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2007-03-29(Thu)

4コマガロ・「長井イズム」のこと

最近、「ガロ」末期の出身である漫画家・福満茂之(福満しげゆき)さんがメジャー誌で活躍されてます。彼が「4ガロ出身」と何かに書かれたのか、あるいはネットでググったらそういう「経歴」(?)が出てくるらしく(…出てきた(笑))、「4ガロ」創設者であった俺のところへも、チラホラ質問が来たりするようになりました。

4ガロ…「4コマガロ」「4コマGARO」「4コマ画廊」、何でもいいんですが(何せ創設者自身が統一していなかったもので)、略称は「4ガロ(=よんがろ)」と呼んでもらえれば、創設者的にはOKです(笑)。
(俺が月刊「ガロ」誌上で読者投稿コーナー「4ガロ」を始め継続した経緯と沿革については「4KOMA GAROU--殿堂」を参照してみてください。)

でメール。
■東京都Sさんから
福満さんは4ガロで白取さんに見出され、本誌デビュー〜アックスへ活躍の場を移しメジャーへという図式でステップアップされてきました(中略)、今やアックスがあの「ガロ」の唯一の継承の場ということで異論はないですよね。
メールありがとうございます…ってイヤイヤイヤ(笑)。
福満さんが今のようにご活躍されるようになったのは、
「俺が見出したから」ではなく福満さんに才能があったから
ですよ。俺が「ガロ」編集部に居た当時、4ガロに投稿いただいた彼の作品(もちろんハガキ)を一目見た瞬間に「あ、これはすぐプロになった方がいい」と俺は思いました。なので、ご本人にもそう伝えたはずです(福満さんは覚えていないかも知れませんが、確か「成年コミックでも何でもいい、とにかくすぐにプロになるべきだ」と)。
もちろん、まだ世間では誰一人として福満さんを知らない頃です。だけどそんなことを偉そうに「俺が発掘した」だの言うつもりは毛頭、本当に心からありません。同じように、自分がいち早く投稿作品を一目見て、瞬間に惚れこんでしまった作家さんはたくさんいますが、例えばその中に津野裕子さんもおります。
でも、そんなことは編集者をやっていれば当り前のことであり、逆に、そういう才能を見落としてしまうような眼力しか持たないのであれば、編集なんかやめた方がいいのです。つまり、俺じゃなくとも素晴らしい才能は必ず世に出たと思う。その場=つまり投稿作品と編集者のファーストコンタクトという最初の場に、幸運にも居られたのがたまたま俺であっただけであって、偶然世に出るお手伝いをしただけ、です。

それより後段
今やアックスがあの「ガロ」の唯一の継承の場ということで異論はない
のくだりに、ちょっと異論あります(笑)。

かつての「ガロ」系の作家さんたち、つまり<「ガロ」がなければメジャーの雑誌や編集では見出せなかった才能>たち、作家さんたちの行き場は、「ガロ」亡き今となって、現実には「ガロ」をクーデターでブッ潰した連中の「アックス」しかない…という意見は多いでしょう。
だが本当にそうかな、最近はマス・コミック(それこそジャンプやモーニング、ガンガンなど)の世界もそうとうにこなれてきてるので、何もアックスに行かなくても、いくらでも「原稿料が稼げてなおかつ自分のやりたい表現が出来る」場がけっこうあると思うんですよ。
恐らくメールを下さったSさんだけではなく、少なからぬ人たちが(そのほとんどが「ガロ」をリアルタイムで知らないと思うが)、
1 元「ガロ」にいた人たちがアックスをやってる
2 もう元「ガロ」はない
3 だからアックスが「ガロ」の継承媒体である
…という単純な構図でモノを見ているのだろう。そこが俺らからすりゃ「オイオイちょ、待てよ!」なわけです。ここで言う俺の「ガロ」は長井勝一の「ガロ」、青林堂の「ガロ」、何といっても俺たちの「ガロ」である。
それは長井さんの引退後の「山中体制」になって終わった…と総括されるなら、それはそれでも仕方がないと思う。だが少なくとも山中体制下になっても、「長井イズム」は継承されていた。
なぜって、それはまだ俺が居たからだよ。つまり、
長井さんご本人から「編集部に来いよ」と誘われ、直接、薫陶を受けた編集者
がいたからだよ。
「長井イズム」って何だと言う人は拙ブログ内のこのへんを参照ください。
ともかく、長井さんは何より「その作家独自の表現・オリジナリティ」を最優先した。絵がいくらうまかろうが、二番煎じや誰かのモノマネには厳しかった。作家には常に、個性を磨くように指導していた。それはもちろん絵柄だけではなく、絵と物語が両輪・一体として表現される漫画という素晴らしい表現のために、何より作り手は「独自の表現を生み出せるだけの感性を磨くべきだ」と伝えた。
そのためにどうすればいいかということは「優れた作品に表現の分野を問わず触れること」だ。そのことの俺なりの解釈は当サイトでも 【漫画家になりたい人へ】としてまとめてある。

「長井イズム」とは確かに、商業主義というか売れることが最優先であるメジャー・マスのコミック界では通用しない。漫画、出版業界でも「だからいつまで経っても貧乏なのだ」と笑う人間もたくさんいたことも事実だ。実際にそう侮蔑された経験も俺は何度もしている。ただ、メジャーの編集者には「ガロ」へのアンビバレンツな思い、つまり嫉妬と憎悪が入り混じったような不思議な感覚を持ち、接して来られた人も多かったと思う。
理想は高く持ちたい。けれどメシを食わねばならない。それは理解できる。
けれど理想を捨ててまで、過度にメシを、いや金銀を集めようというのはイカガなモノか。
何より編集者も人、作家=漫画家も人、もちろん読者も人だ。
ほんとうのキ★ガイに電波系の漫画を描かれても(それはそれなりに別の評価があるけど)、そもそも作品として成立しない場合が多いだろうし、そもそも編集と意思の疎通が正しく取れるかも疑問だ(笑)。
露悪系の漫画をこれでもかと描き続けている人が鬼畜であるという単純な図式も成り立たないのは言うまでもない。ほのぼの系・絵本のような綺麗な作品を描く作家が●★@%д★йとかだったりすることもある。
だがそれらも結局は全て「人」で、人から人へと何かを伝える、訴える表現の一つが漫画である。
いい編集者はやっぱりいい人であるべきだ。
それが俺なりの長井イズムの解釈だ。

だから、自分たちの私利私欲のために嘘やデマをバラ撒いて人を陥れて「ガロ」をブッ壊し、その後作家を丸め込んでてめえらで興した出版社にそっくり版権を移したり、かつての「ガロ」の真似事をしているような奴らがその「長井イズムの継承者」であるわけがない。
ゆえにアックスは「ガロ」の継承雑誌では、ない。
何か反論があるか? 
アックスがかつての「ガロ」の継承者」なんて寝惚けたことを抜かしている人間は、単に不勉強か馬鹿者かどっちかでしかないと、敢えて暴言を吐く。何か反論あるのなら受けて立つのでどうぞ。というとすぐに頓珍漢な反論を寄せてくる阿呆がいますが、一番下にお勉強すべきリンクを掲載しておくのでちゃんと熟読・熟考した上で、来るように。

以前、ここをご覧の方からのコメントで下記のような発言を戴いた。
>現実に「ガロ」亡き後は「アックス」がその世界を継承しているわけですし、あそこ以外には確かにできませんからね
それに対して俺は
その通りだと思います。自分は是々非々の立場ですから(笑)、これも何度も表明している通り、「アックス」青林工藝舎は、「ガロ」の作家を使い、以前の「ガロ」的なことを続けていますから、「ガロ」的世界の継承と言えるでしょうね。それに、実際いい作家を発掘してるし、いい本もちゃんと出してると思いますよ。読者の方々は、結果はともかくいい漫画が読める、作家さんたちは作品の発表の場がある、それでいいんだと思います。
と答えたことがある。

「ガロ」的世界を、<「ガロ」の作家さんを使って「ガロ」みたいな雑誌をやっている>というなら、<その通り>でいい。それに後段の結果としていい本が世に出ればそれでいい、という部分も変わっていない。
でも「おためごかし」はもうやめることにする。俺にはもうあまり残された時間がないようでもある。
「ガロ」の真似事をしたいがために本家「ガロ」をブッ潰す、嘘をつく、犯罪を犯す、そしてそれら全てをまた嘘でごまかし批判にはほっかむりを続けて謝罪も反省もない。
それで「ガロ」の継承者と言うのは、地球上の他の全員が許してもこの俺が許さない。それだけの話です。


ところで静岡県のYさんからは
4ガロは再開しないんですか?という直球ズバッというご質問をいただきましたが、そりゃあ再開したいですよ(笑)。
俺が健康でバリバリ働けて金がザクザク時間がたっぷりあればなあ。とまあそこまで行かなくても、YellowTearDropsさんのBBSでもかつての投稿者であった某Sむりさんが書いてくれたように、読者投票システム作って投稿作品を掲載し、上位作品に寸評を加える…みたいなものが作れればいいんですけどね。誰が作んのよ、ちゅう話です。ええ、そういう話なんです。

「4ガロ」をなぜ俺が始めたかというと(「沿革」でも書いているように)、「ガロ」読者さんは「ガロ」という稀有な漫画誌を愛読してくれているような感性の人たちなわけで(笑)、であれば当然その人たちもきっと素敵な表現をしてくれるに違いない…という確信が俺にはあったからです。
実際、それまでに「ガロ」の投稿コーナーはその時期の名物編集者が担当する定番ページであったし、それを僭越ながら自分がやれるにあたって、「せっかく漫画誌なんだから4コマ漫画という表現を見てみたいな」と思ってスタートさせたわけです。
で、その中から本格的に本誌投稿へ向かってくれる人が出るなら、それもまた嬉しい。「ガロ」のためにもなる。そして実際そういう例はたくさんありました。
福満しげゆきさんもそういった方々の一人ではありましたが、繰り返しになるけど、俺が掲載しなくても、いずれ本誌投稿をされるか他紙でデビューするかしていたと思う。
4ガロを担当していた当時、意識的に「こういう作品を掲載しよう」と色眼鏡をかけていたことは一度もない。いや、とにかく俺も「長井勝一の最後の弟子」だ、「見たことのない表現」を第一に取り上げよう…ということだけは唯一心がけた。ハガキに描かれた4コマ漫画であろうと、「長井イズム」で見ようという「色眼鏡」なら、かけていた。
なので古典的な起承転結で「あるある…」みたいな作品はヨソへ行けばよろしい、俺は「見たことのないもの」を一番にしたい。それくらいの色眼鏡だ。
ともかく、そんな感じで毎号毎号、全く俺一人で自由に独裁的にチョイスできたので、その点は本当に嬉しかったしエキサイティングなことでした。校了間際の物凄く忙しい時期に当然4ガロの校了もあったわけだけど、あまりに楽しくてついつい凝ってしまって気がついたら朝だった…とか、よくありました。
ただ毎日毎日、ポストには変な投稿ハガキがワンサカ来るようになり、当然長井さんもそれを目にすることになる。俺は長井イズムを体現しようとしていたのに、当の長井さんが「白取君さあ、いくら何でもキ●ガイを載せるのはやめろよ」と苦笑しながら俺に言ったものでした。
回を重ねるごとに増えた4ガロの投稿ハガキは、とうとう毎月3ケタを超え(本誌の部数を考えたら驚異的だったと思う!)、漫画家さんや先輩編集者の方々からも「面白いね」とお褒めいただくようになると、長井さんは何も言わなくなりました(笑)。長井さん、ほんとうは4ガロみたいな世界は理解できなかったみたいです。そしてよくその頃になると「最近の漫画はワケわからん」とボヤいてました(実話)。いいんです、長井さんの素敵な「イズム」は俺が継承してたんだから。

全作品掲載したいというのを断腸の思いで、できるだけ多く…という意識からハガキの大きさはかなり小さくなり、褒めていただいた先輩がたからも「見づらい」と文句も言われたものです。
あと、よく掲載作品に寄せるコメントも褒めてもらいましたが、あれも時間が無い中だったので、手書き版下の頃は下書きも何もなくぶっつけで書いていたし、それはワープロ打ちに変わってからも同様でした。自分は基本的にラジオのDJのような感覚だったと思う。
ちなみに最末期からは、かつての投稿者で敏腕プログラマとなって再会した古山啓一郎君がアシスタントとして手伝ってくれて、非常に助かりました。
あと俺が再復刊後の「新・新生ガロ」になぜか疎まれて(実際は理由は解っている、彼らには「長井イズム」が邪魔だったからだ)突然説明の機会も与えられずに4ガロを降ろされた後、何もなかったかのように俺たちではない「別人」が俺たちを装ってコーナーを継続させたが、のちに当時の投稿者の方に聞くと、これが多大な不評を買ったそうだ。
曰く「アングラやってます、みたいなコメントが不快」とか。それに俺も古山君も一切関わってないので、念のため。

…とにかく4ガロをいまだに「読者投稿ものの最高峰」と言ってくれる人が多いのには驚くと同時に感謝の気持ちで一杯です。マジです。何自慢してんだよ、と言われてもOK。自慢していいことだから。
「何か別の媒体なりでやらないか」という話もあった、実は。でも「ガロ」以外の媒体でああいう作品が集まりますか? 「ぼくは16角形」の作品をどこが掲載できるというのですか? 
「掲載作品を完全自由に選べる」という俺の唯一絶対の条件は大概却下されたので、全部お断りしましたよ。
それこれ考えると、やっぱり俺が俺の媒体で(webなりblogなりで)再開させるしかないんだろうか。健康な体と時間と金が欲しいなあ。



★しつこいようだが「ガロ」消滅の経緯は以下を参照
デジタルガロ・ガロ編集部総辞職事件関係掲示板ログ一覧
白取特急★編集長日記/ガロ編集部総辞職事件顛末日誌
【その後・関連記事】
白取特急検車場 ★元青林堂社長ガロ編集長・山中潤氏がBBSに!
白取特急検車場 ご心配は有難いけど。
白取特急検車場 「ガロ的編集道」って

★そもそも「ガロ」って何? て人は下記を参照(苦笑)
YellowTearDrops内のGaro chronicle
日本のサブカルチャーを考える −「ガロ」とコミックを中心に 
ガロ 雑誌 - Wikipedia

★2007/7 追記 文中の4ガロ投稿者・ぼくは16角形さんが何と田中ようたとして復活! 必見です。
「ガロ」再末期伝説の4コマer「ぼくは16角形」が復活(?)
2006-09-21(Thu)

漫画家になりたい人へ (番外)

自民党新総裁誕生。下馬評通りと言うべきか、安倍新総裁が選出された。テレビで「アベシンソウサイ」を連発するので、
アベシン総裁
かと思って時々ギョッとする、わかってても。アベシン=安部慎一という人ってどれくらいいるんだろう(笑)。「自民党の総裁選の結果、安部慎総裁が誕生しました」って…。
麻生ローゼン太郎氏は予想通り2位ながら、予想以上に谷垣氏に追い上げられていた。

麻生ローゼン太郎氏といえば、「ローゼンメイデン」や「こち亀」「ゴルゴ31」ちがった「ゴルゴ13」を愛読しているという漫画好きゆえ、ネット上ではコミックやアニメファンから異常にリスペクトされているという構図が興味深い。ただ、漫画読んでれば無条件肯定、というのはやめていただきたい。有害コミックの規制問題の時、麻生氏は規制に積極的というか、声高に規制を叫んだ政治家の一人であった。ネット上で「漫画とかアニメが好きだからいい人〜」という論調が多いのは、まあわかってて遊んでる分にはいいだろうけど、本気でリスペクトする厨や消防が現実に出ているわけだから、怖い。
今どき団塊の世代だって普通に漫画を読んでいる。うちの連れ合いだっていわゆる団塊ド真ん中である(笑)。麻生氏は団塊世代より十歳くらい上だし、毛並みはいいし、とにかく「華麗なる一族」に属するエリート政治家。そんな人でも漫画を読んでいること…そのこと自体にそんなに驚くことはないだろう。大学でマンガ学部が開講される時代、アニメ映画がカンヌを制する時代である。
かつて手塚治虫先生が昭和から平成へ世が移るのとほぼ同時に亡くなられた。(もう一人、美空ひばりと共に)
その際に手塚先生関連のさまざまな追悼番組や特集記事、書籍が出たのは記憶に新しい。今から60年前、終戦直後から手塚先生は新聞社(小国民新聞)の4コマ漫画描きでプロ漫画家の道をスタートさせた。漫画はガキの読むもので、今の若い人には、いや俺にだって信じられないことに、
小学校で漫画が有害だといって燃やされた
ことがあったのだという。焚書坑儒、である。PTAによって「こんなものは子供をバカにする」「勉強に向けられる時間がこんな下らぬものへ向けられる」と決め付けられて、漫画という表現そのものが、有害であると言われたのだ。
今では漫画は日本が世界に誇るべき優れた表現であると、政府も認めるようになった。前述の通り、漫画を普通に読む世代は還暦を迎え、大人が普通に漫画を読むことは何ら珍しいことではなくなって久しい。教育の現場にも積極的に漫画が取り入れられている。「隔世の感あり」などという通り一遍の感想ぐらいでは収まらないぐらいの変化だろう。

手塚先生の偉大なところは言うまでもなく日本の漫画を変えたこと、「第一線で」マス・メジャーの世界で誰よりも長く現役を続けたことなどなど、挙げればキリがない。ただその最晩年は、自然や環境保護、人の心の問題にまでテーマが踏み込み、必ずしも大衆に最後まで支持されて亡くなった…というわけではなかった。アニメーション作品も、昭和の末期に作成された『森の伝説』(1987)は海外では実験アニメーションとして高く評価されたものの、日本国内での評判は芳しくなかった。なぜなら、同じテーマでありながら、もっとエンターテイメント性とドラマ性を高め、娯楽作品としてたくさんの人の鑑賞に耐え得るレベルで『風の谷のナウシカ』が、すでにあったからである。いや、俺の記憶と印象だとそうだったと思う。ちなみに宮崎駿監督の『ナウシカ』は1984年の作品であった。

話が逸れたが、手塚先生が、学校でこどもたちから漫画が取り上げられ、デモンストレーションとはいえ校庭で積み上げられた漫画に火がつけられたというニュースを聞いた時、どう思っただろうと考えると、胸が痛む。手塚先生ご自身が肉声で語っておられるので多くは書かないけれども、戦争中に教官に殴られても漫画を描くことをやめなかった、灯火管制の暗闇の中でも漫画を描いた、それほど描きたくて描きたくてしょうがなかった漫画。戦争が終わって、ようやく自由に漫画が描ける、戦意高揚や戦争遂行のためではなく、世の中に明るさを取り戻すために自分は漫画を思い切り描こうと思った…数年後に、焚書坑儒である。今とは状況が全く違う。
それから手塚先生は漫画という表現を、いや漫画に対する世間の評価、目を変えてやろうという思いを強くしながら、数々の名作を発表していくことになる。トキワ荘世代がそれに続く…こうした漫画史的には当り前のことで、俺らの世代には凄く近く、さらには実際に共感しつつ一漫画青年として体現もしたことが、今となっては文字通り「歴史」の世界なのかも知れない。
もっと言えば、漫画家を目指す若い人で、なんか「耳年増」的にどうすれば商業誌デビューへ近道なのか、どうすれば道具をうまく使えるか、というような知識や技術が先行し、肝心の「漫画が描きたい!」という情熱が感じられない人も多い。戦争中でも描かずにおられなかった手塚先生を引き合いに出すまでもなく、この俺だって、かつて「ガロ」だけでなくドメジャーの漫画誌にも投稿したりしていた時代、一本16ページ程度の作品を描きながら、もう次の作品、さらに次の作品…と描きたくて仕方がなかった。ネタ帖、ネームノートは数十冊になった。今となればそれらはとても使えないものばかりなのは当り前だけど、その情熱は今であっても誇れるものだ。漫画を描くことが好きだったら、それが普通だと思っている。
読む側として漫画を愛するということにも、メジャーもマイナーもない。政治家も庶民もないだろう。だが漫画という表現を愛することと、好きな漫画だけ普通に読み「これは有害だから規制しろ」ということはちょっと違うんじゃないか。
官や政の側に表現の規制を安易に許すような国民は愚かであり民度が低いと思う。
ちなみに麻生氏がかつて有害コミック規制を叫んでいたことは、ちょっと調べれば誰にでもわかることだ。これを「知らなかった」と言って「ローゼンメイデン好きだから、おんなじオタク〜」と喜んで支持するのは幼稚以外の何ものでもなかろう。
いいですか、「麻生ローゼン氏」がただの漫画好きの普通の政治家か、本当に漫画を愛する俺らと同志の政治家に変わったのかは、今後じっくり見ていく必要がありますよ。
マスコミではアキハバラを持ち上げレポートし、オタクがこれだけ世間に認知されたかのように思える東洋のワンダーランド・ニッポン。でもついこないだまで、たくさんの政治家が「オタクが犯罪を増やす」「フィギュアは全て規制しろ」とまで言ってたんだよ。
「麻生ローゼン閣下にイチャモンつけるとはナニゴトか!」と言う前に、「世界の中心で、メディア規制を叫ぶ (奈良女児誘拐殺害事件・犯人逮捕とこれからに思う 補4 )」、「奈良女児誘拐殺人事件における、マスコミのオタクバッシングまとめサイト」読んでください。
2006-09-19(Tue)

漫画家になりたい人へ 4

直リンクで来られた方はお手数ですが下記記事をご覧になってから、お読みください。
漫画家になりたい人へ
漫画家になりたい人へ 2
漫画家になりたい人へ 3

<例によって長い前書き>
●この一連の記事…というか「考察」は、自分がかつては漫画家志望であった頃から編集者になって今に至る、その過程で熟成されたものである。なので、あくまでも個人的な思いであることは言うまでもない。正直なところ、世間的にはかなり深刻な病気を宣告されてしまった身なので、ある意味後に続く人たちへの「遺言」である…と思ってもらってもいい。まあそんなにサックリ死んでいく気はないが。
漫画というとマス、メジャーの王道的な部分だけにどうしてもスポットが当たって語られることが多い。実際物量的には圧倒的にそういった部分が占めているから仕方がないのかも知れない。けれど漫画というのはもっと幅広く奥が深い表現であると思うし、世間的にはほとんど認知されていないものにだって、それはそれは名作が数え切れぬくらい存在していることは言うまでもないこと。そういった部分も含めて「漫画」なのだという当り前のことを、もっと当たり前に知ってもらいたいだけだと思う。
さて反響もたくさんいただいて感謝しきりなのだけど、どうも俺がモノを言うことを快く思わない勢力があるようだ(笑)。あの手この手で嫌がらせをしてくるので閉口するが、俺は自分が好きで関わることになって、今も好きな漫画というものについて語っているだけだよ。それは、ある同業の人からのメールがきっかけだった。ちょこっと引用させてもらいます。
(@@前略@@)
久しぶりです。最近ちょっと元気が出てきたみたいで、安心しています。
(@@中略@@)白取さんが癌という病気になってから、BLOGで拝見するにつれ、どうにも僕が知っている白取さんとは違ってきたなと。非礼を承知で言うのだけれど、白取さんらしくないと思いました。
もちろん、大変な病気に侵され日々不安と戦いながら生きるだけで、これはじゅうぶん過酷なことと了解しています。でも、白取さんなら、きっと復活して、また、BLOGなりでさまざまな事象を独特の視点で斬ってくれるのだと思っていました。
でも、卑近な病気のことばかりになってませんでしたか。気持ちまでもが内側へ向いて、病気と闘う前に自分に負けそうになってませんでしたか。非礼を承知で言わせてもらいました。
白取さんのようなガロイズムをきっちりと継承し続けている編集者が、今の時代だからこそ、いや今後も、必要なんです。
口先だけでかっこいいことを言ったりやったりする奴らはたくさんいます。いつの時代でもお調子者なんかは出ては消えていきます。●(伏字・白取)さんたちとて、そのスタートで重大な思い違いと犯罪的行為を多々、犯してきて、無反省のままですよね? 彼らにガロの後継を名乗る資格はないはずですよね? それは、長井さんが何より人と人とのつながりを大切にした人だからだし、そのことは、白取さんが常に訴えてきたことでしょう。
できれば教壇に復帰して欲しいし、もっと言えば編集の現場にも戻って欲しい。でもそれが出来ないならBLOGという手段でもいい、あなたは発信し続けるべきです。
同じことでも、同じものでも、あなたの視点や意見をきっと求めている人がいるはずです。それも少なからず、いるのです。だから、一年経過した今からでも、区切りをつけませんか。外へまた、向かいましょうよ。
(@@後略@@)

…こういうメールをいただいたのは、昨年の癌宣告・入院からほぼ一年が経ち、41回目の誕生日を無事に自宅で迎えることが出来た前後のこと。カッコつける気はさらさらない。治る見込みも治す方法もない、病気がいつ暴れ出すのかも分からない、いやそもそも癌細胞のタイプから病名の特定さえ出来ていない。こういったことを「宣告」されて、不安にならない人間はいないと思う。自分はけっこう気持ちが強い人間だと自覚していたのに、それでも、やっぱり死ぬことは怖く、連れ合いを遺して逝くことが想像しただけでこれほど辛いことだとは思わなかった。
なので、この一年は正直言って世間のことへ目を向ける余裕があまりなかった。そりゃあ日常、テレビを見たりニュースを読むことはあったが、他人のことなどどうでも良かった。自分がまず、生きる、生きたいということが常に一番大きな問題だった。
一年の間にたくさんの人たちからメールやハガキやお手紙を、あるいは直接の励ましを多数いただいた。身内や友人、知り合いなら、病気のことを知れば励ましてくれるのはある意味、当り前なのかも知れない。だが、俺がかつて編集をしていた「ガロ」時代の読者や、ネットでのつながりの方々など、顔も知らないたくさんの人が情報をくれ、励まし、支えてくださったことには、あまりの有難さに感謝の言葉もないほどである。
なので、自分が関わった「ガロ」も含め、今度は俺が漫画という表現を愛する者の一人として、少しでも何かのお役にたって行けたら、という思いでこうした記事を続けているだけだ。

…さて、初回の記事からたくさんいただいているコメントやメールなどについて考えて行きます。
●さいとう・たかを氏が言う「劇画」と、「純マンガ」の違いがよく分かりません。
これは各々の定義づけと明確な分類が難しいので、どうしてもある程度感覚的なものにならざるを得ないというのが、正直なところです。
劇画というのはもちろん、さいとう・たかを、佐藤まさあき、桜井昌一らが結成した「漫画集団」が提唱していた「新漫画」という名称を、1959年に「漫画集団」メンバーであった辰巳ヨシヒロが「劇画」に統一し「劇画工房」が誕生したことによるもの…というのが漫画史的には定説となっている。さいとうさんによると劇画はそれまでの「王道」的漫画つまり子供向けの漫画に対し、大人が読むに耐え得るものを作ろうということで生まれたものだった。
50年代といえば、まだまだ漫画という表現の幅は狭く、また世間一般の漫画というものへの印象・認識も極めて狭いものであった。そんな状況の中で意識的に生まれた「劇画」は「大人向け」ゆえ、絵にもストーリーにも、当然ある程度のリアリティが求められた。その上ある程度の枚数をこなすには、当然一人で全ての工程を担当することは至難の業となる。繰り返すが、これは1950年代という時代を考慮して考えて欲しい。今なら大人向けだろうが子供向けだろうが、漫画は漫画。これだけ漫画という表現の幅も拡大し、さらに漫画というものへの固定概念も崩れた時代、「リアリティ」を絵…例えば背景の書き込みや人物の造形・描写だけへ求めることはナンセンスであることは言うまでもなかろう。だが、話は半世紀前に遡る。
そうして始まった、いやさいとうさんが始めた「プロダクション(分業)制」による漫画制作は、その後漫画制作の現場では常識となる。もちろん、だからといって全ての漫画家がプロダクション制を敷いたわけではないし、分業制が漫画表現にとって最良の方法であるということではない。「たくさん描く」ことによって「たくさん売る」ためには、どうしても人の手を借りぬことには物理的に不可能であり、たくさん描かねばプロダクション制は維持できない。つまり、当初のスタート時の事情はともかくとして、「劇画だから」ではなく、「マス(あるいはメジャー)の漫画」であるためには分業をとらねば物理的に無理だという側面が今、ある。
対して「純マンガ」だが、これは恐らくさいとうさんがこうしたマス・メジャーの漫画から見た「ガロ」などの非メジャーの漫画を指して「純文学」になぞらえて評した言葉だろう。恐らく、というかさいとうさんは実際そういうニュアンスで目の前で語られたから、まあ間違いのないことだと思う。
ここで言う「劇画」を、とりあえず商業漫画と置き換えると、純マンガとの違いがおぼろげにながら浮き上がって来るだろう。商業漫画とはすなわち作家が原稿料という対価を受け取って、その代わりに原稿料を払う側=出版社(版元)のある程度の注文なり意向を反映させて作品を作ることに他ならない。原稿料を払う、しかし作家の好きなように自由に何でも描いていい…という版元はまず、ない。(一部の大御所や、超売れっ子になるとそれに近い状態に祭り上げられることがたまにあるけど)
「純マンガ」とは、では非商業漫画であり、つまりは対価である原稿料を受け取らない代わりに自由な表現が許される…となると、それは同人誌に掲載される同人漫画ではないか、という誤解を受ける。まあある意味同人漫画は純マンガ(そこに売れたいとか儲けたいとかいう邪念(笑)が入らなければ?)だろうけれども、さいとうさんが言う「純マンガ」は「ガロ」という「商業誌」を指している。では「ガロ」、「ガロ系」と呼ばれる「純マンガ」って何だ? という話になる。
「ガロ」の詳しい話は拙文
やっぱり"GARO"から始めたい(米国「PULP」誌連載コラムより)とか
日本のサブカルチャーを考えるとか、あるいは
ガロ 雑誌 - Wikipediaなんかを読んでもらえればだいたいの、概略は解ろう。詳しい作家や作品を見るにはローリングクレイドルさんのYellowTearDrops内、左メニューから「Garo chronicle」を選んで見ていただければと思う。

…そんなわけで「ガロ」は原稿料が出ない(出せなくなった)商業漫画誌という極めて特殊な存在であったが、作家さんにとっては、自分が純粋に描きたい作品を発表できる場でもあった。もちろん、純粋な創作発表の場としてだけではなく、プロの編集者も数多くウォッチしていた雑誌だったから、プロモーション的にも使おうと思えば使えたわけで、その先に原稿料を貰う仕事=商業漫画を見据えて作品を作ることも出来たが。
普通一般の商業誌…それが大手でも中小であっても、「ガロ」であっても、漫画家さんには必ず「担当編集者」という存在がつく。この存在が一般の読者諸兄には解りにくいのかも知れないけれども、何をするかというと、一般商業誌の場合は簡単に言えば作家と連絡を取り合い原稿のやり取り全般をするということだ。だがこの原稿についてのやり取りは、何日までに何ページをあげてくれ、というだけではガキの使いでも出来る。ファクス一枚でも今ならメールでもいいだろう。プロの編集者というのは、原稿を取る仕事というより、作家から「完成原稿を貰うまで」の詰めが大きなウエイトを占める仕事だと言ってもいい。(もちろん、その他にも膨大な仕事があるが)
作家は作品を仕上げるまでに、頭の中で発想を得、それを話に構成して行く工程で、キャラクタをつくり、台詞や背景、設定を考え、ある程度固まった段階で「ネーム」というものを作る。その前段階に「プロット」というものを作る人もいる。プロットというのは構想〜脚色・筋立といった意味だが、漫画の場合は「ストーリーのあらまし」といった程度の意味だ。ネームは何かというと、このプロットからもう少し漫画という表現に近づけたもので、下書きぽい絵が入ったり、コマ割が大雑把にされて台詞がフキダシで入れられたりする場合も多い。
このプロットやネームという段階に、これといった決まりはない。なのでこの2つの段階…というか段階という序列にならない場合も多い…が入り混じる場合も多い。プロットは多くの場合、ノートなどにざーっと書かれた文章の場合が多く、そこの余白に思いついた単語や台詞、設定や簡単なイラストが添えられていたりする。だがいきなりネームから始めて、その余白などへプロットが書かれていることもある。もっと言えば、プロットやネームを作らない人もいる。
商業出版界の編集者は、ともかく、こうした「実際に漫画原稿制作にとりかかる前段階」に、かなり濃密に作家と作品に関わることになる。編集者は出版社を背負っている。出版社は読者のニーズや意見を背負っている。つまり編集者の背後にはたくさんの見えない読者がいると思うと、作家はやはりプレッシャーを感じるという。単に、原稿料とお仕事をくれる(版元から来ている)編集者だから緊張するのではなく、その背後に読者があるという意識が、作家を緊張させるのだ。
ここで編集者は、漫画を原稿用紙に描く=仕上げるという、修正が難しい工程に入る前に介入するのである。この介入という意味はもちろん、より良い作品にするためという意味だ。そしてややこしいがここでいう「より良い作品」とはすなわち「より読者のニーズに合う作品」であり、とりもなおさず「よりたくさん売れる作品」にするためということに他ならない。奇麗事ではなく、商業誌というのはそういう世界である。
「ガロ」などの(さいとうさん曰く)「純マンガ」の世界でも、編集者はプロットやネームを見る。もっと前に「こんな作品を描きたい」とか「こんな話を思いついたんだけど」というような段階からでも、意見を聞かれれば答える。商業誌と違うのは、読者のニーズを考えはするが、自分が優先したのは作家がこう描きたい、こういう作品を創りたい、という部分だというところだろう。
もちろん、自分のような「ガロ」の編集者とて、その作家さんに最終的には売れてもらいたい。いや、売れてもらいたいというよりは、その作家さんが世間に認めてもらえるようになって欲しいと思う。
作家さんが描きたいことが 世間に認められ=読者に支持され 結果的に作品が売れる
という道筋が、俺にとっては当り前の作家さんが売れるという道筋であった。これを
読者に支持されるように描かせ それを物量で世間に認めさせ 結果的に作品が売れる
と置き換えると、商業誌との違いが解りやすいかも知れない。
俺は、作家さんに原稿料を支払える媒体にいなかった。なので生活を支えることは出来なかったから、せめて好きなように作品を描いてもらいたかった。でも、それを突き進めていけばいくほど、その作家さんは漫画では生活が出来ないわけだから、結局は商業誌に認めてもらい、嫌な言い方かも知れないが、引き抜いてもらわなければならない。我々はホンットに少なかったとはいえ、給料を貰って仕事をしていたのだから、ボランティアではない。しかし作家さんは無償で作品を描いている。だからその作家さんが世間にキチンと評価される、作品が売れる、その作家さんの生活が楽になる…ということを望まないわけがなかった。いや、これは本当に正直な話、いつも願っていた。
心ある編集者なら誰でも、
作家が100%自分の創りたい作品を描くこと

より多くの読者に評価され作品が売れること
が同じであるように願う、そしてそれが多くの場合は一致しないことに悩むものだと思う。

自分の場合、いつもこのジレンマに苦しんでいたと思う。

例えば根本敬さんが「精子がそのまんま大きくなってこれこれこういう展開になる話を描きたい」と、そう、あの名作『タケオの世界』の構想を仕事場近くの喫茶店で、俺に話す。それはそれは生き生きと楽しそうに、オチまでを語ってくださる。根本さんの場合、作品の着想は極めてシンプルで、それをストーリー化していく際も、プロットなど数行で済んでしまうようなものだ。だが、それが実際に作品として作られて行く過程で、人物描写も話の展開にも細かなディテールが肉付けされ、場合によってはサイドストーリーが展開され付加され、やがて壮大な叙事詩のような重厚な作品が出来上がっていく。これが根本作品の真骨頂だ。
付き合いの浅い編集者なら、喫茶店で「粗筋」を聞いた段階で「へえ、面白そうですね、じゃそれ24ページくらいで」などとマヌケなことを言うかも知れない。いや、商業誌の場合はページ数は非常に重要なことなので、少なくとも描き下ろしじゃなく連載となると毎回の枚数と回数はある程度決めてから始めるだろう。それが普通だ。だが、根本さんの場合は根本作品の作られ方を知っていれば、毎回のページ数こそある程度の目安としてあれど、全体で何回=何ページになるかなど、「ご本人にもまだ解らぬということ」を解っていなければならない。
さらに連載が開始されても、商業誌であれば「この表現はまずい」「ここはもうちょっと穏やかな表現で」というような介入が、途中途中で、いや、毎回かなりの頻度で入るだろう。だが根本作品において、表現の妥協などあり得ない。というか、そもそも「あの絵柄」である。「こうすればもっと多くの人に認められるのに」などという言葉など、尻尾を股の間に挟んでててててとあさっての方角へ逃げてしまうだろう。根本作品において、全ての表現は絶対に必要な表現であり、妥協などあり得ない。こういう作家の場合、やはり商業誌が「原稿料を払うからこう描け」と言っても通用しないわけで、そもそも自分が「作家が100%自分の創りたい作品を描くこと」が「より多くの読者に評価され作品が売れること」の全面否定につながることを、ご自分が一番よく理解していたりする。
俺はいつも、根本作品が「ジャンプ」や「モーニング」に掲載され、それをたくさんの人が普通に受け入れる世の中を想像してみた。そしてその度に戦慄した。あり得ねえ、と思った。
しょせんは、売れるか売れないのか、それを選択するのは「作家自身」であることを思い知らされた。編集者ごときが「こうすれば売れる」などと抜かしたところで、「ふうん。だから?」と言われればおしまいだ。作家が切実に「売れたい」と望めば、編集者の介入=版元の意向=読者のニーズにキッチリと沿って、その通りに描けばいい。もちろんその結果売れなかったとしても、誰も責任は取ってはくれないけれども。
メジャー、マス・コミックの多くは、個人の場合でも作品製作の現場ではアシスタントが、プロダクションになればもっと多くのスタッフが関わる。もちろんそれが雑誌に掲載され単行本になっていく段階で編集者が濃密に介在する。そのことの是非を語るのは、あまり意味のあることではなかろう。なぜなら、「いい作品をつくる」ためにそうしているわけで、「いい作品」とは何かという定義が異なるからだ。商業誌ではいい作品とは売れる作品のことだし、ガロ系(純マンガ)の世界では独創性や先見性に優れていればいい作品になる。こう書くと、商業漫画を否定するのか、だからガロ系はダメだ、という論法を昔から本当によく聞いた。
多くの人に受け入れられるから(売れる作品)いい作品だ、という考えは否定できない。否定もしない。
一方で、いい作品なのに、万人には受け入れられない(売れない)作品、というのも存在するだろう。

このどちらか一方が正しくて、どちらが間違っている…という議論の方がナンセンスだと言っている。
繰り返しになるが、「多くの読者に認められ、売れている、いい作品」=マス・メジャー漫画の名作が多々あることは周知の通り。だが「いい作品なのに売れない、もっと多くの人に認められるべき」、純マンガの名作もまた、多々あることを知って欲しいと思う。

<この項つづく>
2006-09-14(Thu)

漫画家になりたい人へ 3

…整理すると、
・一般的な絵画技法をいくら学んでも漫画は描けない。
・その上で漫画絵の絵画技法や漫画原稿の作成方法を学べば、アシスタントにはなれる。
・漫画家となるには、個性ある絵に加え、話を作り出す力がなければならない。

ということになるだろうか。

『ゴルゴ13』で有名な、と枕詞をつけるまでもなく有名な漫画家であるさいとう・たかをさんは、日本ではじめて漫画をプロダクション制作したことで有名な作家だ。さいとうさんにはインタビューさせていただいたことがあるし、色々なところでご本人が公言されているように、さいとうさんがデビューされた50年前は漫画とは一人で作るものであるという意識が業界でも支配的で常識であった。さいとうさんは漫画は一人でやる仕事ではないと最初から考え、分業制を当初から主張し実践した。さいとうさんご自身は、漫画、というより自分が作るのは劇画であるから、映画を原作・脚本・監督、美術や考証、役者たちが集団で作っていくのと同じだというお考えである。だから「ドラマ(ストーリー)作りのうまい人と絵のうまい人が合体すべき」(さいとう氏談)ということだ。俺がお話を伺ったのはもう十年前のことで、その際さいとうさんは俺が「ガロ」の編集をやっていたと知ると世間話で
「実はね、漫画の作り方という部分では長井さんとやりあったことがあるんですよ」
と話された。実際に「やりあった」というよりは、漫画というものへの考え方で食い違ったという意味だと思う。どういうことかといと、さいとうさんは前記の通り、漫画は分業の方がいいものが出来るという考え。長井さんは漫画とは絵と話の両輪であり、それを作家が一人で作り出すところに作家性があるのだという考え。この二つが対立するように見えた、ということだ。
だがさいとうさんは、「我々の世界は劇画。ガロは『純マンガ』ですからね」と語った。
プロダクション体制で、たくさんの人が専業的に一つの作品に関わり、作り上げていくのは商業的な漫画制作の場ではもはや常識中の常識だ。だからさいとうさんが正しくて、長井さんが間違っているということでは決してなく、もう一方で、一人の作家が頭の中でお話を作り、それを絵で描き、漫画という作品に結実させることが出来るのも、また漫画である。
商業的な漫画家として成功するということはどういうことかというと、もちろん「売れる」ことである。売れるということは物量的にたくさん作品を売ることに他ならない。今の漫画業界でそうするためには、まずそれなりの部数を誇る月刊誌なり週刊誌なりで連載をし、そこである程度の人気を得て、単行本化される際に一定の部数を刷ってもらい、版元の宣伝などのバックアップを得なければ「物量的に多く売る」ことは出来ない。もっと言えば、その先にゲームやアニメ化、映画化やキャラクタ商品展開などがあれば、大成功だろう。それにはさらにテレビや広告代理店などが介入してくる。
こうした「成功」をするための第一歩は、自分の作品をとにかくたくさん露出させることだ。それは週刊連載のようにたくさん、という意味と、複数の雑誌や媒体にたくさん、という二つの意味があるけれども、いずれにしても一人では不可能である。
漫画がいくら、たった一人の頭の中という無の世界から、作品という有を産み出し、たくさんの人を楽しませるものであると言っても、商業的な成功を収めることは一人では難しい。
もちろん、物量的にたくさん売った=商業的に成功した作品が必ずしも優れた作品であるかは別問題だ。何度も述べてきているが、これまで単行本が数十万、数百万部と売れた作品はけっこうな数あれど、その全てが漫画史に名を刻むべきものであるかというと疑問な作品も多い。逆に、「ガロ」系で言うと、楠勝平作品のようにわずか数千部しか出ていなかった作品でも、何十年経とうが読む者を感動させ、語り継がれる作品がたくさんある。
もちろん何をして名作と言うかという定義は難しい。
自分としては、やはり他の誰でもない、その人というオリジナリティある絵時代が変わろうとも、面白さの本質が変わらず評価される作品であり、もっと言えばそのジャンルを切り拓いたその人であること…名作ってこういうことじゃないかな、と。思いつきだけど。
昔から、「ガロ」からの自分には一つのイメージがある。
広い草原の真ん中に広場があって、その周囲360度には草が目よりも上の高さにぼうぼうと生えてる。
真正面には、割りと広く刈り込まれた道が続いている。そこは「王道」であり、最初は細い道だったが、何人かが同時に横並びで草をバッサバッサと切り進んで行き、その後を続いたたくさんに人たちによって踏み固められて整地され、今でもそこへ向かう人がゾロゾロとひっきりなしにたくさんの数がいる。
王道の脇には小道がいくつか出来ていて、そこは王道ほどではないがけっこう広いものもある。そこへもけっこうな数が三々五々、入っていく。
見渡すと、背後にはけもの道のような細い、道とも言えぬ筋のようなものがある。目を凝らすと何本かあり、ほとんど人が続いて入っていった形跡はない。だがそのけもの道はよく見ると数十〜数百はあるようにも見える。中には誰も後を続かなかったせいか、消えてしまったものもある。
…もうお気づきかも知れないが、王道とは「マス」のコミックの世界だ。つまり横一線で道を広くし後続へ繋げ今に至っている人たちは、トキワ荘世代だったりするわけだ。背後のけもの道は「ガロ」の作家が踏み入った道だ。例えば根本敬さんの場合はデビュー時から、いきなり一人でわっさわっさと草を刈り、どんどん道を勝手に突き進んで行った。刈り込んで行ったら川があったり落とし穴があったりするかも知れないし、獣が出るかも知れないのだが、お構いなしだ。自分は担当当時、そういう感じで根本さんを見ていた。ちなみにその道の後には数人が続いたが、みな途中で引き返して違う道へ入っていくか力尽き、今では付いていく人さえいない。
他の誰でもない自分という作家の表現。絵も話もそれが出来れば言うことはないが、両方は難しい。絵はそこそこだが、バツグンに話が面白いとか、話は面白いが絵が下手とか、そのレベルや落差の上下・組み合わせが無限にあると思う。絵は人の真似、並べられても名前さえ判別できない「あるある絵柄」でその上オリジナリティはなく三文芝居というパターンが最悪なのは言うまでもないが。

漫画表現の場を「漫画を描く」というように、みなやはり連想するのは「絵を描いている」という場面になるだろう。本来絵と話の融合のかたちが漫画であるはずなのに、どうも絵の方ばかりに目が行ってしまうのは仕方がないことかも知れないものの、物足りない気がする。話を戻すが、漫画において絵を学ぶことは、絶対必要条件ではないと言った。
ヘタうまという言葉があるように、一般的な絵の巧拙という評価は、漫画絵の巧拙と合致しない。いつだったか、「まんだらけ」の古川さんに原稿を取りに伺ったとき、「まんだらけ」店内である某大御所先生の大きなイラストボードに描かれたカラー絵を見たことがある。…一般的な絵画技法の評価で言うと、上手ではなかった。誤解や批判を恐れずに言う。ビミョーだった。先日ある媒体に、少女漫画の某大御所先生が猫のカラー一枚絵を掲載されていた。やはり…だった。
だが、どちらの先生も、漫画家としての「漫画絵」の上手さとオリジナリティは誰もが認めるところだろう。某先生のキャラクターはデッサンと遠近法が狂っていて、首から肩のラインは不自然で、走っているのを正面から見たところの絵柄ながら、もしその人物を横から見たら、不自然にお腹だけが後方に突き出され、顔と足先が「く」の字の逆に前方に突出しているという体制になるだろう。でも、漫画絵としては誰が見ても見事な、某大御所先生の作品であった。
少女漫画の大御所先生の猫の絵は、まず猫の体が全く猫に見えず(狸や兎にも見えないが)、背景に組み合わされた色と花の配置と色彩感覚はかなり下品なものに見えた。すいません。本当にすいません。でも、漫画絵としての巧拙は別であり、その先生の「漫画家としての」評価は何ら下がるものではない。
こういった感覚は絵なり漫画絵なりを描いたことのない人には解り辛いものかも知れない。だけど少なくともプロの編集者ならすぐに理解してもらえるものだと思う。

漫画家になるにはどうしたらいいか、絵はある程度学べるとして話はどうするのか、という質問の答え。
てめえで考えろ。
そういうことです。
あ、怒らないで下さい(笑)、真面目に答えているので。
例えば小説家になりたいという人が、日本語の文法や漢字、てにおはや基本的な作文の作法を教わる。ていうかそんなん義務教育で習ってきている。そして紙とエンピツあるいは万年筆を持つ。あとはどうしますか? 頭の中からひねり出すでしょう。
例えば漫画家になりたいという人が、基本的な絵画技法を学ぶ。その上で漫画絵の技法を学ぶ。これらは必須ではないので、別にいきなりでもいいです。あとはどうしますか?
まず頭の中でストーリーを作り、そして紙とエンピツで下書きをして(しなくてもいい)、ペン入れをしていくでしょう。「頭の中からひねりだす」部分を、誰かに教わるのでしょうか? そこまで仮に誰かに教わったとしたら、あなたはあなたである意味があるのでしょうか? 他の誰でもない自分という作家を外に出したいという、その作家性の発露であるところの「漫画作品」を、なぜ、自分で作りたいと、思わないのでしょうか?
…そうはいっても、言いたいことは解ります。じゃあどうすりゃいいのさこのわたし、と。
だがお話のひねり出し方なんて、ない。それは、前回述べたように
「いい小説いっぱい読んで、いい音楽いっぱい聞いて、いい映画いっぱい観な」(長井勝一談)
に尽きるからだ。自分も経験したから敢えて言うけれども、ジャンルを問わずいい作品=表現に触れた後は、自分も表現をしたくなる。必ず、そうしたくなる。その手段がたまたま漫画というものを自分が選択したのなら、それを作品という形に昇華させればいい。そうして、その発露のまま、どんどん作品を作っていくべきだ。四の五の言ってる時間があったらどんどん作品を作る。それを一年やってみて、一年前の作品を見てみる。たぶん恥ずかしくて発狂しそうになるはずだ、だがそれが成長している証だ。俺もそうだった。
もう一つ言えば、自分以外の他人の客観的な評価を恐れずに、むしろ積極的に聞くべきだろう。信頼できる「漫画読み」に評価してもらえればそれが一番いいが、その環境になくとも、アマチュアの漫画読みならたくさん、周囲にいるだろう。

こういうことを言うと、では京都精華大学のマンガ学部のような試みは無駄なのかと言われる。何をおっしゃいますやら。大学というアカデミズムの場で、よりにもよってマンガを学べるなんて、何という幸福なことだろうかと俺は思う。俺が18歳当時だったら迷わず受ける。誰がなんと言おうと受ける。そうして必ず受かる。受かって通う。一日も休まずに通う。講師陣に疎まれてもつきまとう。問い詰める、食い下がる。嫌がられても作品を見せる。見てもらい、感想を聞く。それを何度も何度も繰り返す。感想だけでなく色んな話をしてもらう。とにかく何かを吸収しようと傍に行く。俺ならそうする。もう遅いけど。
プラトンが開設した「アカデメイア」の時代から、優れた先達の元に集まった若者たちが、先達と討論しその哲学や思想に触れ、それを自分なりにどう熟成させ新たなものを産み出していくかというのが、大学という場じゃなかったのか。違うか。
大学でマンガを教えてくれるということは、一般的な絵画技法に加えて漫画を描く上での作法や技法を実技で、出版や漫画業界の歴史・知識などを座学で教えてくれるだけではない。優れた作家さんたちが講師として名を連ねているのだから、学べば誰でも身につく技法や知識だけではなく、業界で何十年も生活している、先達としての作家さんと生で接することによって得られるものは、何ものにも代えがたいものじゃないか。
例えばストーリーマンガ学科ではマスのコミックの世界では竹宮惠子、(さいとう・たかを先生の言う)純マンガという世界からはやまだ紫という作家と、教授と学生という関係を築けるのだ! こんな幸福な大学が他にあるのだろうか、そして老婆心ながら俺が一番心配なのは、その重要な意味を、学生がどれだけ理解しているのかということだ。
とかく世の中は情報化社会と言われるようになって久しく、情報だけはいくらでも、いつでも手に入る時代ではある。それらをいくら収集し蓄積しても、本人の教養にはならないから、そこからオリジナルな何かを生み出すのは難しい。では優れた表現に触れようにも、今度はそれらを紹介してくれる「情報」を求める。「いい作品にいっぱい触れろと言われても、何を読んだらいいのか」ってオイ。探せよ自分で。そうすれば必ず手に入るよ。むしろ、他人の価値基準に頼らず、自分の感性を磨く努力をしろ、ということだ。

他人の価値基準ということで言えば、政治家の中には漫画やアニメオタクにおもねる向きがまたぞろ、出てきている。別に人気取りでもいいが、とりあえず、漫画を、漫画という表現を愛している者しか、漫画には関わらないで欲しい。仕事だからとか、漫画をコンテンツだの商品だのと言ってはばからない連中はひっこんでろと言いたい。

<この項つづく>
2006-09-13(Wed)

漫画家になりたい人へ 2

前回の関連記事「漫画家になりたい人へ」への反響が意外に大きくて、たくさんの人からメールをいただいた。とても一つ一つにお返事を出すことが出来ず、お詫び申し上げます。

いろいろと整理していずれは何らかの形で公表したいとは思っていた断片的な「漫画への思い」を含め、このブログにはその都度感じたことや常々思っていることをほとんど衝動的に書いている。ブログとはまあそんなようなものだ。だからこれまで本家サイト(「白取特急」)の日記やコラムなどでも書いてきたようなことは、たびたび繰り返しになってしまっていることが多い。そういう「前にも言ったけど」的な部分って、避けたいとは思うものの、一冊の本を書いているわけではないからご容赦願いたいし、自分の考え方…大げさに言えば哲学というようなものはコロコロ変わるものではないから、核心部分は同じことになるわけだ。とまあそんなことも含めてブログってそんなものでしょう。

それではその「核心部分」とは何かというと、漫画や編集という部分に限ると概ねこういうことになる。
・漫画とは絵とストーリーの両輪からなる表現であり、その「作家」(この場合は漫画家)は全てをたった一人で産み出し完結させることができるものだということ
・ここで言う「作家」とはあくまでオリジナリティを持ち、他の誰でもないその作家自身の作品世界を持つ存在であること
・編集者とは、あくまで表現者たる作家が産み出した「作品」があって始めて仕事が出来る存在であること
・従って編集たる者、作家に対しては常に一定の尊敬の念を持ち接するべきであること

ごくごく簡単に思いついたままに記述すると、こんなようなことだ。
「ガロ」という稀有な漫画雑誌に関わっていた自分が、漫画家を目指していた時期から編集者になって今に至るまで、こういう思い=核心部分には何ら変化はないと言い切ることが出来る。

描く側=作家側を目指していたころは、「こんな漫画を描きたい」「こんな作家になりたい」という目標があった。それが「ガロ」を本格的に読むようになってからは、「他の誰でもない、自分という作家を世間に認知させたい」というものに変わった。なぜなら、「ガロ」はそんな作品に溢れていたからだ。
長井(勝一)さんに出会い「ガロ」編集の道に誘われて修行するうち、原稿の整理でさまざまな「ガロ」の漫画家さんたちの生原稿を拝見する機会に恵まれた。当時社内で単行本を作っていたり、終了して保管してあった原稿を整理させていただいたのは、丸尾末広、花輪和一、林静一…といった物凄い作家さんたちの「生原稿」だった。この顔ぶれの凄さを理解できる若者がどれくらいいるのか今、急に不安になってしまったが、ともかく、ほんとうに凄い作家さんたちの名作の数々、それも生原稿に触れることが出来たのだから、夢のような空間であった。
当時の神保町の材木屋二階にあった青林堂=「ガロ」編集部(兼営業所、兼梱包・配送所、兼倉庫)は、そのたった十坪あるかないかの狭い空間に、片袖事務机が6個向き合って並び、その両背後には原稿がびっしり入ったスチール製の棚とロッカーが壁面に並び、その中は言うまでもなく上にまで、天井ぎりぎりまで原稿を入れた大きな封筒を梱包した包みが積み上げられていた。さらに事務机の塊の手前には1mほどの空間、というか通路を置いて大きな木の机があり、そこが品出し(新刊を書店に出したり、返品を改装=ブックオフなどで機械でやってるアレを全て手作業、紙やすりなどでやっていた)などの作業台になっていた。作業台の両壁面はこれまた本の在庫が新刊や返品などが床から積み上げられていた。ちょうど書店の店頭にある平積(本が表紙を出して床と平行面で積み上げられてある状態)の本が、床から腰〜腹くらいの高さになり、その面がずらりと壁面から3〜4列手前まで並び、幅は2・5mくらいの帯になっていると想像してもらえればいい。
とはいえそんな「出版社」なんか今どきの人たちには全く実感ないだろうし想像も出来ないかも知れないが。まあそんなところで出版をやっていたところがあったということだ。ちなみに日本には4000を越える出版社があるものの、その半数以上は従業員が10名以下の「零細版元」である。中には静山社(あの「ハリ・ポタ」の日本版翻訳出版で巨利を得た版元、社長はスイスに移住も税金対策との疑惑)のように社員は少ないが利益が巨大という稀有な例もなくはないが、ほとんどは三ちゃん農業ならぬ「三ちゃん版元」だ。農業の場合は父親が出稼ぎで残ったジジババ&母ちゃんで農業をやった、というかつての農村の話だが、この場合は社長が父ちゃん、母ちゃんが経理。息子(兄ちゃん)が専務で編集者。というかこういう零細版元は社長も専務もヒラも名ばかりで、全員がやれることは何でも、それこそ編集から返品整理までやっている。
話が逸れた。ともかく版元四千数百社あれど、そのほとんどが中小・零細であり、利益は上位数十社の寡占状態にあるのがこの業界だ。このあたりの話は】:「出版不況」--細く長〜く…ではダメか? その2でも書いたのでヒマな方は別窓でどうぞ。

青林堂で編集のアルバイト(というより出版に関わる全業務)をするようになり、幸運にも直接手にして見ることが出来た素晴らしい作品の数々、これらの体験は、自分という未熟な者に漫画家への道を諦めさせるに充分であった。林静一さんや花輪さん丸尾さんなどの生原稿を見たら、「俺は絵がうまい」なんて金輪際言えねえ、って(笑)。それだけではない、どれもこれも、「ガロ」の作家さんたちの作品は個性という絶対的な煌きで輝いており、確固たる独自の作家世界を持っていた。眺めているだけでウットリさせられるような素晴らしい絵を描く作家がいる一方、絵や技法の巧拙なんかクソくらえと言わんばかりの作家もたくさんいた。俺は毎日毎日、長井さんに頼んで、手が空いたら原稿を見せてもらった。長井さんはアルバイト当時の俺を漫画家志望の青年と見てくれていたから、勉強しろという意味で快く見せてくれた。ただし、もちろん原稿は丁寧に扱うこと、ほどいた梱包は再び綺麗に梱包し直すことなどを厳命してのことなのは言うまでもない。
漫画を描いたことのない人はピンと来ないかも知れないが、漫画の生原稿というものは、それはそれは美麗なものである。
よく漫画雑誌で皆さんが見ている漫画の画面サイズはB5判が多いと思うが、あれでも通常83%前後に生原稿を縮小して印刷されたものだ。つまり生原稿というものはだいたいB4くらいの用紙に余白をたっぷり取り、版面(はんづら=つまり漫画の外枠までの画面部分)で1.2倍程度の「一枚絵」と思えばいい。この漫画の生原稿、よく書店などで「原画展示中!」なんてことがあるので見たことがある人も多いかと思うが、中には複製原画(生原稿を原稿用紙に一色分解て転写複製したもの)を展示している場合もあるので気をつけたい。あれは線が死んでしまっているが、本当の生原稿というのは、作家の筆致、息遣いが伝わってくるものだ。
世界にたった一枚しか存在せず、しかもそれは描いた本人でさえ100%同じものは二度と再現できないもの、それが漫画の生原稿だ。だから、そう思えばとてもとてもぞんざいには扱えない。たとえ投稿作品であっても、細心の注意をはらって拝見する。それが編集者のマナーだと思う。
こういった徹底的に叩き込まれた…というより学んだものが、今の自分を作っている核心部分だ。俺は「ガロ」に20代の全てを捧げてしまったので、これはもう今後も変わることはないと思う。


ここまでが前置きである(笑)。
さて、拙文「漫画家になりたい人へ」に対したくさんメールをいただいたりコメントをいただいたりした中で、多かった質問や疑問その他にできる範囲でお応えしたい。

「漫画作品の創り方を教えてほしい」つまり漫画は絵と話の両輪であることは判ったし、そう思う。でも絵はある程度学べるが、話作りはどうすればいいのか…。こういった内容の質問が最も多かった。
実はこういう「質問」は、連れ合いであるやまだ紫も、教鞭を執る京都精華大学の学生から質問されることがあるそうだ。
俺としては、漫画という表現を選んだ以上、誰かの真似をするとか、誰かの後塵を拝すような作家を最初から目指す人間はいないはずだと思っているし、そう思いたい。いや、漫画家を目指すなら誰もがまず「他の誰でもない自分という作家」を目指し、そのことを世間に知らしめたいという希望を持っていると、思っていた。違うのか?
漫画表現を学ぶ段階、つまりアマチュアで自分の技法を高めようと勉強している段階では、好きな漫画家や技法に優れた作家の絵なり技法なりを模写する、つまり真似をすることはよくある。それは有効であることも知っている。俺もかつて、そうやってたくさんの作家さんの絵を模写した経験があるから、必要性と同時に難しさも知っているし、個性ある作家さんたちは、その線一本にも個性があることを学んだ。
だが、模写して技法や筆致を学ぶことはあっても、絵柄をそっくりパクることは全く考えなかった。線をどうやって流麗に描くかとか、逆にワザとブラしたりたどたどしく見せたりとか、主線(おもせん=キャラクタなど主要人物を描く線)と背景などの線の描き分けとか、画面構成や白黒のバランスなどなど、とにかく学ぶべきはあくまでも「技法」であり、それを自分のオリジナルな絵の発見や作成に活かすことを目的としていた。
漫画の両輪の一つ、絵に関しては、一般の絵画におけるデッサンや構図、絵筆や絵の具の使い方などといった部分にあたる技法・技術を学ぶことは重要なことだということは認める。だがそれは漫画を描く上で「絶対条件」ではないのだ。
前回の記事でチラと言及したと思うが、例えば絵の巧拙だけで漫画のよしあしを判断されたら、デビュー当時の蛭子能収や川崎ゆきお、渡辺和博といった人たちはどうなっただろうか。事実、メジャー商業誌の世界では、蛭子さんや川崎さんは全く相手にされなかった・叩き落されてきた。あの鴨沢祐仁さんとて、初期の絵柄は上手いとは言えなかった。こんな例は枚挙に暇がない。
メジャーの世界でも失礼を承知で言うが、永井豪、石ノ森章太郎、松本零士各先生のレベルでも、一般的に言うデッサン力や写実的な意味での「絵のうまさ」を評価基準にされていたら…。「漫画絵」としてのうまさと個性、それは誰かに学べるものではない。学んでしまうと逆に似たような絵しか描けなくなってしまう落とし穴にはまる。このことは、巨匠と言われる作家の弟子になりその漫画絵を学んだ作家がその落とし穴にはまる例が多いことを見れば解るだろう。ちなみにその例は先の巨匠に加えて例を挙げるなら、ちばてつや、赤塚不二夫、本宮ひろ志など、挙げればもう本当にキリがない。あれ、この人●●さんにしちゃ絵が下手だな、それにしても似てるな、と思って表紙の名前を見たら別人だった。こんな経験はちょっと幅広く漫画を読んでる人なら誰でも経験があるだろう。
基本的なデッサンや絵画技法を学んだ人は、「一般的な絵の上手さ」を身につけたうえで、自分の絵という個性に加え「漫画絵の上手さ」も身につけないといけないと思う。
例えば最近芸能人が油絵を描いてナントカ展に入選、みたいなニュースをよく見る。そのほとんどが写真をトレスしたかのような写実画だ。つまりああいう絵はある程度「一般的な絵画技法」を学べば、よほど不器用な人間でない限りは誰でも描けるのだ。そう、誰にでも、だ。
写実的な絵を上手い、いや「いい絵だ」と言われてしまったら、絵画など必要ないだろう。
風景を写真を撮影してきて、それをキャンバス大に引き伸ばし、トレスし、油絵の具なり水彩絵の具なりでその上からそっくりになぞれば「作品」の出来上がりである。いや、高解像度で撮影した写真をパソコンに取り込み、油彩か水彩風フィルタをかけるとかして、それをプリントアウトして額装した方がより正確だろう。いやいっそのことその写真そのものを飾ればいい。
写実の礼賛も過ぎると、そういうことになる。芸能人が描く絵のほとんどはコレだ。だから作品としては取るに足らないものばかりと言っていい。
では漫画である。
漫画の場合は、写実というと背景も写真を本当にトレスして使う人がいるが、人間まではそうはいかない。そこで「デフォルメ」が入るわけで、その部分に作家の個性が現れるわけだから、むしろ一般の絵画よりも作家性を評価されるべきなのはそこだ。つまり写真や現実そっくりに描いたとしても、最悪それで作品となる(作品と呼べるかどうかは別として)一枚絵としてのイラストやカートゥーンではなく、ストーリー漫画であれば、さらに作家のオリジナルの「話=ストーリー」が加わって「作品」となるのだ。
漫画絵は一般的に言う絵の上手さ、つまり写実的な絵の上手さを評価されるものではない。ホンモノそっくり、見た目そのままに絵が描けても、「だから?」だ。その上でどんなお話を見せてくれるのか、を問われる。花くまゆうさくのような筆致で、背景などいい加減でほとんど描かれることがなくとも、それでも彼の漫画は面白い。何故面白いのかを考えれば、漫画というものが何であるかが少し解るような気がする。
もう一度言うが、漫画とは絵と話の両輪からなるひとつの表現手段だ。絵の方は基本を学ぶことはいくらでも可能だ。一般的な絵画技法なら、デッサンや構図などいくらでも教えてくれる場所はある。漫画としての絵画技法、つまり変な言い方だけど漫画絵技法は、それらを学ぶ必要はない。学んでもいいが絶対必要条件ではない。漫画絵を描くうえでの基本的な技法とは、漫画原稿作成上での作法、つまり原稿用紙がありそこへ枠線をどうやって引くかとか、ネームというものがあるとかペンの使い方とか線の引き方トーンの貼り方削り方、修正の仕方などなどである。
こういった漫画絵の技法いや「漫画原稿の作成方法」なら、前回述べたように、解説本もたくさん出ているし、ソフトウェアまである。これらをキッチリプロ並かそれ以上に習得したアマチュア=ハイ・アマの数が多いことも述べた。
ではそういった人たちが漫画家と呼べるかと言えば、もちろん否だろう。彼らが確実になれるとすれば、それは「漫画家」ではなく「漫画家のアシスタント」である。

<この項つづく>
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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