に関する詳細な検査をしたいという。「やはり顕微鏡の目視ではなく、例えばリンパ球にしても30%ならそのうちどれくらいが正常か(つまりどれくらい進行しているか)など、調べておいた方がいいと思うんです」というのでもちろんお願いする。「通常の検査よりも割高になってしまうので、そこだけちょっと…」と言われるが、京都に来てからMARK(骨髄穿刺)もやっていないし、一度精緻な検査はして貰った方がこちらも助かります、と話す。
でフと「あの、MARKじゃないんですよね?」と恐る恐る聞くと「違います、通常の採血をして、そこから調べて判りますので」と笑われた。「MARKご希望ですか?」と言われるので「いやいやいやいや」とお断りした。採血で調べられるんならもう、もちろん全然素晴らしくそれの方がいいに決まっている。

そんなこんなで12時ころに会計の列に並び、金額が出るのを待つ間、大ホールの大画面テレビを眺めて待つ。
大阪・黒門市場を香坂みゆきが歩き、うまそうな極上のマグロの刺身に舌鼓を打つのをグビリと喉を鳴らして見る。斜め後ろで「この時間にこの映像はないやろ」とおっさんが話す声と、俺の心の声がシンクロした。

会計を終えて外に出ると雨は小降りになっていた。
買い物はそれほど無いが、習慣で熊野神社をまわってスーパーへ行く。先ほどの映像が頭にあったがそんなまぐろは売っているわけなく(売っていても高かろうし)、昼用に鉄火巻き、あと野菜やらを買う。
それとアイスキャンデー。「メイトーの氷ソーダ」は近所にはどこにも売っていないので、2箱買ってしまった。
タクシーでマンションに戻り、お隣の薬局に処方箋をお願いすると、顔見知りの薬剤師さんが俺の首を見て「どうされたんですか」と仰天。
「これこれで膿を絞られて…」というと、もう一人の女性に「ひえええ〜! 痛そう!」と言われる。痛かったです、とても…。
消毒液とガーゼの補充も一緒にお願いし、いったん荷物を持ってマンションへ戻る。
冷蔵庫&冷凍庫に買ってきたものをしまい、鏡を見ると、ガーゼはピンク色になっていた。出血はすでに止まっていたようだったが、けっこう血が出てたんだな、そら血相変えられるわ…と思いつつはがれかかってるのを止め直して下に戻り、薬を受け取って「すんません、自分で思ってたより出血してたみたいで、変なもの見せちゃって」と言うと「いえいえ、お大事に」と言われる。

部屋に戻って玄関のドアを開けると、ユキが足元に蹲って待っていた。
全部終了したら、1時。鉄火巻きのかけらをちょっとずつユキにも分けて、朝昼兼用。
何だかとても疲れた。
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ゴクリ・・・。

固唾をのんで一気に読み終わり、ふと手元を見ると、こぶしを固く握りしめている自分を発見しました。
(中国南昌から久しぶりにお邪魔いたしました)

検診

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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