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2005-09-12(Mon)

母来たる

9月10日(土)〜12日(月)
10日・土曜日の朝、9時半過ぎに着替えなど支度をして、ナースステーションに挨拶をして外泊許可証を渡して出かける。久々に私服で病院の下まで降りて、そのまま外来出口からバス停へ向かうのは実に変な気持ちだ。発赤羽行きのバスに乗り、これが元気に退院…ならどんなにいいだろうかと考えた。何年ぶりかに母親と息子が顔を合わせるわけだが、それがこんな病気のせいというのが何とも悲しいものだ。バスが発車して赤羽駅西口ロータリーに着くまでは30分少々。その間街の風景を眺めたり、乗り込んでくる客を見たりしていたが、バスに乗ると解って待っていたくせに乗り込んでから小銭を探す奴、マスクもせずにガハンゲホン咳を撒き散らす老人など、外に一歩出れば確かにストレスだらけの世の中だなあと考える。自分を麻痺させ、厚顔かつ無恥な生き方をすることがもし出来れば、ストレスは生じないかも知れない。だがその分誰か心ある人のストレッサーになる。健康な人間でも、一日に数千個の細胞が癌化しているという。普通の人は自分の免疫力でそれらを退治している。だが免疫力が落ちたら、あるいは強いストレスに継続して襲われ、処理能力を超えたら、あるいは様々な要因が複合したら、人は「癌」という「病」に侵される。ストレスのない生活など不可能だ。厚顔無恥にならずとも、笑い飛ばすこと、ストレスを溜めずに発散すること、自己免疫力を高めることが大切なのだが。生きるということはそれ自体が苦行であるという思いをここ数年持っていたが、そのことは確かにストレスを溜めることになっていたのかも知れないと思う。

お袋は昭和9年生まれだから齢七十一である。東京は十数年ぶりか。携帯など持っていないし、空港から赤羽駅への道のりを噛んで含めるがごとく教えはしたが、ちゃんと来られるかどうか不安だった。連れは自宅から直接赤羽駅改札で合流する予定で、その時間まで30分以上あったので、ゆっくりゆっくり歩きながらアーケード街を目指す。もう秋とはいえまだまだ日中の陽射しはギラギラと暑く、マスクをしているのは俺一人くらいなものだ。俺とて暑いから取りたいのだが、今変な風邪でも貰ったら大変なので、我慢して汗を拭きつつ歩く。アーケード街にある100円ショップで入院生活で必要になったものを買い込み、薬局で手指消毒用にアルコールウェットティッシュを買って、ゆっくり駅まで戻る。連れに電話するともう埼京線に乗るところだといういうので、駅まで行き北改札前で待つ。さすがにちょっと動悸がしたので、柱によりかかって待つ。動悸がするのは貧血で酸素を運ぶ血が足りないからだろう。ただそれよりも、三週間以上の入院生活で足腰が萎えているようで、両足の付け根の蝶番が少し痛い。10分ほどで連れが改札出てきて合流。心配したが、さらに10分近く待って、お袋がちゃんと改札から出てきた。

お袋は連れ合いと合流した後、俺が歩み寄っていくと抱きつかんばかりに笑顔を見せながら涙を見せた。俺が迎えに来ているとは思わなかったらしい。もちろんまだ抗癌治療は始まっていないのだから、貧血で免疫力が低下し動悸や息切れがする以外は食欲もあって元気だ。だが向こうにしてみれば突然の息子の癌と余命宣告だから、ここ数週間は食も細くなって何をしても楽しくないという状態だったという。まさか迎えに来るとは思っていなかった、大丈夫なのかいと立て続けに言う。お袋が俺の顔を見て泣くのは生まれて初めてのことだった。とりあえず駅に隣接している予約したホテルに荷物を預かってもらい、2階の中華レストランでご飯を食べる。その後はタクシーで自宅に向かう。
3週間ぶりの我が家だったが、猫たちはもちろん俺に喜んで甘えたものの、それ以上にお袋に甘えまくるので驚いた。ユキはヒザの上でクネクネしたりゴロゴロ言ってだかさっては服を爪でモギモギしたりしている。人嫌いのはずのシマも出てきて、お袋にちゃんと挨拶をした。猫好きはちゃんとわかるのが猫か。その後は落ち着いて、3人でゆっくりと話をする。俺が一歳の時に亡くなった親父の思い出話、親戚の話、お袋の昔のビジネスの話や地元函館の話、俺や兄貴の子供の頃の話から実家に戻った兄貴の近況など、とにかく話は尽きない。これでは俺が死んでしまうことが前提で、お袋は今のうちにと思っているのではないかと思うくらいだ。
夕方、お袋のホテルにチェックインしがてらご飯を食べようと、タクシーで再び赤羽へ向かう。街は土曜の夜なのでざわついている。以前連れと和食を食べた店へエレベータで上がり、掘りごたつの座敷に落ち着く。
俺も連れも一杯やりたかったし、お袋もそれは同じだろう。だがそれはみんなが健康であればの話。俺は癌で一時外泊中。お袋はその息子を案じ、過酷な治療前に元気な顔をと、はるばる会いにきたのだ。乾杯してカラオケでも…という楽しみは治って元気になってからにしようということにして、食事だけにする。単品で旬のさんまの塩焼きがあったので、しばらく食べられないと思いオーダーした。大降りで油ののったさんまの塩焼きは美味で、入院中とはいえ旬のさんまが食べられて嬉しかった。
ご飯の後はホテルにチェックインして、しばらく話してから帰る。ご飯を食べる前に通った東口のロータリーでは翌日の投票日前最後の追い込み、自民党の宣伝カーに舛添要一が来ているというので、物凄い人だかりだったが、ホテルの部屋に上がって窓から見降ろすと、今度は民主党、羽田孜が来ているようす。だが人だかりは自民党の半分以下という感じ。その時に今回は小泉首相の「劇場型」選挙にまんまと大衆がノせられて、たぶん自民党が勝つのだろうと思った。そんなに動いたつもりはなかったのだが、やはり3週間ぶりに外の街を歩き回ったせいか、再び自宅に戻るとちょっと動悸がした。風呂もやめて、10時には床に入る。

日曜日は前の晩久々に寝室で猫たちと一緒に寝たが、結局あまり眠れずに8時過ぎに起床。朝食後はテレビを見てゴロゴロしたり、メールチェックすると仕事の更新データが入っていたので、自宅の速い回線のうちに終えてアップしてしまおうと、作業を始める。お袋のホテルに電話し、1時にホテルで待ち合わせることにして、12時半ころ支度をして、TVの上に横たわっていたユキにも、寝室のダンボールの上に寝ていたシマにも「しばらくまた会えないけどいい子にしてるんだよ」と言い聞かせて出る。久々の帰宅はアッという間に終わり、またしばらく病院暮らしだ。
タクシーで赤羽まで出て、ホテルでお袋と合流。お袋は午前中暇だったので赤羽の街を少し歩いたという。ブックストア談で本も3冊ほど買ったという。そういう荷物はチェックアウトする時に送ってもらって、手ぶらで帰ればいいんだよと言って、1階まで降りる。ガード下の蕎麦屋で食事。赤羽駅は都内最北の繁華街、以前は場末という印象の街だったが、駅舎を建て直し、ガード下に商店街を作って駅周辺の印象もガラリと変わって、活気あるいい街になった。日曜なので人手も多い。食事の後は病室で食べるオヤツを買い込んで、タクシーで病院まで戻った。
俺は久々の外泊で自分の家に戻れて猫も触れたし、お袋にも会えて良かった。けれども、やはり自分は癌であり、これから過酷な抗癌治療が待っている身、免疫力も落ちている。なので病院へ戻ることは寂しいとか逆戻りだとかいう暗い気持ちではなく、むしろホッとする気持ちの方が大きい。ナースステーションにはよく当直になるA嬢がいたので挨拶し、明日お袋が午前中病院に来るので、主治医のS先生にお会いできたらご挨拶したいというと、伝えておいてはくれることになった。病室に戻り、パジャマに着替えると病人に逆戻りだ。お袋には再三、自分は死ぬつもりはないし、絶対に癌を克服して今度はこちらから函館に行くと話す。お袋は俺がまだ癌治療そのものはしていないので元気だということに最初は驚いていたが、その元気なうちにこうして会ってご飯食べたりいろいろ話が出来て良かったと思っていると言う。連れ合いは少々疲れているようなので、今日は先生も来ないし俺も早く寝るからと、二人は4時頃先に帰した。
この日から相撲は秋場所。結びの一番では朝青龍が普天王に完敗、思わず病室で拍手をしてしまう。夕飯も完食し、日記を二日分つけつつ、ナイターを見る。8時で投票が締め切られると同時にナイター中継をしていた日テレの出口調査の数字が一斉に公表されると、自民党が地すべり的圧勝という予想。何と300議席前後まで伸ばすという、嘘だろうと思ってNHKはじめ各局を廻すが同じ。この国は小泉がそんなに好きなのかと驚くと同時に行く末が心配になる。9時消灯、疲れてたのですぐに寝る。

12日月曜日、今朝は夜中に何度も目が覚めて、朝は5時前から悶々。6時過ぎに採血。選挙の結果を見ると昨日の出口調査の通り、自民党が300議席近くを取り、30議席ほどの公明党と合わせて衆議院の3分の2以上の議席を獲得、つまり絶対安定多数以上を得るという結果。これでは今後憲法改正も消費税の値上げも何でもかんでも自公のやりたい放題だ。国民が「それでいいよ」と言ったんだからしょうがない。小泉さんの言う「改革」は間違ってはいないと思う。無駄に多い公務員を減らす、民間に出来ることは民間に任せる。それが結果的には低迷する経済の活性化にもつながる、それなら全く正しいと思う。それが本当に出来れば、あるいは郵政民営化が本当に公務員天国である日本の本当の改革の第一歩になるのなら、応援もやぶさかではない。やれれば、だが。
8時半過ぎに病室にお袋が入ってきた。本当は見舞いは3時以降という決まりなのだが、昨日病院に事情を話して了解は取ってある。またいろいろと話をしていると、11時過ぎにS先生が来てくれたので、お袋は挨拶をして病状と今後の治療の話などもするが、俺らがこれまで説明を受けていたままの話で、それはお袋には俺の口から説明済み。だがお袋にしてみれば、先生の口から聞くのとでは安心感が違うし、先生と一緒に俺が「治そうと思ってお互い頑張るから」と話すと、多少安心した様子だった。何せ「何でこの子がこんなことになったか」みたいなグチめいたことまで先生に涙目で言ったりするので、「そんなこと先生に言ってもしょうがないでしょ」と俺が制したくらいだった。
あとは兄貴のHLA型の結果が届いていたとのこと。ただ残念ながら適合しなかったということだった。ただとにかく今は寛解に持っていくことが目標で、それを維持し、その間に移植を目指すという流れだから、まずは抗癌剤による副作用に耐えること。癌に対する治療はまだ始まっていないのだ。S先生はお袋の返答に困るような話にもちゃんと受け答えてくれ、15分くらい話した後、俺のリンパや脾臓を触診し、心音などを聞いた後、出て行かれた。出掛けにお袋が一緒に部屋を出て、ちょっと何やら話した様子ですぐ戻ってきたが、話の内容はあえて聞かなかった。きっと大事な息子だから絶対助けてくれ、とお願いしたのだろう。そういう思いは痛いほど解る。
12時ちょい前、一緒に下まで降りて、タクシー降り場でちょうど客を降ろした車にお袋を乗せ、手を振って見送った。お袋の様子ではあの後たぶん車中で涙を流しただろう。これが今生の別れではない、そうはさせないと思う。病気を克服して、酒を呑んでカラオケにでも行こうと話した、そうして元気になって再び顔を見せることが何よりの親孝行だろうから、それまで頑張ろう。
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コメント

事件ね…

俺だけがあの時真実は何かを求め、悪質な犯罪行為を悪質だと言ったわけではないですよ。仲間もいたし、ちゃんと真実を見極めて応援してくれた人もいたんで、あれだけ踏ん張れたんだと思います。
張本人たちの卑劣さというのはいまだに許せないし、自分がこんな病気になった原因がストレスだとすれば間違いなくその原因の一つではあると思う。そして、奴らがそんな俺の病気をヘラヘラと笑いながら馬鹿にし、酒の肴にし、不真面目な冗談を飛ばし、死ねばいいと悪態をついていることも容易に想像がつく。
そう、鬼畜というのは本当にいるんだね。

本当ですよ!

97年のあの事件の時、白取さんがいなかったら・・・。嘘やデマが今ごろは「事実」として通っていたことでしょう。あの連中なら、確かに白取さんがこうした大病を患っていると知り、喜び、笑い、祝杯をあげていることでしょう。
そういう連中のことを鬼畜、と言うのです。

どうもどうも

函館の友人も一度も顔を合わせたことのない読者の方でも、ここで励ましていただくことでどれだけ勇気付けられているかは一緒です。
どれだけ近年密に付き合った人でも、完全シカトという人も多いっすよ。覚えてろよ、と思ってます(笑)。あと俺に多大なストレスを与え、今ごろは恐らく「死ね死ね」と喜んでいる連中が出版界に、いる。そいつらの思うとおりにはさせねえ、97年も今もだ、そういう思いも生きることへの執着となっています。

【業務連絡】
メールは最近なんかエロスパムが多くて、サーバチェックしている間に落ちたりしてるんで、個別に返信がなかなか出来ないことをお詫びします。
メールをくれた人で返信がないな、という人はここを覗いてみてください。ていうかなるべく個別メールではなく、このブログに書き込んでいただけるとありがたいです。

いいですね

地元のご友人の励ましは心強いでしょう、、、
私たちのような一読者だった者というか、一ファンよりも昔からのご友人の言葉は何よりの薬ではないかと。。。

ようようっ

なんだか、ヨネタも出てきたし(笑
なんかさぁ~人生って色々あるって月並みだけど思うわけだけど・・・
私、最近、白取に元気もらってるんですけど^^;
病院のベッドで打ち込む、その影響力のある数々の文章ってば、一体何なの!?って感じよ~
なんとか、それを発電とかに生かされないものか・・・(笑
また、来るね~^^

ようっ

顔合わせたら「おーっ」とか言って半笑いになる位の久し振りだな(半笑)。
白取のこと、オレのところにも連絡が来てからこのBLOG読ませてもらってるよ。
なんとも淡々と自分の様子を綴っている感じは、事実をしっかり受け止めているからなのだろうと感心することしきりだ。端々に白取節(?)も入ってたりなんかして…。
先週末に自宅でチャージ完了して、いよいよ治療も本番なんだよね。かなり根性の要る戦いのようだけど、古い仲間も新しい仲間もみんなですげぇ応援じゃねえか。
オレも白取の完全勝利を願ってる。がんばれよ!
特に特にお袋さんのために。…がんばれよ。

良かったですね

お母様も、白取さんのお顔が見られてご安心でしたでしょう。白取さんご自身が書かれているようにご病気で会われたのでなければもっと良かったでしょうけれど。。。
元気になって、「親孝行」してくださいね!!
・・・自分もたまには実家に電話してみようと思いました。

赤羽とそして・・・

3年くらい前、約一年間、吾妻ひでお先生と同じ病気で、赤羽駅近くのA.Aに週1くらいで通っていました。読んでいてなんとなく懐かしいです。
お母様の愛情は本当に深いのですね。実際のお話と重なるのかどうか知りませんが、やまだ、白取両先生と、白取先生のお母様三人団欒のお話で名作『Blue Sky』を思い出しました。
もし、そのことが白取先生に不愉快な思いをさせるようでしたら、申し訳ないですが(なんとなくそんな不安もありますが、あえて書かせていただきました)
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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