--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012-09-23(Sun)

やまだ紫の猫

2012年09月23日(日)

続きを読む

2012-07-05(Thu)

フランドン農学校の豚

長年絶版だった潮出版さんの「宮沢賢治漫画館」全5巻が同時復刻されました。

潮出版さんから2巻だけ2部、「著者献呈分」として送っていただいた。
前回…というか84年のバージョンは赤を基調としたデザインだったのが、今回はタイポグラフィを当時のものを活かしつつグリーン基調に一新されている。

3688_1341446608.jpg

やまだ紫の描いたのは「フランドン農学校の豚」で、作品自体は1984年の作品だ。
これは「宮沢賢治漫画館 第2巻」収録ののち、92年筑摩書房刊行の「やまだ紫作品集 全5巻」のうち4巻に収録された。もちろんそれは初版が売り切れたら「品切れ」という名のまま「ほったらかし」にされていたので、やまだの死後、葬式商売をされないために絶版とした。
従って復刊なった「性悪猫」や「しんきらり」などでファンになって下さったという若い方は、この作品を未見の人も多いはず。(何しろこの賢治漫画館全5巻はその顔ぶれがもの凄く、人気も高かったので古書でも高値がついたほどだったから)
やまだも自作タイトルのパロディにするくらい(鈍たちとやま猫)賢治のファンだったが、あらためて昔の(失礼)漫画家さんて読書量多かったよなあ、と思い返す。やまだは特に詩集、小説をほんとうによく読んでいた。同業者の他の作品を読むことは掲載誌などが送られてくる事や、よほど感性に響くもの以外少なかったように思う。

ちょっと前に漫画家志望の子が「(勉強のために)漫画ばっかり読んでます!」と自信たっぷりにドヤ顔で言うので、「漫画ばっかり読んでちゃダメだよ…」と苦笑ぎみに諭したのを思い出す。そして何というか、申し訳無いがそれだけでもダメなものはダメなのがこの世界。
「才能」というものコレばかりは天賦のもので、もちろんそれを磨き光り、輝きを増すことは出来る。
でも、常人が「読書量」や「努力」、ましてや「絵画技法」さらには「デジタルツールの操作の完璧な習得」で到達でき得るもっとも高いところとは無縁の、もっと上…というより完璧に別な次元にあると、つくづく思います。
…それは自分が挫折したればこそ。長年、「ガロ」ですさまじい「個性」の煌めきに囲まれてきたからこそ。

今回の復刻、部数は多いとは言えないそうだ。
でも、いい本を切らさない…小学館クリエイティブさんもそうだし思潮社さんも有り難いが、そういう「出版人としての矜恃」「誇り」みたいなものが出版文化を支えていると思う。
最近、特に若い世代で「売上げ」だけでその作品の良し悪しを語る人が異常に増えてきた。
昔と違ってネットで割合そういった情報は簡単に素人でも入手できるし、音楽でも本でもドラマでもアニメでも、特にAmazonなどには順位が出たり、オリコンチャートもあるので、「なになには何枚売れたからなになによりも優れたアーティストだ」という論法である。
ネタかと思ったらかなり本気の勢力(笑)が多いようなので、ちょっと呆れた。
いや、そういう事を真顔で言っていた人たちは、何十年も前から業界にもたくさんいたよ。
「売れてナンボだよ」「売れない作品は存在しないのと同じ」「だから売れた作品こそ、いい作品」
という、ご存知「商売」という視点・論理からだけ、ものを見ていう理屈である。
「商売」という視点だけで見れば、それは正しい。
数字というものは解りやすい。
考えなくていい。
この作品は万人には受けないかも知れないが、これこれこういう部分で非常に優れている。だから、後の世代にも読んでもらいたい、伝えたい…とか考えなくていい。
数字はおおい/すくない、だけで判断出来るからだ。
しかもその価値基準、判断がそういう人は「正しい」と思っているし、実際に「数字だけを判断基準で見る場合においては」確かに「正しい」んだから、そういう人の鼻息も荒い。
「だって数字がこうだから」。
でもそれじゃ「文化」じゃないよね。
んなもん=漫画なんか元から文化じゃなかっただろ、と言われればしょうがない、そういう思考回路というか出版史はもちろん漫画史含めて何も勉強せず興味すらない人には、もはや言うことはひと言もない。
漫画にも優れた作品があり、良作があり、それは他の小説や映画その他の表現に比しても何ら遜色のないものである、といくら言ったって鼻クソほじりながら「でも漫画だろ?」で終わりだ。

漫画やアニメを「世界にアピール」とかする時だけ持ち上げといて、国内では規制でがんじがらめにしたり表現を畏縮させるようなことばかりを推進し、今後はおそらく文科省か警察天下り団体か知らないが、お墨付きのあるなし、優良作品か否か(それを判定するのはたぶん漫画を知らない頓珍漢な連中)、そしてもちろん「売れたか売れないか」という小学生でも解る数の大小で楽に判断しようという連中。
そういう人らが粗野で乱暴な論法で漫画というものを、ますます色々と窮屈にしていくんだろうな。漫画だけじゃなく、世の中も。


(ところで何度か書いているけれども、やまだ紫の各作品復刻にあたっても、印税が発生している。当然だ。
ただし、あれらは極めて少部数であることと、こちら側からお願いして「印税よりも切れずに繋げていただく事を優先してください」と、パーセンテージはいわゆる通常の業界基準とは大幅に違うものになっている。ただ今回のアンソロジーは通常のページ割になるらしいが。
…そんなこんなで生臭い話で恐縮だけど、世の中には本当に面白いというか暇な人間というのがおり、
「死んだ女房の作品の印税貰っていい気なものだ」
的なことを陰でごちゃごちゃと言う方々が、信じられぬことに、本当に、実在するので、一応言っておきます。
あとその印税にしても俺がいつ死ぬか解らないので、ちゃんとうまいこと俺が抱えてしまわない算段とかあれこれ、ちゃんと考えてありますゆえ。暇人かつ人格低劣にして下劣な方々、ご心配には及びません。)

話がどうも大幅に逸れましたが、今回の潮出版さんの<全5巻同時復刻>。
とにかく漫画家さんの顔ぶれだけでも、溜息の出るような方たちばかりです。
これは揃えたい。
うち、揃ってたけど2巻しかなくなってしまった。そこに新しい2巻をいただいた。残りは買うしかないので、もちっと余裕が出来てからにすべし。
国民…じゃなくて自分の生活が第一。
2012-03-07(Wed)

「性悪猫」三刷

2012年03月07日(水)

続きを読む

2010-01-18(Mon)

「樹のうえで猫がみている」が新編にて刊行

クリックで拡大しますその卓越した言語センスが漫画界のみならず、詩壇からも高く評価されたやまだ紫。その唯一の詩画集「樹のうえで猫がみている」が、思潮社さんより大幅に増補・改訂のうえ復刊されます。
←サムネイルクリックで拡大表示します(思潮社さん提供)
2010年2月刊行・発売中

続きを読む

2009-12-16(Wed)

やまだ紫 復刊第三弾「ゆらりうす色」発売!

ゆらりうす色広告画像

皆さん、お待たせいたしました。10月『性悪猫』、11月『しんきらり』に続いて『ゆらりうす色』が発売されます!


ゆらりうす色
やまだ 紫
小学館クリエイティブ

このアイテムの詳細を見る



著者:やまだ紫
書名:ゆらりうす色
発行:株式会社小学館クリエイティブ 発売:小学館
定価:本体1,600 円+税
ISBN978-4-7780-3131-2 C0079 1600E

判型はA5判並製で、総ページ数は224ページ。
解説は村上知彦さんです。
村上さんは「チャンネルゼロ」以来公私ともにやまだをよく知られた方で、今回は79年ころに描かれたやまだのギャグマンガの一部も紹介されています。

収録作品は講談社「コミックモーニング」誌上に1983年12号から翌年10号まで、24回にわたって連載された表題作「ゆらりうす色」全話と、日本文芸社「季刊・コミックばく」1986年春季号から翌87年春季号まで連載された「Second Hand Love(セコハン・ラブ)」全4話となっております。

本作は、1984年6月に講談社よりA5判・KCモーニング版「ゆらりうす色」として刊行され、のちに1992年筑摩書房「やまだ紫作品集1」、さらに1995年7月には同じ構成でちくま文庫化されました。
今回はその全編を「ゆらりうす色」は初版以来の、「Second Hand Love(セコハン・ラブ)」は初の「A5版」という大きいサイズで一挙にご覧いただけるようになっております。

また復刊特典として、巻末に小説「恋する家族」(三田誠広作)の読売新聞連載時の挿画から、何点かギャラリーとして掲載しました。これらは単行本化されるにあたり全く掲載されていない貴重なものです。

さらに今回の復刊にあたり、「ゆらりうす色」の巻頭を二色で
また「Second Hand Love(セコハン・ラブ)」も「ばく」連載開始時の「カラー原画」から復刻しました。(後の版では全てモノクロに描き直したものが使われています)
これも小学館クリエイティブの担当である川村さんの、出版人としての心意気であります。ぜひ、ご覧下さい。


白取より毎度毎度僭越の極みながら。

このたび復刊される「ゆらりうす色」は、「性悪猫」「しんきらり」と立て続けに素晴らしい作品を世に送り出したやまだ紫が、「不倫」をテーマに男女の心の機微、特に女性心理を内側から鋭く描きあげた作品です。
鋭く、などという陳腐な言葉を用いるのもどうかと思いますが、主人公「笑美」の態度や言葉は凛とした「やまだ紫作品」に共通する魅力に溢れています。
笑美はクールに不倫を楽しむ女性のようでありながら、熱く、哀しく、切ない女としての感情を当然ながら持ち合わせています。そして「私マンガ」「私小説マンガ家」だのと単純なレッテルを貼られたやまだ紫の、漫画家としての「答え」ともいえる作品です。

作家研究的に述べるならば、やまだはこの作品を執筆当時、地獄の結婚生活から別居という事実上の離婚状態を経て、連載中に「協議離婚」が成立しています。
二人の子の親権を引き受けること以外、慰謝料も一切受け取らず、もっと言えば公的な扶助も全く受けずに、漫画一本という不安定な立場で立ち上がったばかりでした。けれども、彼女は幸福に溢れていたと言います。
その時期、彼女はこの作品で「不倫」というテーマを選びました。もちろん、実生活とは全くリンクしていません。「私マンガ」では全くあり得ない、しかし「やまだ紫」の凛とした女性の描き方、その研ぎ澄まされた「ことば」の鋭さは、「性悪猫」以来、いや「COM」時代から何ら変わりなく魅力に溢れています。
つまり、やまだ紫はやっぱり優れた漫画家であったという当たり前のことが、今さらながら作品の連なりを見るにつけ、確認できるでしょう。

やまだ紫はこの作品と平行し、「しんきらり」(青林堂版では「続」扱い)の連載も継続しています。さらに祥伝社「新鮮」にて「しあわせつぶて」、思潮社「ラ・メール」にて詩画「樹のうえで猫がみている」学研「ベルママン」に「陽炎もえて」…と、大変な多忙期に入りました。
余談ながら私と出会ったのもこの時期になります。
彼女は尊敬すべき素晴らしい作家であったと同時に、二人の子どもをしっかりと支える凛とした母親であり、そして可愛らしい一人の女性でもありました。
つまりは、やまだ紫が、全てにおいて頂点に達していたのが、この頃であったと思います。

彼女の理想とする男と女の関係、夫婦、家族、人間そして社会いや「せけんさま」
への確かな視線は、一貫し、ゆるぎのないものです。猫を通して描いても、ごく普通の家庭を描いても、不倫カップルを描いても…。それは1991年「BlueSky」(婦人公論)に至っても、いえ、最後の作品集となった「愛のかたち」まで終世全く変わらないものでした。


お近くの書店さんに無い場合は、上記の書名、版元名を言っていただければ注文することが出来ます。書店さんでお受け取りになれば、送料もかかりません。
皆さん、やまだ紫の素晴らしい作品を、これからもよろしくお願いいたします。
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。